【四】便利な物を使って何が悪い

 士官学校はその名の通り軍隊の士官・指揮官を育成する機関である。帝国においてはその範囲は広く、貴族階級の子弟に礼節や高等教育を施す学校でもあり、社交の場であり、また研究機関でもあった。帝国では十数年前の大乱で貴族の力が大きく後退したこともあり、裕福な市民階級や国外の王貴族の子弟も通う様になっている。


 帝国士官学校は王国を始めとする大陸の諸国家に比べて帝国の開明さを象徴する場でもあった。


 ——桜が舞い散る季節。


 エルツはぼんやりと窓の外を見ていた。授業は終わり、教室には生徒たちのかしましい音が満ちている。


 眼下を見る。校庭の一角の訓練場で二人の学生が試合をしている。お互い半月斧槍を構え、間合いを計っている。それは武術の訓練であるの同時に、鉄騎兵の訓練でもあった。帝国軍の鉄騎兵の主兵装は半月斧槍なので、同じ物を用いて訓練するのだ。


 防具は頭部まで覆っているので、ここからは顔は見えない。しかしエルツには二人が誰かは分かっていた。


 一度二度、中空で槍が交わった後、片方の生徒が踏み込んだ。槍の先端が相手の手首を狙い、外れる。槍は続いて横薙ぎ、更に足元を払うが、相手の足はそこになかった。ふわりと浮かんだ体勢から槍が振り下ろされ、木の鋭くかち合う音と共に槍が地を転がる。勝負は付いた。槍を落とした生徒が悔しそうに地面を拳で殴る。


「相変わらずフィーは弱いね」


 訓練場まで降りてきたエルツが、勝負のついた二人に声を掛けた。二人とはアトパラとフィエだった。


「訓練だからな。そういうこともある」

「そういことって?」

「花を持たせるってことさ」


 頭部の防具を脱いで、フィエは眉間に皺を寄せて微笑んだ。笑顔には見えない。


「そういうことらしいですけど、アトバラ?」

「貰えるものは遠慮無く戴いておくが、だからといって負けが無くなるわけではないな」


 もう一人の生徒、アトパラも頭部の防具を脱いで、ニヤリと笑顔を浮かべる。こちらは笑顔に見える。褐色の肌が映える。


 フェイもアトパラも武術の成績は上位の方だが、エルツが見ている範囲では二人の対戦成績はアトパラが大きく勝ち越している。アトパラは帝国の皇子。幼い頃から家庭教師がついて色々なことを学んでいる。そう思えば、庶民であるフィエは健闘しているといえなくもない。


 エルツはタオルを二枚持っていた。一枚をアトパラに渡す。アトパラが「ありがとう」と微笑むとエルツは顔を赤くした。赤くしてしまった。少し悔しい。この女たらしが、と心の中で毒づく。もう一枚はフィエに渡す。今度はフィエが顔を赤らめたが、エルツは見てなかった。


「昼食にしよう? 食堂混んじゃう」

「ああ、そうだな。今日は肉が食べたい気分だ」

「帝国の皇子様が毒味役も無しに食事するとか、お前本当に皇子様?」

「本当だとも。その証拠に帝国の機密を教えよう。帝国皇子の財布は小遣い制なんだ。今月はあと千ギルダンしか残っていない」


 千ギルダンといえば、普通の食堂で外食一回したら無くなってしまう金額だ。


「夢の無い話だなー」

「それが新しい世界ってことさ」


 アトパラは屈託無く笑ってみせた。



  —— ※ —— ※ ——



「まさか王国のお姫さまだったとはね」

「そういえば話してなかったね」


 森の中、緩やかに傾斜している獣道を歩く。フィエが先導し、エルツが後に続く。この先は辺りが見渡せる丘になっているはずだ。途中に大木のように太い金属柱が現れ、フェイは右回りエルツは左回りで進む。


 士官学校留学時には身分を隠し、王国貴族の子女ということにしてあった。帝国においては身分制度は緩い。学校内外に護衛兵は配置されていたが、帝国皇子ですら校内であれば一人で闊歩する風土である。王家の人間はその特殊能力故に、常に狙われている。王族よりは一介の貴族と名乗った方が安全だろうとの判断だった。もっとも身分の高い人間、つまり王族と面識のある層にとっては『見て見ぬふり』なことだったが。


 フィエは知らなかった。彼は孤児だった。孤児院で育ち、金も身分も無かったが成績優秀として士官学校への入学が認められた。帝国のそういうところがエルツは好きだった。王国では考えられない。


「フィーは軍人になったのかと思ってた」

「んー、なったことにはなったけど、辞めた」

「で、傭兵?」

「そう。悲しいかな、食べる為にはね」


 フィエは肩を竦めて見せた。そういえば昔から『働きたくないでござる』が口癖だった。怠け癖があるとまでは言わないが、だらけ癖はある。それがエルツの印象だった。


 傭兵ギルド、傭兵団といってもその仕事内容は多岐に渡る。商隊や村落の護衛、その名の通り軍隊に同道しての戦闘行為や一攫千金を夢見て未踏地域への冒険等々。荒くれ者、犯罪者紛いの連中もいる一方、その力を認められて国家から仕事を受ける者たちもいる。


 身分制度が未だ厳しい王国においては、大陸を自由に往来する傭兵団は一種羨望で見られる職業でもあった。


 森を抜け、丘の上へ到着する。反対側は崖になっていて川が流れている。先程の川だろう。周囲には雪化粧をした森が広がっている。北から東には回り込む様に国境の山々が連なっている。今は見えないが西には昼間に逃げ出してきた穀倉地帯、南へ森を抜け平原の遙か先には王都が存在する。


 エルツは東の山々を見つめ、懐から折り畳まれた紙を取り出し広げた。


「見て」


 それは地図だった。海岸線や河川が精緻な線で描かれ、山脈や森、沼地といった地勢が色分けされている。その上に主要な街道や都市の位置も記されている。一通り目を通せば分かる。これは、その国境沿いの地域の地図だ。


「これどうしたんだよ」

「もちろん持ってきたの。行きがけの駄賃ってヤツね。そういえばお駄賃って初めて貰うわ、新鮮」

「どこから」

「家から」

「家」


 家。王女様の家とは。フィエの口角が下がる。


 精密な地図は重要な戦略情報であり、国家機密でもある。それも国境沿いのものともなれば、王族といえど閲覧は兎も角、持ち出しが許されるとは思えない。


「お前……本当に親父さんとやりあうつもりか?」

「そりゃ勿論。言っておくけど昨日今日思いついたことじゃないわよ。もう一年以上、この件に関してはやり合ってるのよ」


 その上で決心した。エルツは言外にそう示していた。


「やめる?」

「……いや、前金は貰ってるしな。仕事は最後までやるのがオレたちの主義だ」

フィエは溜息をつき、それから表情を引き締めた。

「そう」


 エルツはじっとフィエの表情を見つめ、しかしつまらなさそうに再び地図へ視線を落とした。フィエもその横に並び、地図を覗き込む。そんなに近寄るな。スミマセン。

 地図に少し目を落とせば、大体の位置関係は把握出来た。今フィエたちがいる丘、そこから東に向かえば山脈があり、更にその先には大きな記号が記されている。アイドウシチナ発掘抗。王家の直轄領にして王国内でも有数の大型発掘抗だ。


「そこに何があるんだ?」

「『ユピテル』よ」


 雪が降り始めた。エルツは暗天を見上げる。白い点がゆっくりと螺旋を描いて舞い降りてくる。吐く息は白い。


「ここ数年、寒冷化が進んでいるの。南にある王国はまだそれほど影響に受けてないけど、帝国では不作が続いているわ」


 フィエもその話は何となく聞いていた。帝国は大陸に置ける穀物の生産国だ。最近麦の値段が上がりっぱなしなのは、帝国からの輸出量が減っているからだ。


「王国の伝記にも記されてる伝説の魔鋼器、それが『ユピテル』。かつて王国を見舞った大災害を封じ、砂漠を肥沃の大地へと変えたと詠われているわ」

「それでこの『冬』をどうにかすると」


 フィエは目の前に掌を持ち上げる。その上に雪が降り、溶ける。


「帝国は『ユピテル』の使用を求めたけど、父様は拒否している。だったら私がやるしかないわ」

「なんで拒否してるのかね?」

「くだらない理由よ! 国同士の駆け引きとか言って、帝国に魔鋼器の発掘を控えるように言っているのよ。そうやっている内に、どんどん寒冷化は進んでいるのに!」

「なるほど」


 フィエは納得した。王国はこれを機に帝国に言い分を飲ませようとしているのか。そりゃ揉めるわな。


「この先に峠があるの。そこまで連れて行って欲しい」

「発掘抗じゃなくって?」

「一人じゃ何も出来ないわ。そこで同志と合流するの」

「同志?」

「アトバラ・メジェルダよ。彼と協力して『ユピテル』を起動させるつもりなの」


 エルツは地図を見たまま、フィエの方には向かずに応えた。フィエが見たエルツの横顔はいつも通りで、少しだけ瞳が揺れていた。アトパラ・メジェルダ、その名は帝国士官学校時代の同期生であり、帝国現皇帝の第四皇子でもある。


 フィエは見上げて鼻から息を吐いた。白い。まだ秋だというのにめっきり冷え込んでいる。


 アトパラ、アトパラか。この名前をここで聞くとは、実を言えば全く予想していなかった訳ではない。つまり王国の古いしきたりに反して、王女は帝国に協力する。その為に知己であるアトパラを頼った。そういうことだ。


 しかも単なる知己では無い。フィエがエルツに好意を持っていた様に、エルツはアトパラに好意を抱いていた。士官学校時代の交友関係とは、そういう関係だった。そう考えるとフィエは複雑だった。


 エルツは地図を折り畳み、振り向いた。じっと見つめる瞳に揺らぎは、ない。


「……やめる?」

「いや? 約束は守る。それが流儀だ」


 フィエは即答だった。エルツは目を丸くし、間を置いて、微笑んだ。「ありがとう」



  —— ※ —— ※ ——



 「おおーっ」


 マラウイが歓声を上げる。エルツの手元で金属の棒が淡く光っていた。金属の棒は十センチほどの長さで、先端の方にスリットが刻まれている。マラウイが以前市場で買い求めた『魔鋼器』だ。動かないので二束三文だった。


 エルツが金属の棒に触れると、金属の棒は先端のスリットから青い光を発し始めた。王家の者だけが持つ特殊能力『開封の御手』だ。皆、実際にそれを見るのは初めてだ。


「はい」

「おー、すげー! どうやって使うんだろぅ?」


 マラウイは興奮していた。先端が発光する金属の棒を受け取ると、しげしげと眺め、ぶんぶんと振る。何がキッカケになったのか、突然先端部から棒を延長する様に光の線が同じ長さ分だけ伸びた。光の線に少し指を近づける。熱い。


 マラウイは金属の棒を剣のように構えると、横に薙いだ。カシュ、と金属が焼ける音共に、焚火の上に吊された深鍋の底が斬り落ちる。フィエとタハトが歓声を上げた。一人ユングだけが、斬られた鍋を悲しそうな目で見ていた。


「お前イイ奴だなっ!」

「なんのなんの」


 エルツは得意気に鼻息を吹かせた。マラウイはそのエルツをキラキラした目で見上げる。さっきまでのモヤモヤしていた気持ちはどこかへ行っていた。マラウイは単純だった。


「たったこれだけのことで使える様になるんだから、もっと積極的に魔鋼器を発掘するべきなのよ」

「そうだな! 魔鋼器便利だし、良いことだな!」

「そうそう。それをあのクソ親父はさー、頑固過ぎてねー」

「それはクソだな、クソ」

「そうなのよ。分かってくれて嬉しい!」


 女二人でどんどん盛り上がっていくのを、男三人が遠巻きに眺めている。これはヘタに介入すると火の粉が飛び移ってくる案件だ。黙っているに限る。


「……本当に良かったのか?」


 フィエはユングに話しかける。この仕事、多分割には合わない。それをフィエの希望で受けたのだ。惚れた弱みだと言われるとぐうの音も出ない。


「いいさ。ちょっと気になっていることもあるしね」

「気になるって?」


 ユングはそれには答えなかった。ただ上を向いて、降ってくる雪を眺めている。


「このまま目的地まで辿り着けるか、それで終わればいいけどね……」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る