【十一】腹が減っては戦は出来ぬ

 高らかに宣言したエルツではあったが、まず行ったのは着替えだった。


 山から吹き下りてくる風はさすがに寒かった。エルツは震えながらまずプラナの家に急ぎ、衣類を借りた。シャツを脱ぐと首からプレート状のペンダントが露わになる。長方形の金属板で上下にスリットが入っている。亡き母の形見だった。シャツとズボン、軍靴を脱ぎ、白いワンピースを着る。木綿だ。腰紐を巻き、外套を羽織る。


 着替えたエルツを、フィエがまじまじと見つめる。上から下へと視線を動かす。


「こうしてみると、その服も似合っているな」

「そう?」

「『お姫様』だったのは、軍服の方だったということか」

「……もしかして、ちょっと馬鹿にされた?」

「褒めたつもりだよ」


 フィエはすれ違い様にぽんとエルツの頭を撫でた。エルツは少し恥ずかしかった。


 エルツがフィエと一緒に水の噴き出した柱の所にまで戻ると、既に何人かの村民が集まっていた。各々魔鋼器らしき物を持っている。エルツはふんすと気合いを入れると、順番に魔鋼器に触れていく。


 村にはそう多くの魔鋼器は無かった。全部で十個程度か。手に持てる小型のものばかりだ。エルツが触れると魔鋼器は青い光を発し始める。照明灯が一番多く、あとは発熱器や送風器辺りで村民も喜んだ。もっとも、中には使い道が分からないものもあった。ただ浮くだけの立方体などは、特に使い道も思いつかないので持ち主の家の前に据え置かれた。


「これで全部かしらね」


 一仕事終えたエルツは満足げに村を見渡した。日が傾き始めている。幾つかの家の中からは魔鋼器の青い光が早速見えた。油を使うランプより明るく、しかも油を消費しない。これは大きいと自画自賛する。


「今の問題が解決したら、私、旅に出ようと思うの」

「旅?」

「うん。あちこちの町や村に寄って、魔鋼器を開封していくの。いい案だと思わない?」

「護衛が必要かなー」

「そしたらフィーを雇ってあげる。いろんな所に行けて楽しいわよ、きっと」


 エルツはにやりと笑った。



  —— ※ —— ※ ——



 プラナは一旦フェイたちと別れ、自宅の馬小屋に馬を繋いでから村長の所へと向かった。プラナの家はちょうど村の真ん中辺りに位置している。村の中央を貫く道は木の枝のように分岐して村人の家へ繋がっていた。枝道を戻り小さな橋で川を渡って本道へと戻る。


 枝道と本道の交差点に水が止まった金属製の柱が立っている。今はあのエルツと名乗った少女が村民を集めている。ちらりと覗くと、彼女が触れると同時に魔鋼器のガラクタだと思われたものが淡い光を発し始めた。プラナは目を剥く。本当に動いている。


 中央の本道は川沿いに続いていく。坂道は少しずつ勾配を増していき、登り切った先で道は途絶える。そこには石造りの家があった。


「村長いるか?」


 開きっぱなしの玄関から中へ入る。広間には誰にいない。右手が台所、左手が居間になっている。奧に階段があり、二階へと続いていく。


「プラナか。大物、仕留めた様だの」


 階段から老人が降りてくる。頭髪も顎髭も真っ白で貫禄がある。腕の肉はやや骨張っていたが、足腰は真っ直ぐで老いを感じさせない。


「久しぶりの大物だ、嬉しいよ」

「最近はめっきり減った。獲れても痩せたヤツが多い。困ったものじゃ」


 この村では狩猟と採取を生業としている。ここ数年どちらも芳しくない。厳冬が続き、薪の消費も多い。小麦を買うにも先立つものがなければ話にならない。


「それでなんだが」

「余所者のことじゃろ、さっき儂も見たわ。今はどうしておる?」

「それがな。自分は王女だとか言って、村のモンの魔鋼器のガラクタを次々と動かしているわ。なんじゃろな、触れるだけで本当に動き出しよる」

「そりゃ、たぶん本物じゃな。王族には魔鋼器を目覚めさせる不思議な力があるというからな」

「へー。そういやそんな話聞いたことあるな。じゃああの娘っ子、本当にお姫様なんか」

「朝から役人の連中が探しておる。ここにも一度来た」


 紫色の軍服を来た少女と傭兵の一団を見つけたら砦まで知らせるように。けして逃がすなと。ご丁寧に少女の人相書きもあった。軍人を連れた、もしくは連れられた役人は青ざめた顔で村長に告げた。早朝のことである。


 こんな田舎の村長でも知っている。普通の服ならば兎も角、軍服を紫で染めるのは特別な意味を持つ。王家の人間か、もしくはそれを騙る人間かだ。


 魔鋼器を目覚めさせたということは、本物の王族なのだろう。だとすれば余計に焦臭い。こんな辺鄙な村に王女が徒歩でやってくる。お付きの者は傭兵。そして役人が血眼になって探している。どう控えめに見ても、関わり合いになるものではない。


「そうなのか。役人連中が探しているってのは、何があったんかのう」

「さてな。砦に早馬は出した。役人連中が来るまで足止めしてくれ」

「……うーん。気は乗らんが。」


 プラナは村長と共に溜息をついた。



  —— ※ —— ※ ——



 日が傾いてきて薄暗くなり始めている。頭上には雲も出てきた。冷え込んできたのでまた雪が降るかも知れない。


 エルツはプラナの家の前まで戻ってきた。家の周囲は僅かな広さではあるが平たく整地されている。井戸と馬小屋、そして小さな畑がある。畑は土が見えるだけで、何も植えられていない。


 いや、植えられてはいたのだ。畑の傍にしゃがむと、枯れた蔦が土中に混じっているのが見えた。蔦と、小さく固い実。多分成熟する前に枯れたのだろう。


「今年は上手く実らなくてね。ホントは今頃美味しいミカカの実が採れる頃なんだけど」


 後ろからふわりと声掛けられる。エルツが振り返ると若い女性が立っていた。プラナの妻スフミだった。木綿のワンピース姿で、右腕に浅い籠を抱えている。中には干した魚が四尾見えた。


「どうして枯れたんですか?」

「んー、今年は寒かったからねー。そのせいじゃないかな?」

「やっぱり」


 エルツの表情は沈んだ。しかしそれも一瞬で、口角を上げて明るい表情を浮かべる。


「でも安心して。それももうじき元に戻るわ」

「あら、そうなの? 長老はもう何年かは寒いままだって仰ってたけど」

「その為に私は来たんだもの」


 その鼻先に白いものが舞い降りる。雪がまた降り始めた。スフミはエルツを連れて室内へと戻る。


 プラナの家はそれほど大きくない。小部屋が二つと居間兼台所のみである。

スフミは薄暗い室内で器用にランプに火をつけた。魔鋼器では無い、油のランプだ。プラナの家には魔鋼器は無いようだった。

 気がつけばフィエの姿が見えない。アイツどこ行った?


「お腹空いたでしょう? 今晩は早めに夕食にするわね」


 テーブルの上に籠を下ろすと、スフミは竈の前に立った。隣の水瓶から水を掬い、竈の上に据えられた鍋に注ぐ。


「ありがとう。実はお腹ぺこぺこで」


 苦笑いをするエルツ。早朝に王国軍に見つかって逃げ出したせいで、今日はまだ何も食べていなかった。


「でも私たち、早くここを出ないといけないんです」

「あら? そんなにすぐに?」

「はい、明日中に行きたい場所があって……この先にある峠なんですけど」

「ああ、だから馬が必要なのね。ごめんなさいね、ウチの馬はプラナの仕事に必要だから……売ってあげられれば良かったんだけど」

「いえ! そういうつもりじゃないです。ダメなら歩いていくつもり」

「安心して。村長に頼めば一頭ぐらい何とかなるわ。一応アレでも、村一番の猟師なんだから」


 そのぐらいの発言力はあるわ、とスフミはうふふと笑った。

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