【二】振った少女と振られた少年
五十年前。大陸北方に一つの国家が生まれた。
——帝国。
帝国は二つの意味で革新的だった。一つは、自ら開発した新しい農業技術による農作物の収穫量増大。もう一つは、魔鋼器の集約導入による大量生産の実現である。
帝国による農作物の大量生産と安定供給は、大陸から飢饉を駆逐したとさえ言われた。新興国でありながら、帝国は王国に並ぶ大国となったのである。
大陸の北方。
大陸一の大河、ジフ河がゆったりと流れる広大な平野には、整然と区画整理された農地が広がっている。大陸随一の穀倉地帯であり、ここで収穫された穀物は大陸各地へと出荷されていく。
長麦であれば、長い柱を前面に押し立てて麦を刈る奇妙な形をした専用の魔鋼器によって収穫される。それが夏が終わり秋に移り変わるこの時期の光景である。
今は、見られない。代わりに見えるのは薄暗い雲の下、農地を貫く街道を行く軍隊の長い列だった。
ヴィクトリア駐屯地。
帝国の南端、王国との国境沿いに設営された駐屯地には、帝国各地から軍勢が集結しつつあった。歩兵、騎兵が整然と行進し、その横を物資を積んだ荷車が通り過ぎていく。荷車を引くのは馬だけではない。淡い光を車輪から発する四輪車や二輪車も往来している。
そして人型の巨人、鉄騎兵もまた数多く駐機している。百機、いや二百機か。
装甲は直線的な意匠をしていて、少しずつ異なる部分はあるものの基本的には同型に見える。武装は半月斧槍で統一されていた。
「壮観と言うべきかな」
駐屯地の北側、小高い丘に建設された館からその光景を見つめる眼差しがあった。初老の男性の軍服には、彼の軍歴を讃える勲章によって彩られている。
「これほどの鉄騎兵を見るのは初めてです」
副官の若い将校が興奮した様子で語る。そうだろう。帝国軍の保有する約四分の一の機体がここに集結している。一度に動員できる最大数と言って良い。皇帝の戴冠式ですらここまでの数を揃えたことはないのだ。
それだけに。
初老の将軍の眼差しには、疲れにも似た光が宿っていた。皇帝陛下は本気で王国を滅ぼすおつもりなのか。王国は千年の歴史を持つ大国である。一体どれだけの損害が出るのか……。
確かに、王国との仲はけして良いものとは言えなかった。なぜなら王国は『魔鋼器』の継承者を自認する国家であるからだ。旧文明の遺産である魔鋼器。それが発掘される発掘抗は大陸の南——王国領に多く分布する上に、発掘された魔鋼器は王家の者の『開封の御手』を受けないと動作しない——。王国、いや王家はその特殊能力によって、大陸における魔鋼器の流通量を制御している。
そして、その流通量はけして多くない。魔鋼器の集中かつ大量使用によって国勢を発展させてきた帝国とは、そもそもの方針が異なる。今居並ぶ大量の鉄騎兵や農作業に使う耕作機械も、帝国がその財力を持って大陸全土から必死に買い集めたものだ。それでも足りない。もっと魔鋼器があれば……そういう空気は帝国上層部に常に渦巻いている。仲が悪いのも当然といえば当然である。
「各隊指揮官を集めよ。軍議を行う。これだけの鉄騎兵を運用するのだ、今までの様にはいかぬぞ」
窓の外では、また雪が降り始めていた。
—— ※ —— ※ ——
月夜だった。
森の中を流れる小川は、上流から流されてきた大きな岩の間を縫うように流れている。その流れは急で、所々で飛沫を立てている。
エルツは足を浸した。
雪解けが混じっているからだろうか、水には芯に染みる冷たさがあった。一瞬躊躇ったが、汗ばんだ身体を拭いたいという欲求が勝った。岩場の間の水溜まりに身を浸し、肌にまとわりつく汗を拭う。
近くの岩場にはシャツとズボンが綺麗に畳まれていて、ブーツと紫色の軍帽が揃えられている。周囲に人の気配は無い。
その長い金色の髪まで水に浸せば、いよいよ冷たさも限界だった。一度ざぶんと潜ってから岩場に上がり、借りた手拭いで露を払う。
染み入る寒さ。エルツは思い出していた。
帝国の士官学校に留学していた時の、あれは雪中行軍の訓練だった。吹雪く雪山を、自分の体重より重いんじゃ無いかという装備品を背負って歩いた。いや彷徨うといった方が正しいか。あれは本当の遭難の一歩手前だったと今でも思う。上手くはぐらかされたが、あの後試験官の何人かの姿を見なくなった。首になったのだろう。
あの時。
強く吹き付ける風雪が益々強くなり、前を歩く仲間の姿が見えなくなり、後ろを振り返れば今さっきつけたはずの自分の足跡すら降り積もる雪に埋まっていく。
身体の重みに足が耐えられなくなり、雪上に両手をついたその時。
『……助けが欲しいのか?』
エルツの前に手が差し伸べられた。それはさっきまで前を歩いていた仲間ではなく、更にその先を歩いていたはずの二人の少年だった。
一人は褐色の肌の少年。帝国の皇子、アトバラ・メジェルダ。もう一人は、あの深紅の鉄騎兵に乗っていた短髪の少年。名前をフィエ・アルシアニといった。
—— ※ —— ※ ——
昼間は雪が降っていたが、今は止んでいる。
木々の間から水の流れる音が聞こえる。近くを流れる小川の音だ。可翔機は近くの木々を薙ぎ倒し、地面を削って止まっていた。
可翔機の胴体と思われる部分が内側から開き、中から人が出てくる。
深紅の鉄騎兵を操縦していた少年、フィエ・アルシアニだった。
フェイは溜息をついて空を見上げた。見えるのは木の枝と月光のみ。再び視線を落とし、可翔機の上部ににじり昇る。そこにあるプロペラの根本を覗き込む。プロペラの基部は空を飛んでいた時は淡く光っていたが、今は金属の地金を剝き出しにして僅かに月光を反射するのみで動き出す気配は感じられない。
『魔鋼』。
かつては地に天高くそびえる塔の群れを築き、空の彼方まで旅したという旧文明が造りだした『力を生む金属』。今は失われ、発掘抗と呼ばれる遺跡から発掘されるのみの技術である。
発掘されるだけとはいえ、馬が無くとも動く四輪車や火が無くとも光る照明器など、今でも人々の生活に大きな恩恵をもたらしている。かの帝都の街灯全てが魔鋼器であることは有名な話だ。金や銀を掘る様に、魔鋼器を掘り出すことは今の人々にとって重要な産業の一つなのだ。
可翔機は麦畑で深紅の鉄騎兵を回収した後、この森の直上で動力を失って落下した。外装に目立った損傷は無いが、所定の操作をしてもプロペラは動作しない。
壊れた。
直すことは出来る。正確には交換だ。壊れた部品を同じく発掘された部品で交換する。そうやって魔鋼器は維持されていくのだ。しかし今は魔鋼器に詳しい技師はいないし、そうしている余裕もない。置いていくしか無い。後で回収しに来るまでに他の誰かに盗まれないことを祈るだけだ。もっともこれだけの重量物、鉄騎兵でも無ければ動かすことも出来ないが。
フィエは可翔機の上から降り、小川の方へと降りていく。
木々の間を抜けていくと、低い枝に服が掛けてあった。仕立ての良い紫色の軍服。
それが何か、これ以上先に進んではならないという風に眼前を塞いでいる。フィエはゆっくりと身体を屈め、暖簾を潜るように紫色の軍服の下を通り過ぎ。
「何しているの」
後ろから声が掛かったので、そのまま戻った。枝に掛かった軍服を降ろし、つつつと差し出した先には白いシャツを着たエルツがいた。
「見たいの?」
エルツが胸に手を当てると、少年は激しく首を振る。
「違う、そうじゃない。それは浪漫が無い」
その浪漫とやらがエルツには全く分からない。差し出された軍服を受取り、袖を通す。
「見たいならそういえば良いのに」
「……言ったら、見せてくれるのか?」
浪漫とやらはどこへ行った? エルツは溜息をつく。
「振られた相手に臆面も無くそう言える神経だけは評価するわ」
「振った相手をそうやって弄んで楽しいんですかね……」
「楽しい」
満面の笑顔を浮かべるエルツ。それを見てフィエはただ苦笑いするしか無かった。
「久しぶりね」
「そうだな」
少年と少女は微笑んだ。三年ぶりの再会だった。
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