第2話 紅葉狩り

 家の周りの木々が葉を黄や赤に色付け始めていた。

 簡易的な花壇に気が向いて植えた球根は、乾燥しないように気をつけつつ井戸の水をやってはいるが、森の木々とは異なり、未だ変化はない。開花は遠そうである。


「そろそろ炬燵こたつも準備しておくべきか」

「こたつ……もうそんな時期なんですか」


 最近、何かと忙しかったようであるたちばなは、あまり外の様子に気を払っていないのか、ぼんやりとそのようなことをつぶやく。

 冬が近づく季節ということで、こちらも少しばかり忙しかったが、部屋にこもりきりで作業をしなければならない橘に比べると、外に出る分、季節感を肌で感じることができた。


「まだ紅葉狩りって感じでもないし、時期的には炬燵は少し早いかもしれないけどね」


 とは言ったが、朝や夜の冷え込みは無視できるものではない。

 空調や暖房器具を無暗に使うと身体に負担が掛かるため、気をつけなければならないが、冷え込みが激しくなる前に備えることは重要なことである。

 そろそろ炬燵を出すことに橘も異存はないだろう。


「紅葉狩りかぁ……うーん……あり、かな」


 手癖なのか、ソファの上で長い金髪をいじりながら何かを考え込む橘。

 どうやら関心事は炬燵ではなく、紅葉狩りのようである。

 今時の子、と言っても差し支えはないであろう橘が紅葉狩りに関心を示すのは少し意外であった。友だち同士で行くならまだしも、共に行くとすれば俺である。

 純粋に紅葉狩りに興味がある可能性もあるが、一日中パソコンの前にいることも多い橘が、外の世界に興味を抱くというのは、今までのことを考えると唐突とうとつな心境の変化のように感じられた。


「紅葉狩り、興味あるの?」

「ええ、少し。綺麗でしょうし、になりそうですから。動画にしたいんです」


 そう言えば、と思い出す。

 橘は少し前からカメラに興味があるようだった。使っているところは見たことがないが、複数のカメラが欲しいと言っていたのは覚えている。

 もしかしてずっと使う機会をうかがっていたのだろうか。

 それならば少しだけ悪い気がしてくる。あまり外の遊びには興味がないのだろうかと思い、そう言ったものは殆ど提案していなかった。これからカメラを使って色々やりたいと橘が言うのであれば、いろんな場所へと連れて行きたいと思う。


「ちょっと遠くて寒くなるけど、紅葉が見ごろな場所があるよ。もし行きたいなら今から行ってみる?」

「え。良いんですか? 迷惑じゃありませんか?」

「いいのいいの。大した手間でもないし、こういうのは思い立ったら行動するのが良いからね。後回しにすると、やらない理由ばっかり見つけちゃうようになるから」


 これは体験談である。

 一回後回しにしてしまったことは中々実行できない。やらない理由ばかりを探してしまうものである。

 なので、橘がカメラに興味を抱いた今すぐに行動を起こせば、もしかしたら今後カメラという趣味に橘が目覚めるかもしれない。パソコンが悪い、というわけではないが、趣味は多ければ多い程、楽しいものである。

 それに、運動も兼ねてアウトドアの趣味を一つでも見つけて貰えれば安心する、なんて考えるのは年寄り臭いだろうか。


「えっと、じゃあ、その、お願いしても良いですか?」

「勿論。折角せっかくだし、お昼の準備もしておくから、橘さんは自分の準備をしてて」


 ソファから立ち上がり早足でリビングから二階へと準備に向かう橘を見送った。

 橘が出かける準備をしている間に昼食の弁当を用意する。こういうときは手作りよりも店の見た目が綺麗な弁当の方が雰囲気が出るだろう。かなり豪華な秋の行楽向け弁当と市販のペットボトルのお茶を2人分用意する。

 重量感のある豪華な弁当に満足してうなずくと、キッチンへと向かい割りばしと風呂敷を棚から探し出す。弁当と割り箸を風呂敷の上に置き、持ち運びのために包み込む。季節感に合うように少し派手な赤い色合いのものを選んだが、紅葉の中ならばえるだろう。

 弁当の準備を終えたが、二階でばたばたと物音が聞こえることから判断するに、橘は未だ準備をしているようである。

 少しぬるめのお茶を出すと、それを飲みながらゆっくりと橘が準備を終えるのを待った。




―――




 紅葉狩りに限らず、行楽はその道中も楽しむものである、というのが持論だ。

 見慣れた光景から見慣れない光景へと次第に変わっていき、日常から非日常へと移ろうことで気分も盛り上がっていくものである。いきなり目的地に着いてしまっては、気分を最高潮に持って行くのは難しいだろう。


「……なんでヘリコプター?」

「いや、テンション上がるかな、って」


 家の近くに準備したヘリコプターを見ながら、何とも言えない表情で橘がたずねてきた。

 準備を終え、家の外に出てきた橘は、良く言えば素朴な、悪く言えば洒落しゃれっ気が無い服装だった。あまり女性のお洒落に詳しいわけではないが、そんな俺でももう少し着飾っても良いような気がするレベルのお洒落である。それでも似合ってはいるから素材の味を活かした、とでも表現した方が適切なのだろうか。

 当初、軽飛行機での飛行を計画していたのだが、目的地周辺に軽飛行機が着陸するだけの十分な空間があるのか不明だったため、場所を確保しやすいヘリコプターでの移動に変更した。


「た、確かに貴重な体験、ですが」


 どうやらあまりお気に召さなかったようである。

 確かに、事故をしないとは断言できるが、かと言って無免許が運転席に座るヘリコプターに乗りたいかと言われると微妙なところであろう。法律以前に安全性の問題がある。

 大人しく橘の言葉を受け入れ、別の移動手段を用意する。


「……なんでドラゴン?」

「いや、テンション上がるかな、って」


 凶悪な表情でよだれを口から垂らしたドラゴンがこちらをにらむように眼前に居座っていた。うろこを有する爬虫類はちゅうるいのような見た目でありながら、その大きさは四本の足で立ち上がるだけでこちらの身長を優に超える。普段使うドラゴンよりはかなり小型であるが、十分だろう。

 ドラゴンであれば航空機と異なり、多少強引に木々を倒しながら着陸することも可能である。ついでに空中で他のモンスターが近づいてくることもないため、快適な空の旅を楽しむことが可能だろう。

 これは合理的な選択ではないかと満足した表情で橘の顔を見る。


「ドラ、ゴン」


 目の前の生物の巨大さとその凶悪な表情に橘は本能的な恐怖を覚えるのか、ドラゴンを悩むようにじっと見つめると少しだけ後ずさる。

 この反応は恐怖を覚えているというより引いているだけかもしれないが。


「やめておく?」

「いえ、乗り心地とか問題なさそうなら、ドラゴンでお願いしたいです」


 自身の中の恐怖心と何かを天秤てんびんにかけ、ぎりぎり恐怖心に何かが勝ったような、決意を秘めた表情で橘がそう言った。どんな覚悟がそこにあるのかはわからないが、その覚悟を無駄にするわけにはいかない。

 ドラゴンの背中にくら、と呼ぶには大きすぎるものを取りつけ、人間が乗れる状態にする。

 先にドラゴンの上に乗って荷物を置いてから、橘へと手を差し出した。


「さ、どうぞ」


 もう少し若い男がやれば白馬の上から手を差し出す王子様として絵にもなるのだろうが、残念ながら橘に対して王子様を主張できるような年齢ではない。精々せいぜい、運転手とお嬢様というところだろう。

 こちらの手を取って竜上に乗る橘は、贔屓目ひいきめを抜きにしても十分以上に美しく、想像上のお嬢様と表現するのにふさわしい。もっとも、本物のお嬢様をそう表現するのはいささか不適切ではあるが。


「ありがとうございます」


 慣れた様子でこちらの手を取り、橘がドラゴンの上に乗る。ドラゴンの上は馬上よりも広く、馬車よりは狭い。2人とその荷物が乗る分には何ら問題はないが、くつろぐには少し狭さを感じるだろう。

 個人的には旅先へは完全には寛げない程度の移動手段が好ましいと思っている。多少の窮屈さを感じながら移動し、目的地へと着くと同時にその窮屈さから解放され、非日常に放り出されることで気分も盛り上がるからだ。


「落ちないようにはしてるけど、問題はなさそう?」

「大丈夫みたいです」


 橘は乗り心地を確かめたかと思えば、すぐさま荷物の中からカメラを取り出した。

 余程カメラを使ってみたかったようである。これならば余計な気を回さずとも、自ら外に出てカメラを使ってみたい、と言い出すのもそう遠い話ではないかもしれない。


「じゃあ、飛ぶよ」


 ドラゴンの体を軽く撫でると、ゆっくりと翼を羽ばたかせながら浮上していく。

 まるで羽ばたいているとは思えない緩やかな浮上であるが、実際、ドラゴンは魔法の力によって浮上しているので、そこまで可笑おかしな話ではない。無論、野生のドラゴンはそこまで背中に気を遣ったような浮上はしないため、もっと乱暴な浮上になりはするが。

 風除けや寒さ対策は一通り施しており、高度が上がって雲が近くなってもわずかな寒さと風を感じる程度で、大きな問題はない。今回の旅も順調そうである。

 橘は飛び始めこそカメラを構えたまま動かなくなっていたが、慣れてきたのか全方位にカメラを動かしたり、鞍のふちまで行って眼下の光景を撮影したり、段々とせわしなく動き回り始めた。

 どうやら橘も楽しんでいるようだと思い、一安心する。

 詳しい距離は覚えていないが、目的地まではおよそ2、300km。このドラゴンが全力で飛び続けても1時間程度にはなるだろう。しかし、急ぐ旅路でもないため、速度は抑えており、この調子だと2時間程度になるはずだ。

 出発したのが9時頃だったことを考えれば、到着するのは昼前になる。その後、紅葉を見て回り、お昼を食べるとすれば丁度良い日程になってくれる。橘がどの程度紅葉を楽しむかはわからないが、午後は特に予定があるわけでもない。満足するまでゆっくり過ごせば良いだろう。

 頭の中でそのような公算を立てると、小腹が空いたときのためにお菓子や飲料を予めいくつか準備し、カメラであちらこちらと撮影する橘に好きに食べて貰いたいというむねを伝える。

 初めて外でカメラを使うであろう橘は色々と撮影で忙しそうなので、タブレット端末を取り出し、小説を画面に映し出して橘からそちらへと視線を移す。はしゃいでいる姿を見られ続けるのも、気分が良いものではないだろう。こちらに遠慮せずに存分に旅路を楽しんでもらいたい。

 しばらくの間、橘がカメラを構えて動き回る音と緩やかな風の音だけが竜上を支配した。




―――




「おぉ……」


 思わず気の抜けた声が出る。眼下の山は、赤や黄の木々が入り混じり、まるで誰かが意図してグラデーションに染め上げたかのような、見事な光景になっていた。

 出発してからおよそ2時間。道中は何事もなく、目的地まで到着していた。

 感嘆する程に美しい光景にテンションを上げながら、ドラゴンの身体をでて高度を下げさせていく。さすがにこの光景を見た後で、山の中に木々をなぎ倒させながら直接降りるのは気が引けたため、ふもと近くのひらけた場所へ着陸させる。

 高度が下がりつつある中、ちらりと見ると先ほどまでお菓子を食べたり、独り言を呟きながらカメラを回していた橘も、近づいてくる紅葉へとカメラを向けて、圧巻という表情を浮かべていた。

 開けた場所にドラゴンが着陸すると、荷物を持って先に降り、念のために周囲の安全を確保する。ドラゴンの威圧に負けてここでは何も出ては来ないだろうが、この先、森の中へと入っていけばそういうわけにもいかないからだ。

 十分な安全が確保できたところで、ようやくかなり冷え込むことに気付いた。竜上では寒さ対策を施していたが、下竜するとそういうわけにもいかない。両手で身体を抱えるようにしながら竜上の橘を見る。


「降りて大丈夫だよ。とても寒いけど」

「コート、持って来れば良かった……」


 差し出した手を取りながらドラゴンから降りた橘は、同じように両手で身体を抱くようにしながら顔をしかめて言う。自宅周りは極端な寒暖差を生み出さないよう、人工的に気温の調整をしているのがあだとなったようである。


「コート要る?」

「いえ、このままで大丈夫です。準備不足も旅行の醍醐味だいごみですから」


 生来の性格なのか、この世界に慣れているのか、そう言う橘の表情はこの状況を楽しんでいるようだった。たくましい。

 しかし、橘の言うことももっともである。遠方に来てあれが足りないこれが足りない、と悩むのも楽しいと思う。さすがに財布がないとか旅券が見当たらないは洒落にならないが。

 寒そうにしつつも余程カメラが気に入っているのか、橘はカメラを構えて紅葉やドラゴンを撮影する。風景ばかりだが、自分のことは撮らなくても良いのだろうか。


「カメラ、橘さんを入れて撮ろうか? それともドローンとか使う?」

「ドローン?」

「そう。橘さんが準備してるときにカメラのこと調べたら、最近は空撮とかドローンを使って撮るのが流行ってるらしいし、使えるかなって一応持ってきたんだけど」


 単に個人的にドローンというものが面白そうで気になったというだけではあるが。橘が使わなければ勝手に遊ぶつもりで持ってきていた。


「それなら、ドローンを借りても良いですか?」

「どうぞどうぞ」


 荷物の中からドローンを取り出し、橘に手渡す。機械に関することなので、操作方法はたぶん俺より分かっているだろう。

 ところで、俺が撮るという選択肢を取らなかったのはドローンに興味があったから、という解釈で良いのだろうか。カメラ下手そう、とか思われているのだろうか。それ以前にカメラ壊しそう、とか思われていたりするのだろうか。気になってしまう。

 リコモンを何度か触れるだけで操作に慣れたのか、橘はドローンを自在に操って撮影をし始める。どれが良いドローンなのかわからなかったため、適当に高性能高品質のものを選んだが、満足してもらえるならドローンも本望だろう。


「お昼どうしようか? もっと綺麗な場所探しても良いけど」

「んー、上から眺めた感じだと他に開けた場所もなさそうですし、さすがに山の中を探し回るのも大変そうなので、ここで良い気もします」

「じゃあ、座る場所とか準備しておこうかな」


 ドローンに夢中になっている橘にそう声をかけると、荷物の中からレジャーシートを取り出す。見える範囲ではどこでも綺麗な紅葉を眺められるようなので、適当な場所で最低限だけ地面を平らにして、レジャーシートを敷いた。地面に直接置いていた荷物を持ち上げ、軽く土や汚れを払ってからレジャーシートの上に乗せる。

 試しに座ってみるが、弁当を食べたり休む空間としてはこれで十分だろう。

 レジャーシートの敷き心地に満足し、荷物からタブレット端末を取り出す。読書にいそしむにはこの時期の空気は少しばかり寒すぎるが、紅葉に囲まれながらの読書はそれにまさる価値があるように感じる。

 ふと視線が合ったドラゴンに、大した意味はないと分かりつつも大きな生肉を生み出して渡し、タブレット端末に表示された小説に視線を落とした。秋風とたまに落ちてくる紅葉に気分を落ち着け、小説を楽しむ。

 ドラゴンに肉を渡したのは失敗だった、と気づくのは大きな咀嚼音そしゃくおんが響き、生肉の臭いが辺りに充満し始めてからだった。集中できない。

 どうにか読み進めてはいるが、明らかに集中できていない。そろそろ肉を取り上げるか、ドラゴンごと消してしまうか迷い始めたあたりで、お昼が近いことに気付いた。集中できずとも時間は経っていたようである。

 余程ドローンが気に入ったのか、延々と撮影を続けている橘に声をかける。


「そろそろお昼だけど、食べる?」

「あ、はい! いただきます」


 ドローンを渡してから一時間も経過していないのに、慣れた手つきでドローンを随伴させながら橘がレジャーシートの方へとやってくる。やはり機械に関しては到底かないそうもない。

 弁当を包んである風呂敷をレジャーシートの真ん中に置いて結び目をほどくと、長方形の二段になった象牙色ぞうげいろの弁当箱が2つ現れる。弁当と割り箸、市販のペットボトルのお茶を橘へと手渡し、念のためにウェットティッシュも用意しておく。さすがにドラゴンに直接触れた手で食事をするのは、健康に影響はないとしても気分的に嫌である。お互いにウェットティッシュで軽く手を拭いてしまうと、弁当箱のふたを開ける。


「おー、見た目だけで美味しそう。こういう盛り付けは頑張っても真似できそうにはないな」

「うん、凄く美味しそうです。紅葉狩りでお弁当とかいつ以来だろう」


 紅葉とは打って変わり、盛り付けの色合いにそれほどの派手さはない。むしろ、紅葉を楽しむために、あえて派手になり過ぎないような気遣いが感じられる。それでいて、その盛り付けを地味とは思えない。派手でない整えられた美しさ、弁当としての美味しさを盛り付け方ひとつで十二分に表現していた。


「いただきます」

「いただきます」


 割り箸を割り、どれを食べるか迷う心を抑えて手近なおかずに箸を伸ばす。

 良く煮込まれているのか、箸で掴んだ里芋は僅かに割り箸が食い込む。割り箸でなく、もう少し細長い箸であったならあっさりと半分になっていただろう。かなり柔らかい。そのまま口に運び、一口で咥える。冷たくなった里芋に染み込んだ濃い味が口の中に広がる。美味しい。


「おいしい……」


 橘が悶えるように呟いた。気に入ったようである。

 出会ってからそれなりに経ってはいるが、俺の前で橘が感情をあらわにすることと言えば、清掃関連と食事関連くらいだ。気を遣われているのか、そういう性質なのか、判断はつかない。あまり気を遣って欲しくはないとは思っているが、それを強要するのも可笑しな話だろう。


「うん、美味い」


 目も舌も満足である。少しばかり気の急いた紅葉狩りとなったが、また折を見て他の人と一緒に行くのも悪くない。






 昼食後、橘はドローンに完全に入れ込み、俺は読書に完全に入れ込み、ドラゴンは睡眠に完全に入れ込み、結局、家に戻ったのは橘が夕陽が沈む様をカメラに収めてからになった。

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異世界でほのぼの過ごす話 妄想の住民 @Sakura_Log

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