【九】優れた傭兵は依頼主の願望をかなえる

 太陽は昇り、今は頂点に近い位置にいる。


 北から東へと連なる山脈が雪化粧された姿を見せている。その山脈を東に向かって谷間が深く切り込んでいる。深いところを川が流れ、そこから一段高い北側には狭いながら街道が伸びている。そのまま東に向かえば、要衝であるアイドウシチナ発掘抗へと至る。


 街道の山脈側の入口に小さな砦がある。

 ジラン砦。


 高さ十メートルほどの石造りの城壁が谷間を塞いでいる。敷地は何重もの柵によって仕切られ、その中には高い櫓や建物が並んでいる。ここは砦であると同時に関所としての役目もある。普段であれば検問待ちの商人たちの馬車が列を成している。だが今は行き交う商人の姿は無く、代わりに黒い鉄騎兵や魔鋼器製の輸送車が整然と並んでいる。一機だけ横転したままの鉄騎兵があり、その機体は赤かった。


 砦の櫓の上には軍旗がはためいている。一つは王国旗。今はそれに加えて黒い軍旗が並んでいる。七虹大隊、黒大隊のものだ。


 七虹大隊。王家直轄の所謂親衛隊のことである。色別に分けられた七つの大隊で構成され、鉄騎兵を始めとする魔鋼器を潤沢に配備された、王国における最精鋭の部隊群でもある。


 彼らは王命を受けてエルツ王女保護の為に行動していた。今はこのジラン砦を拠点とし、付近一帯を捜索している。捜索の中心は騎兵で、早朝から多くの騎兵が砦を出入りしている。


 今も一騎の騎兵が砦の門を潜り帰還した。乗馬していた中年の兵は馬係に騎馬を任せると、周囲をきょろきょろと見回した。中年の兵は髭面で眼鏡を掛けている。髭を撫でながら、右の建物の中を覗き、左の鉄騎兵の駐機場を覗き、ふらふらと砦の奧へと向かっていく。やがて奧に設けられた黒い天幕を見つけると、いそいそとその中へと入っていった。


「南の方? 見間違いではないのか」

「分かりません。猟師も遠目に見かけただけだという話ですので……」

「……」


 中年の兵の報告に参謀は無言で考え込んだ。大隊長であるインヴァネスは報告の為に砦を離れていた。今現場にあける最上位の指揮官は参謀である。彼は卓上に広げられた地図に目を落とす。置かれている駒は捜索に出ている騎兵たちの位置だ。全体的に森林地帯の東側——砦の周囲に重点的に配置されている。


 ——アイドウシチナ発掘抗へと向かう道は三つ。


 最短距離である、東へ直進しジラン砦を抜け谷間に続く街道を通るか。北の山脈に入り、街道とは言えない山道を行くか。山脈を南に大きく迂回して、平原から発掘抗へ向かうか。


 当初、王女と雇われた傭兵たちは西から真っ直ぐ東——このジラン砦へと向かう道を辿っていた。二手に分かれたところまでは把握しているが、その後はどちらも見失っている。彼らは四輪車や鉄騎兵を乗り捨てて今も逃走している。


 傭兵たちは二手に分かれたが、王女は東へ向かった四輪車に搭乗していたという報告だった。今は四輪車が乗り捨てられた地点を中心に捜索の網を広げている。砦には我々が駐屯している以上、アイドウシチナ発掘抗へ行くには北か南に回り込むしかない。


 ……北に向かうと見せかけて、南へと抜けるつもりなのか? しかし南の街道は王都へと続く主街道であり、航空軍艦浮揚の為に王国軍が多数往来している。それは王女もご存じのはずだが……。


 参謀は我に返った。十秒か一分か、それ以上か。考え込んでしまい、報告に来た兵のことをすっかり忘れていた。中年の兵は微動だにせずこちらを見ている。次の指示を待っているのだ。


「分かった、報告ご苦労。次の捜索地点へ移動してくれ」

「はっ」


 中年の兵は敬礼をし、天幕を後にした。その直前。


「捜索範囲を南に広げる——」


 そう指示を出す参謀の声を聞いて、中年の兵は髭面の口角を上げた。



  —— ※ —— ※ ——



 ——ジラン砦の西。


 広大な森の中を、あの中年の兵は馬を走らせている。比較的整備された主街道から細い旧道へと入り、更に獣道へと進む。


 小一時間。木々が開けた所に木造の小屋が立っている。猟師小屋か。屋根の一部は剥がれ、心持ち傾いているようにも見える。近くには馬が二頭繋がれている。馬具の装飾は中年の兵が乗っている馬と同じ。中年の兵は同じ所に馬を繋ぎ、小屋の中へと入った。


「戻ったぞー」

「おかえりー」


 マラウイが手を振って自分たちの頭領を出迎える。彼女はまだ紫色の軍服の上着と軍帽を被っている。体格が小さいので袖から手が出ない。袖口を口元に寄せ、すうと匂いを嗅ぐ。笑み。スゴく甘くて良い匂い。


 中年の兵は、ユングフラウその人だった。眼鏡を外し、砦の食料庫から拝借した食料と水を背負い袋から取り出す。タハトが眼鏡を受取りながら声を掛ける。彼も王国軍の軍服に着替えている。


「良くバレなかったですね」

「堂々としてればバレないもんよ? 一兵卒の顔までは憶えてられないって」


 ユングは軍帽を脱ぎながらにへらと笑う。ジラン砦に駐留していた部隊は、王女が雇った傭兵団の名前までは掴んでいたが、構成員の人相書きまでは入手出来ていなかった。だからユングの変装に気がつかなかった。大隊長がいなかったのも幸いした。


 ユングたちはフィエたちと分かれた後、四輪車を捨てて上手く追っ手を捲くこと成功していた。そして彼らを見失った王国軍が分散して捜索に入ると、その一隊を捕縛して王国軍に成りすましたのだ。猿轡をして縛られた兵士が三人、下着姿で部屋の隅に転がされている。


「フィーは上手くやっている様だよ。深紅の鉄騎兵ゼラニウムは砦にあったし」

「やはり鹵獲されてしまいましたか」


 タハトが顔をしかめる。目立ちやすい鉄騎兵は逃走には不向きだ。追っ手が迫ったら囮として手放す作戦ではあったが、予定通りとはいえ頭が痛い。鉄騎兵は貴重な戦力な上にもう単純に『高い』のだ。そう易々と使い捨てに出来るものじゃない。タハトは脳裏で収支をざっと計算する。うん、赤いな……。この傭兵団、王国に捕まらなくても破産で消滅してしまうのでは?


「可翔機、四輪車、鉄騎兵……いくら報酬五倍といっても、今回の仕事、どう考えても採算割れだと思うんですが?」

「いやあ、まだ回収できないと決まった訳じゃないよ。事が終わった後にさ、ゴメンナサイって謝ったら返してくれるかも知れないよ?」

「これだけ王国に喧嘩売ってるのに?」


 楽観的すぎる……!

 タハトは深く深く溜息をつく。まあ元々王家絡みの仕事だ、受けた時点で国外逃亡まであり得ると覚悟はしてはいるが。


「……今回の戦争、なんかヤバそうなんだよね」


 窓枠の外を見ながらユングが呟く。日射しが弱まる。見上げると雲が出てきていた。また雪が降りそうな空になっている。


「分かってる、今更止めようとか言うつもりは無い。傭兵は結果が全てだから、受けた以上はね」

「ごめんねー。今度何か奢るからさー」


 あ、それは信用出来ない。そう言われて奢って貰った記憶が無い。


「この後はどうするつもりです?」

「んー、そうだな。とりあえずオレたちは発掘抗を目指しますか」

「発掘抗? でも王女の目的地は……」


 タハトが怪訝な表情をする。王女からの依頼は『合流地点』までの護衛だ。それは発掘抗では無く、その手前の名も無き峠だ。


「タハト、一つ憶えておくといいよ」


 ユングはにんまりと笑う。


「良い傭兵は依頼主の希望をかなえる。そして優れた傭兵は依頼主の願望をかなえるってね」



  —— ※ —— ※ ——



「ほら、マラウイも着替えて」

「えー」


 渋るマラウイ。くんくんと紫色の軍服の匂いを嗅ぐ。


「だってさー、これスゴく良い匂いするのよう。やっぱ良い香水使ってんのかなー、それとも食ってるモノ違うからかー、そうなのかー」

「それ着てると王国軍が寄ってきちゃうぜ」

「ちぇー」


 仕方が無く。丁寧に紫色の軍服を畳み、王国軍の軍服に着替える。王国軍のも良い素材を使っている方だと思うが、王族のものとはやはり比較にならない。すこしごわごわする。すんすんと匂いを嗅ぎ、あからさまに顔をしかめる。ご本人いるんだから止めてあげて。


 ユングは敬礼をする。


「それじゃ、私たちは行きますわ。まあその、なんだ。一応食料とかは置いていくけど、それじゃあ食べられないよね、うん。でも喋られると困るのでそのままで行きますね。……全部終わって、来れる様だったら来るから……ゴメンね?」


 床に転がる兵士たちの、何か諦めたような視線を残して、ユングはゆっくりと小屋の扉を閉めた。

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