【五】皇子様は不満だった

 褐色の皇子アトパラ・メジェルダは、父親に拝謁していた。父親、即ち皇帝陛下である。


 皇帝の私室には二人しかいない。暖炉には火は無く、代わりに四角い魔鋼器が置かれている。魔鋼器は淡い青い光を発しながら、暖かい空気を室内へと送り出している。まだ秋だというのに、暖房を必要とするほど周りは冷え切っていた。


「使者が先程帰参しました。王国はこちらの提案を拒否しました」


 アトパラが淡々と告げる。


「そうか……戦争を回避することは叶わぬか」

「このまま寒冷化が進めば早晩、帝国の民だけでは無く大陸全土が飢えます。今手を打たねば、間に合いません」

「『ユピテル』か……」


 老齢の皇帝は窓の外を見つめる。眼下には帝城と、その周りに広がる帝都の街並みが広がる。今は夜。魔鋼器の灯りが城下を照らしている。対して空に光るものは見えない。月や星の瞬きは厚い雲に遮られている。やがてまた雪が降り出すだろう。


「王国は判断を誤りました。彼らに最早、魔鋼器の管理者たる資格はありません。今こそ帝国がその座を引き継ぐべきです」

「……だが『開封の御手』はどうする? 王家の血がなければ魔鋼器は動かぬ」

「お任せ下さい。その問題は既に解決済みです」


 皇帝は振り返り、アトパラを見つめた。褐色の肌、琥珀色の瞳。それは白い肌の皇帝から引き継いだものではない。アトパラは側室の子だった。その顔立ちは母親に良く似ている。


 帝位継承権第四位。士官学校を卒業後、軍内で実績を積み、将軍たちの信任も厚い。次期皇帝選出への布石を着実に打っているといえた。


「任せよう」

「は」

「だが。『ユピテル』を稼働させたのちは、今一度王国と交渉の場を設けよ。無闇に戦火を拡大することは許さぬ」

「……かしこまりました、父上」


 アトパラは深く一礼をしてから私室を辞した。表情には微かに不満が滲み出ていた。その後ろ姿を見送った皇帝は、一人残された私室で深く溜息をついた。


「若さ故。恐れを知らぬ、か……」



  —— ※ —— ※ ——



 ——大陸北部。帝都。


 大陸最大の国家である帝国の首都は、別名不夜城と呼ばれる。帝城の各所は魔鋼器によって照らされ、大通りには魔鋼器の街灯が等間隔に配置されている。貴族や富豪の館は勿論、一般市民の住居にもその恩恵は与えられ、夜になっても人々の往来が絶えることはない。


 その中でも商人たちの荷車の往来が特に多い。帝国は農作物の輸出の為に街道の整備や関所の撤廃に力を入れており、大陸における商業の中心地になりつつあった。昨今の不作により穀物の輸出は減少しているが、それでもなお多くの商人が集まっているのだ。


 都の東側には整地された広大な敷地が広がっている。照明の列が幾何学的な模様を描く様に設置されている。それは誘導灯である。ここは大陸でも珍しい『空港』だった。


 夜空を見上げれば厚い雲の下、魔鋼の光が見えた。今まさに着陸しようとしている船である。


 航空船。


 全長は五十メートルほどか。船種は輸送船である。幾つかの長方形を組み合わせた船体をしている。舷側から魔鋼の光を発しながら、誘導灯の間に着陸する。近くに控えていた作業員が輸送船に近づく。ややして後方の扉が開き、中から鉄騎兵が一列に並んで降りてくる。


 その様子をアトバラ・メジェルダは少し離れたところから見ていた。


「配置転換は順調か」

「はい、西部方面からの転換はほぼ終了です。トゥルカナ将軍麾下の水上艦隊もレマン海峡を抜けたとの報告が入っております」


 眼鏡をかけた女性武官が淡々と報告をする。アトパラは「結構」と頷くと、傍に控えていた四輪車に乗り込んだ。特に命令も無しに、後部座席に帝国皇子と女性武官を乗せた四輪車はゆっくりと発進する。


 停泊した輸送船の横を並走し、艦首を回り込む様に曲がる。視界には滑走路が広がり、その先にもう一隻の航空船が見えた。先程の輸送船よりも大きい。両側面に一列に並ぶ大砲群を装備しているのが見えた。航空軍艦だった。


「王国が発掘中の軍艦は二百メートル級とのことです。もし発掘が成功すれば、航空戦力のバランスは逆転します」

「そうだな」


 アトバラは遠くを見たまま応える。


「他国には魔鋼器の『開封』を渋り、自らは着々と『開封』して軍備を整える。それが王国のやり方だ」


 アトパラの言葉は、帝国における王国の対する潜在的な不満と不信を示していた。

 帝国が保有する航空軍艦は最大のものでも全長百五十メートル程度だ。航空艦自体の数も少ない。僅か一隻でもバランスは逆転する。極論、大砲の届かない高度から侵入されれば一隻で帝城を占拠することも可能だからだ。


 現在国境沿いに展開されている航空軍艦は無い。全てが後方待機となっている。この空港にも五隻の航空軍艦が停泊している。帝都防衛の為だ。


「先遣部隊は予定通りだな?」

「はい、既に国境を越えております。特にご命令がなければ明後日には攻撃を開始する予定です」

「結構」


 四輪車は停泊中の白い航空軍艦に接近する。架設されたタラップは四つ。内一つには長銃を装備した歩兵隊が護衛に配され、四輪車はその横に停車する。視界の横では大型の搬入口の扉が閉まりつつある。物資の搬入が終わり、離陸の準備を整えつつあった。慌ただしく作業員たちが行き交う。


「あとは任せる」

「はい、ご武運を」


 眼鏡の女性武官はアトパラを見送った。アトパラは歩兵隊の敬礼を答礼で返しつつタラップを上がる。


 艦内で皇子を出迎えたのは白服の一団だった。高低痩太、そして子供。いや子供では無い。子供のような大人だ。計五名。彼らは銘々に一礼をすると、通り過ぎるアトパラの後に付いて歩く。


「殊勝だな、博士」

「出迎えぐらいするですヨ、雇い主殿」


 子供のような大人がにはにはと笑いながら答える。女性だった。手先の見えない白い袖先でその童顔を擦る。雑に梳かれた髪を後ろで結わえている。


 五人は皆、鍔の無い帽子と裾の長い白いコートに身を包んでいる。帝国士官学校内に設置された施設の一つ、研究院。帝国における最高学府の一つであり、五人の服装はその所属員の制服であった。両大国の軍服を除けば、恐らく大陸で一番有名な制服である。


「王国では冷や飯食いでしたからナ。こうやって研究が続けられるのは皇子のお陰ですヨ」

「当然だ。魔鋼器の管理者を自認していながら、その研究者を冷遇する。王国のやり方は理解できん」

「『開封の御手』は王家の特権ですから。千年も秘儀として神聖視すれば、さもありなんというところですかナ」


 にはにはと博士が笑う。


「『荷物』はどうなっている」

「皆元気でありますヨ。予定通り予定どおり」


 通路の先には昇降機があった。大型艦とはいえ昇降機の中は狭い。アトパラと博士だけを乗せて扉が閉まる。上昇先は艦橋だ。


「今回の計画、要はお前たちだ。分かっているな」

「くふふ、大丈夫でありますヨ。あれだけの大型魔鋼器を弄る機会は滅多にないですカラ、願ったり叶ったりですヨ」

「遊びではないのだがな」

「古文書の解析は済んでおりますカラ。一発で稼働させてみせますヨ」


 昇降機が停止する。扉が開くと短い通路の先に艦橋が見えた。


「例のお味方とやらは合流地点に現れなかったとお聞きしましたヨ?」

「トラブルがあった様だ。何事も計画通りとは行かないものだ」

「んではお味方は無しの方向で?」

「まだそう決まった訳では無い。こちらへ向かってはいる様だ。合流地点を変更する」

「なるほど、来れば良いですナ」

「そう願いたいものだ」


 アトパラが艦橋へと入ると艦橋に詰める艦橋要員全員が敬礼をする。答礼。艦橋中央には艦長席ともう一つの座席が据えられており、アトパラはその座席に座った。


「艦長、先遣隊とは連絡が取れるな?」

「はっ。各隊、鉄騎兵を装備しております。遠隔通話が使えます」

「偵察隊に連絡だ。現地に例の王女が潜伏している可能性がある。捜索し、見つけ次第保護しろ。王国軍との交戦も許可する」

「はっ!」


 艦長は敬礼をし、後方の乗組員に通信の指示を出した。





 しばらくして。アトパラは宙に浮く感触を憶えた。それはすぐに急激な上昇感へと変わる。地上からの照明を浴びながら白い航空軍艦が夜空へと上昇し始めたのだ。魔鋼の光が線となって残り、それもやがて南の空へと消えていった。

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