青い光のエルツ

沙崎あやし

本編

【一】鉄騎兵と少女

 空は、薄暗い雲によって薄く包まれている。

わずかに残った青い部分を一筋の星が流れていく。空を駆けるそれを見る者は無く、やがて空の全てが雲に覆われていき。


 そして、雪が降り始めた。





 長麦は少女の背丈以上に伸びる品種である。穂が出て麦の乾いた匂いを掻き分ける様に、少女は麦畑の中を逃げていた。


 荒い息は白い。紫色の軍帽と軍服。後ろで束ねた美しい金髪には麦の枯れ葉が纏わり付き、右手には短銃が握られている。


 不意に。


 直径一メートル、高さ十メートルはある金属製の柱が目の前に現れた。ぶつかる寸前で慌てて身を翻し、麦の根本を折り砕きながら何とか体勢を整える。ふらつきながらも走る。息は白さを増し、その逃げる軌跡は上から見れば大きな弧を描いていた。どこへ逃げるのか。


 いや逃げているのでは無い。彼女—エルツ—は目的地に向かって走っていた。





 麦畑と麦畑の間。

長く真っ直ぐ伸びる道は、直角に伸びる道と交差し、更に伸びて広大な麦畑を美しく長方形に分割している。雪は、その収穫間近な穂の上へと降り積もっていく。


 エルツは麦畑から十字路上に飛び出る。その足が止まった。

 飛び出した道には長銃を構えた兵士が待ち受けていた。右と左、それぞれに三名ずつ等間隔に並んでいる。銃口はまだ地面を向いていたが、いつでも射撃体勢を取れるようにエルツを睨んでいる。


「……!?」


 エルツは振り返る。金属の軋む音。続いて、巨大な人影が麦畑より歩み出た。高さは五メートルほど。その影が少女に落ちる。


 全身は金属で出来ており、まるで騎士の甲冑の様に見えた。肘や膝の関節から淡い光が洩れ、その鋼の身体を動かしていく。その光は青い。低く唸るような駆動音が関節が動く度に鳴る。それは幾つも重なって交響曲の様に響いた。


「鉄騎兵か」


 エルツが思わず呟く。旧文明の遺産、人型の『魔鋼器』だ。この大陸において戦の勝敗を左右しうる主力兵器である。


 黒く塗装された鉄騎兵、その胸の部分が跳ね上がった。中には人が乗っている。壮年の士官だった。白髪交じりの黒髪と眉間の皺が苦労人だと思わせる。右肩には黒い肩章をつけている。それは王家親衛隊である七虹大隊の所属であることを示している。


「姫、お戻り下さい。皆心配されております」

「父君の命か、インヴァネス?」

「そうです、国王陛下の命です。『ユピテル』のことは諦めて戻る様にと」

「あのクソ親父ッ!」

「……、姫。差し出がましい様ですが、言葉使いには気をつけられた方が。帝国に留学なされてから特に悪うなられました」

「帝国訛りなのよ、ごめんなさいね」


 エルツの視線がインヴァネスと呼んだ士官を貫く。彼は、目を閉じた。眉間に更に皺が寄る。僅かな間。


「丁重にお連れしろ」


 再び開かれた瞳に感情は無かった。それは軍人の目だった。兵士たちが銃口は下げたまま、ゆっくりと少女へと歩み寄る。少女は周りを見回し、途端、真っ直ぐに駆け出した。前、黒い鉄騎兵の方へ向かってだ。


「何っ?」


 インヴァネスは慌てて胸部装甲を閉じる。と同時にエルツは鉄騎兵の足元に辿り着いていた。右手の短銃で狙う。のではなく、左手で鉄騎兵の足に触る。


「『止まれ』!」


 エルツが叫ぶ。


「しまった!」


 インヴァネスが操縦席で舌打ちするが遅い。エルツの叫びと同時に、操縦席を照らしていた明かりや外の様子を映す三枚の画面の全てから光が消えた。関節部や頭部の目や耳に相当する部分から発していた青い光や駆動音も消え、鉄騎兵は意識を失った人間の様にゆっくりと倒れ込んだ。


「王家の力か」


 旧文明の遺産『魔鋼器』。その動力を開封・封印させる『力』。それは王家の血筋のみが持つ特殊能力であり、故に王族だった。


 エルツは停止した鉄騎兵の脇を擦り抜け、再び麦畑の中へと飛び込んだ。兵士たちが慌てて追い掛ける。

 麦畑を逃げるエルツ。兵士の方が速い。エルツの背を先頭の兵士が捉えた時、金属の柱が現れた。エルツはその脇を擦り抜けると同時に、柱に触れ、


「『動け』!」


 と叫んだ。すると金属の柱に青い光が灯る。根本から天辺に向けて四本の光の線が走り、ガコッと外側に広がったかと思うと、その出来た隙間から大量の水が噴き出し始めた。その水の幕がエルツの後を追ってきた兵士たちを直撃する。


「うわっぷ!」


 兵士たちの何人かが、その水圧に体勢を崩し転倒した。転倒しなかった者も水流に視界を遮られ、エルツを見失った。


 「はッ…はッ……」


 エルツはそのまま走り続け、麦畑を抜けた。さっきとは別の道へと出る。追い掛けてくる気配は無い。しかし、既にそこには別の追っ手が待ち受けていた。右手に歩兵や騎兵。左手に黒い鉄騎兵。囲まれていた。


 不意に。雪が揺れる。

エルツは顔を上げた。何かが聞こえる。


 麦畑、そこから伸びる金属の柱。その直線上に黒い物体が浮かんでいた。雪降る幕の向こうから、それはあっという間に大きくなり、轟音と共に少女の真上を飛び去った。


 少女は見たことがあった。左右に細長い金属の箱、上には風車の羽根の様なものが付いて回転している。それは空を飛ぶ魔鋼器だった。


「可翔機だと?!」


 兵士たちは思わず叫んだ。可翔機は麦畑の上を旋回しつつ高度を落とし、再びエルツの上を通過していく。通過する前に、何かを落として。


 それは麦畑に落ちると、両脚で麦と土を削りながら、エルツと黒い鉄騎兵の間に滑り込む。後方へ伸びる角を生やした、それは深紅の鉄騎兵だった。


 高い駆動音が相手を威嚇するかの様に響く。黒い鉄騎兵が大剣を抜く前に、深紅の鉄騎兵は長棍を振るった。鈍い金属音と共に大剣が宙を舞う。


 更に長棍は相手の胸部を打突し、体勢が揺らぎ足が伸び切ったところを正面から右膝を貫き、砕いた。関節から発していた淡い青い光が消失し、黒い鉄騎兵は横転し擱坐した。あっという間だった。


 周囲の兵士たちは混乱していた。着陸の衝撃で騎兵の馬は混乱し、兵士も鉄騎兵に向かって長銃を構える者もいたが、発砲は躊躇った。射線上にエルツがいた。


 深紅の鉄騎兵はエルツの方へと旋回すると、その前で膝をついた。胸部装甲が上方にスライドし、操縦者が姿を現す。


「エルツ・スレドナ・スナイフェルスだな?」


 少年だった。恐らくはエルツと同い年ぐらいの。エルツはその青い目を見開く。


「……貴方は」

「お前を助けに来た」


 少年は名乗らず手を伸ばした。少女に向けて伸ばされた右手。エルツは躊躇いなくその手を掴んだ。


 再び轟音が近づいてくる。先程の可翔機だ。

 深紅の鉄騎兵は少年と少女を乗せると、直上を通過する可翔機へ向けて跳躍し、下部に生えたハンドルを掴んだ。可翔機の高度が落ち、しかし一気に加速して麦畑の上を飛び去った。あっという間に黒い雲と雪がその姿を隠してしまう。その先には、遠く雪化粧をした山脈がそびえ立っている。



  —— ※ —— ※ ——



「姫……それは荊の道ですぞ」


 可翔機が飛び去った方向をじっと見つめていたインヴァネスは、何かを振り切る様に視線を切った。後ろでは部下たちが集結しつつある。


「各員撤収準備。輸送車をこちらに回させろ。それと傭兵ギルドを呼び出せ。可翔機とあの赤い鉄騎兵の出所を確認させるんだ!」


 静かに、雪は降り続いていた。



  —— ※ —— ※ ——



 エルツは可翔機の窓から地表を流れていく麦畑を見つめながら、ふと昔のことを思い出していた。


 ——それは地下深く。鋼で出来た聖堂の様な所だったと憶えている。


 高い天井から淡い青い光が降り注ぎ、二人の足音だけがカツンカツンと響いていた。幼い私は父に手を引かれ、鋼の柱の間を歩いていく。父と会うのは久しぶりだったし、二人きりというのは記憶に無いぐらい珍しいことだった。嬉しかった私は、母に教えて貰った羊追い歌を歌っていた。父は時折私の方を見ながら、私の歩幅に合わせるようにゆっくりと聖堂の奧へと向かっていた。


「見なさい、エルツ」


 聖堂の奧に到着した。そこには巨大なパイプオルガンが置かれていた。いや本当はパイプオルガンではない。当時の私にはそうとしか見えなかったのだ。


「これが旧文明の遺産。我々王家の者が守るべきものなのだよ」


 今の私には分かる。それは巨大な『魔鋼器』の制御盤だったのだ。父は制御盤に手を触れる。すると制御盤は青い光を発し始めた。合わせて聖堂自体が細かく震える。


「きれいだね、父様」

「ああ、そうだな」


 父が柔らかく微笑む。私を持ち上げ、私の手を制御盤に触れさせる。触った場所が一際光り、ポンと音がする。今度は自分で別の場所を触れる。また光り、音がする。私は楽しくなって、あちこちと両手で触り、笑った。


 父はその様子をしばらく見ていたが、やがて私の手を取って止めさせた。ゆっくりと制御盤から光が消え、また静寂が聖堂に訪れる。


「だがみだりに使ってはいけないよ。大きな力は使い方を誤れば大きな危機をもたらす。我ら王家の人間はよく考えて行動しなくてはならない」

「うん!」


 元気よく返事する私。もちろんまだ幼かった私にはその言葉の意味は全く理解していない。父もそれは分かっているのだろう。うんうんと頷きながら、私の頭を撫でてくれた。

 私がその言葉の意味を知るのは、それから十年ほど経ってからのことになる。

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