【八】士官学校卒業しました



 ——たぶん、私に自由は無いのだ。



 三年前。桜の季節。


 帝都にある帝国士官学校では式典が行われていた。士官学校はその名の通り士官——高級軍人——の養成を目的としている機関だが、帝国においては最高学府も兼ねている。士官学校の高等教育を受けた後、併設されている研究院に進んで学者に成る者、実家の商会を継ぐ者、行政府に入る者、その進路は様々である。


 それは帝国の今を象徴する様な光景に見えた。帝国においては身分制度は緩い。十数年前の大乱で貴族階級が没落、奴隷制度も廃止された。世襲制が残っていないわけではないが、孤児でも能力次第では商人にも行政官にもなれるのだ。その意味において、帝国は大陸で最も先進的な国家といえる。


 士官学校の卒業式。


 大講堂での長い長い祝辞が終わり、学業と式から解放された卒業生やその関係者が広場へとばらばらと出てくる。乱雑なその光景は士官学校といえど単なる教育機関であったことを、今だけとはいえ思い出させてくれる。


 卒業生の服装は大きく分けて二種類あった。まずは単なる正装の者。これは帝国軍には入隊せず民間に降りる者たちだ。各国貴族の子弟なども含まれる。士官学校付きの研究院へ行く者も、あの有名な白服は院に入ってからの配給になるので今日は正装になる。


 軍服を着ている者は、帝国軍に入隊が決まっている者だ。この時期であれば所属部隊も既に決まっている。大抵の場合はまず帝都近くの部隊に配属され、そこで更なる教育と経験を積んでから数年後には帝国各地へと散っていくことになる。


 エルツ・レンブラントは正装だった。


 淡い青色のスカートと半袖のブラウス。後頭部で髪を髪留めで留める髪形は今年帝都で流行のスタイルである。広場のベンチに座り、ぼんやりと人の流れを眺めていた。


 二年間続いたこの時も、あと一時間もしない内に終わる。こうやって一人でいることはもはや叶わないだろう。その貴重とも言える時間を、エルツはぼんやりと貪っていた。自由、いや違うか。贅沢というのか。


 数少ない友人たちとの別れは済ませた。何年かしたら同窓会しようと笑い合って分かれたけど、きっとその場に私はいない。王国貴族の子女というこの身分名は偽りだ。レンブラント家という貴族も何代も前に廃嫡されている。手紙を送っても宛先不明で戻るだけだ。


 王国に帰国後、元の王女に戻る。第三王女、しかも側室の子。二人の腹違いの兄は健在だから、次期国王になることはまず無い。王家の血を引く遠戚との婚姻という線が一番濃厚だ。または今は亡き母方の貴族の領地を引き継ぐということも無くはない。


 いずれにしても、それはエルツが決めるところではない。周りが全て決めるだろう。今まで通りに。王家の血はその特殊能力が故に、自由は無いのだ。


「や、お疲れさま」

「お互いにね。校長、話長過ぎ。」


 まだ別れを告げていない友人がいた。フィエとアトパラは二人とも真新しい軍服を着ている。フィエは軍服に着せられている感が強いが、アトパラは軍帽から靴先に至るまで実に様になっている。さすがは皇子様というべきか。


 フィエは帝国軍に入隊する。帝国士官学校が如何に開かれた教育機関とはいえ、学ぶには金がかかる。但し帝国軍に入隊すれば学費は免除。フィエの身の上は聞いている。孤児だ。孤児院で育ち、成績優秀が認められて士官学校へ入学した。もちろん学費を払う当ては無いから、入隊するしかない。そこに選択の余地は無い。


 アトパラも選択の余地が無いという点では同様だろう。帝国皇家の男子は帝国軍に所属するのが決まりだ。士官学校へ入学したのもその為。彼は帝都親衛隊へ入隊し、やがては将軍、場合によっては皇帝になるのだろう。皇族としての役目が彼を待っている。


「アトパラは、これからどうするの?」


 エルツは聞いてみた。直近の話では無い、将来の話だ。


「そうだな……」


 褐色の少年は空を見上げる。青い空。エルツの位置からだと、褐色の肌が太陽の光に照らされて輝いて見えた。


「帝位を、目指すよ」


 それを聞いたエルツは目を丸くして、咄嗟に周囲を見回した。近くには誰もいない。いつの間にかにフィエの姿も無い。


 そう公言していい話では無かった。アトパラは皇位継承権第四位。つまりは上位の者に対して、皇位継承の宣戦布告をしたのも同義だ。場合によっては血生臭い権力闘争になるだろう。帝位を諦めて穏便に人生を送る手もある。だがアトパラはそれを選ばなかった。


「皇帝の子に生まれた以上、そうでなければ出来ないことをしたいと思ってね」

「出来ないこと?」

「うん。世界はもっと良くなる。それを自分の手で成したい」


 過去五十年。帝国は世界の有り様を大きく変えてきた。魔鋼器の集約利用は穀物の大量生産をもたらし、大陸から飢饉を過去のものとした。身分制度の事実上の廃止は商工業の活性化をもたらし、結果人々は豊かになった。その先を目指すと、アトパラは言っていた。


「そっか。アトバラは凄いね」

「エルツはどうするんだい?」


 アトパラの声が不意に近くなって、エルツの心臓は高鳴った。気がつけばアトパラの顔が眼前にある。アトパラはベンチに座っていたエルツの前にしゃがみ込み、こちらを覗き込んでいた。


「どうするって……どうもしないわ。そういう家だもの」


 王国は帝国ほど開明的では無い。古き歴史故か。魔鋼器の管理者を自認してはいても、その使い方では帝国の方が一歩も二歩も先んじている。そういう古典的な国家だった。


「でも、エルツには『力』がある。誰も真似できない『力』だ。それは君を縛る枷なのかも知れないが、同時に羽ばたく為の翼でもある」

「翼……」


 それは今までエルツが考えもしなかった捉え方だった。何かが少し、息苦しさが和らいだ。そんな気がした。


「その時は声を掛けて欲しい。力になりたいんだ」

「アトパラ……」


 二人はしばらくの間、その視線を絡め合った。



  —— ※ —— ※ ——



 フィエが戻ってきた。離れる二人。


「ほい」


 フィエはエルツに何かを差し出した。それは細い棒に刺されたイカだった。無論焼かれている。香ばしい匂いが鼻腔をくすぐる。


「え、なにこれ?」

「イカ焼きだけど」


 え、見て分からない?といった感じで首を傾げる。そうじゃない、何でココにイカ焼きなんてものがあるのかと聞いたのだ。


「出店が出てるよ」

「……は?」


 エルツは思わず腰を浮かせた。広場の向こう、正門の外を見ると確かに出店らしき仮設の建物が幾つか並んでいた。式に参加した者たちの他に、何やら賑わいを嗅ぎつけて人々が集まっていて、ともすれば式典のあった士官学校より人が集まっていた。


 しかしお祭りじゃあるまいに、士官学校の卒業式に出店を出すのか……。厳粛な式典をと思っている連中にとっては苦々しいことだろうが、校外とあっては文句は言えない。


「王国じゃ考えられないわね」

「帝都の商人は商魂逞しいからね。人が集まればモノが売れる。皇帝の戴冠式ですら出店の列で出迎えかねない」


 アトパラは肩を竦める。自由奔放すぎる。


 でも。


 その自由な空気がエルツは好きだった。凝り固まった世界は息が詰まる。でもその凝り固まった空気にも理由が有り意義がある。その程度の理屈が分からぬ歳でもない。だが、それでも……。


「他には何があるのかな?」


 エルツはベンチから立ち上がり正門の方へと歩き出した。フィエとアトパラが続く。視界の縁で慌てて小走りしてくる人影を捉えたが、無視した。

 この正門を出る時、それはエルツ・スレドナ・スナイフェルに戻る時。でも、この程度の自由は見逃して欲しい。


「あ、でも財布持ってないからフィー払っておいてよ」

「払っておいてって、いつ返すんだよ?」

「出世払いで」

「絶ッ対取り立てるぞ!」


 正門から出て走る三人。その時だけは、彼らは一瞬だけ束縛から放たれたのだ。それが自由なのかどうかは、彼らにも分からない。





 ——たぶん、私たちに自由は無いのだ。

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