【六】その眼鏡は伊達眼鏡です

 ——朝。


 山脈の向こうから太陽が姿を見せ、少し赤く色づき始めた森を照らしていく。珍しく空に雲は無い。その青い絨毯に線を引くように一筋の星が流れていく。しかしそれを見る者はいない。皆忙しかったのだ。


「もっと速度出せんのか!」

「っ無理、無理ですよッ!」


 ユングが怒声を上げ、タハトが悲鳴を上げる。雪で泥濘んだ道を彼らを乗せた四輪車が走っていく。地面の凹凸に合わせて車体が揺れ、泥を周囲に跳ね散らかす。


 タハトは運転席で必死に操縦輪を小刻みに回り、横転しそうな四輪車を必死に押さえ込む。ペダルを踏めば速度は上がるが、その分揺れは激しくなる。東の山脈へと向かう寂れた街道である。左右は森に囲まれているから直進するしかない。飛び跳ねた泥がタハトの眼鏡につく、ことはなくフレームを擦り抜けてその頬を汚した。


 タハトの隣には紫色の軍帽と軍服を着た少女が座っている。後部座席にはユングが後方を向いて長銃を構えている。魔鋼器では無い、普通の火薬式の長銃だ。魔導器製の銃や砲というものは無くは無いが、その弾も魔鋼器製になる場合が大多数なので滅多に手に入らない。手に入ったとしてもべらぼうに高い。


 四輪車の横を深紅の鉄騎兵ゼラニウムが並んで走る。それらを追い掛けて、二騎の騎兵が後方から迫ってくる。路面が綺麗に整備された状態であれば四輪車の方が速い。しかし今は違う。その距離は徐々に詰まりつつある。


 ユングが引き金を引くと、乾いた音と共に火薬の匂いが立ち込める。騎兵に命中はしなかった。だが騎馬の走りが左右にぶれ速度が落ちた。四輪車との距離が少し開く。しかし、しばらくもしない内にその僅かに稼いだ距離が無くなり、更に詰められてしまう。


 追い掛けてくる騎兵の数は三に増え、その後方には鉄騎兵の姿も見え始めた。その機体の色は黒い。昨日、穀倉地帯でエルツを追い掛けていた連中だ。王国軍、七虹大隊の黒。精鋭中の精鋭である。


「しっかし速いなあ。もっと余裕があるかと思ってた。さすが王家の親衛部隊。」

「そんな悠長なこと言ってる場合ですか!」


 うんうん、となぜか自慢げに頷くユングに、今度はタハトが怒声を上げる。ユングが慌てて長銃を二発、三発と撃つが、やはり距離は開かない。


 四輪車と並走していた深紅の鉄騎兵ゼラニウムが寄せてくる。


『足止めする。先に行け!』


 鉄騎兵が喋っているかの様にフィエの声が響いてくる。拡声器だ。鉄騎兵の基本装備である。


「ヘマすんじゃねぇぞ!」

『そっちこそ!』


 深紅の鉄騎兵ゼラニウムは身を翻した。泥を足で削りながら、四輪車の後ろを遮る様に立ち止まる。追っ手の騎兵はすぐ目前に迫っていた。三騎の騎兵は速度を落とさず、深紅の鉄騎兵ゼラニウムの眼前で左右に分かれる。


『させるかよ!』


 深紅の鉄騎兵ゼラニウムは左右に分かれた騎兵に対して左足を突き出し、右手で長棍を振り回す。しかしどちらも空を切った。二騎の騎兵は嘶きと共に左足を飛び越え、残り一騎もまた長棍の下を潜り抜けていった。


 騎兵たちは深紅の鉄騎兵ゼラニウムの裏で合流すると更に速度を上げ、先方の消えつつある四輪車を追走していく。


 深紅の鉄騎兵ゼラニウムは後を追わなかった。

体勢を整え長棍を振るう。鈍い音と共に先端が盾に防がれる。騎兵の後方から迫っていた黒い鉄騎兵が間合いに入っていたのだ。


 黒い鉄騎兵は盾を用いて長棍を下に抑えつけ、長剣を突き出す。深紅の鉄騎兵ゼラニウムは後ろに下がって突きをかわし、長棍を捻って盾の下から抜き出すと相手の膝に向けて棍先を突き入れる。


 が、弾かれた。黒い鉄騎兵の脛には追加装甲が取り付けられていた。装甲は足首から膝上まで覆っている。くの字型の装甲は棍先を滑らせるように弾いたのだ。


 体勢を整え、二機の鉄騎兵が距離を置いて対峙する。黒い鉄騎兵の後方から別の鉄騎兵が接近しつつあるのが見えた。更に追加の騎兵も見える。深紅の鉄騎兵ゼラニウムは長棍を振り回し、盾でガードさせて眼前の鉄騎兵に体勢を固めさせると、機体を翻した。


 枝が折れ、葉が散る。深紅の鉄騎兵ゼラニウムは道沿いでは無く、右手の森へと飛び込んでいた。水に飛び込む様に森の中へ潜り込むと、木々の間を器用に擦り抜け、枝を折り散らしながら街道から遠ざかっていく。


 一歩遅れた黒い鉄騎兵はその場に留まり、後方から来た味方と合流する。鉄騎兵が一機、そして騎兵が四騎。到着した騎兵の中に壮年の士官インヴァネスがいた。


「報告ッ!」

『目標は前方を走行中の四輪車にて逃走中。敵鉄騎兵は当地で交戦のち森の中へ転進しました』

「よし。騎兵隊はそのまま四輪車を追跡。マラトン少尉は遠隔通話で第二分隊に連絡、主街道から先行して頭を抑えさせろ!」

『はっ!』


 号令一下、騎兵隊が走り去る。あっという間に街道の先へと消えていく。インヴァネスは森の方を見た。枝が折れた木々の先は森の暗闇に阻まれて見通せない。何かが動く音も今はもう聞こえない。


「マラトン少尉。連絡終了後、ラリサ少尉と共に赤い鉄騎兵を追え。仲間と合流させるな」

『はっ』


 二機の黒い鉄騎兵から返事を受けると、インヴァネスは馬を再び走らせた。王女が雇った傭兵団の情報は入手していた。名前は『猟豹の牙』。その筋では有名らしいが小規模な傭兵団だ。可翔機が使用不能になったのは確認した。赤い鉄騎兵と切り離してしまえば有力な戦力はもう無い。あとは周囲の街道を封鎖して取り囲めば捕縛出来る。


 この街道の先、森を抜けると山脈の麓に辿り着く。そこから更に山脈を分ける谷間を抜けるとそこにはアイドウシチナ発掘抗がある。王家七抗にして『ユピテル』が眠る発掘抗——エルツ王女が目指しているのはそこでほぼ間違いない。発掘抗に辿り着く前に、いや山脈の麓に辿り着く前に王女を保護しなければ。


 インヴァネスの元には、既に帝国軍の一部が国境を越えつつあるとの報が入っていた。万が一王女が帝国軍と合流してしまえば、国王陛下との関係修復は不可能になる。インヴァネスはその前にどうにかしたかった。



  —— ※ —— ※ ——



 薄暗い森の中を二機の黒い鉄騎兵が走っていく。


 木々の間は粗密を繰り返していて、狭い部分は鉄騎兵では通れない。しかし枝が折れてぽっかりと開いたトンネルの様な空間が黒い鉄騎兵の前に続いている。深紅の鉄騎兵ゼラニウムが先に入り込んで逃げた跡だ。その中であれば木の幹にぶつかることも無い。


 随分進んできたが、まだ背中は見えない。思ったより速い。黒い鉄騎兵は脛に追加装甲を付けていることもあり、平時より機動力が劣っている。だが森を掻き分けていく必要のある相手より遅いということは無い。黒い鉄騎兵は着実に深紅の鉄騎兵ゼラニウムに近づきつつあった。


 「……行ったか」


 黒い鉄騎兵が通り過ぎた後。フィエが木上から顔を覗かせる。枝を揺らして飛び降りてトンネルの奥をじっと見つめる。もう鉄騎兵の姿は見えない。微かに響いていた足音も聞こえなくなってから頭上に合図を送る。


 エルツが太い幹を伝って降りてくる。帽子と上着は着ていない、白いシャツ姿である。帽子と上着はマラウイが着て、別れた四輪車の方に乗っている。つまり囮だ。


「木登りが出来て良かったよ」

「士官学校で習った。家で試したら爺やにめちゃくちゃ怒られたわ」

「だろうな」


 鉄騎兵は意外と上が見えない。見てないというべきか。黒い鉄騎兵は頭上の二人に気がつかず、そのまま走り去っていった。


「でも鉄騎兵にあんな機能があったなんて」

「戦わせるだけが能じゃないってことさ」


 二人を降ろした深紅の鉄騎兵ゼラニウムは無人で走行している。しかも木々を器用に避けてだ。拡声器に遠隔通話。旧文明の遺産である魔鋼器には未だ解明されていない不思議な機能がついている。


 フィエは地図を広げる。


「このまま北に向かって包囲網を抜ける。この辺りに村があるから一旦そこを目指す」

「村?」


 エルツが覗き込む。北の方角には何も書かれていない。森の北も東も山脈の麓に辿り着く。東には山脈の麓に砦があり、そこから谷間の街道を抜けるとアイドウシチナ発掘抗へ至る。


 北も森を抜けると山脈の麓に辿り着く。街道は無い。しかし狭い山道があり、そこから山に分け入ると目的地である峠に辿り着く。二手に分かれたのも、王国軍に直接アイドウシチナ発掘抗を目指していると誤認させる為だ。


 フィエが地図で指さしたのは、森を北に抜けた所、山の麓で山道が始まる部分だった。


「昨日望遠鏡で確認した時に煙が見えた。たぶん竈の煙だ。そんなに大きくはないだろうが、馬ぐらいは手に入るかもしれない」

「ふーん……手に入らなかったら?」

「徒歩で山越えでございますよお姫様」

「ふむ、良きに計らえ」

「ははーっ」


 エルツは先行して歩き出した。あの遭難しかけた雪中行軍に比べれば、徒歩での山越え程度は苦にもならない。逞しい王女様だった。

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