異世界でほのぼの過ごす話
妄想の住民
第1話 朝ごはん:ペペロンチーノ
もっと厚着をするべきかと頭の
底にある釣瓶に
井戸の周りに問題がないのを
ゆっくり生活するのは楽しいが、ただただ楽なだけの生活はそれはそれで虚しい。
「まぁ、お手伝いさんとかに身の回りのことを
ポリタンクを抱えて歩きながら誰に言うわけでもなく
ぼうっとしたまま歩いているとすぐに家の前に到着していた。
「ただいま」
扉を開けてから重いポリタンクを玄関に置き、靴を脱いで家の中に上がる。靴下越しでも
流し台で手を洗うと、まずは昨日の夕食の残りであるトマトスープが入ったプラスチックの保存容器を冷蔵庫から取り出して鍋に移し、温めるためにIHの電源を入れる。スープはこれで大丈夫だとして他はどうしたものかとキッチンマットの上に立って悩むが、そう言えば、と昨日取り寄せたことを思い出したパン切り包丁を収納から取り出す。作業台にまな板を用意し、その上にフランスパンを置くと、パン切り包丁を手に持ち、フランスパンにギザギザの刃を滑らせていく。
「切りやすい……のか?」
まな板の上に積もるパンくずに首を傾げながら、確かに切りやすいような気がしないでもなかった。元々料理をあまりしていなかっただけに、この製品がどれ程優れているのかいまいちよく分からない。首を傾げながらも4切れのフランスパンを用意してしまうと、オーブントースターに並べて焼いていく。
フランスパンが焼かれている間に、フライパンをIHの上に乗せて電源を入れ、冷蔵庫から卵とベーコンを取り出した。フライパンに油を敷してベーコンを置き、少しだけ待ってから卵を割って入れる。皿を二つ用意して黄身が固まってしまうまで待つと、出来上がったベーコンエッグを皿へと移す。
もう一つ、今度は半熟のベーコンエッグを用意し、同じように皿に移すと、そのままダイニングテーブルに並べる。チンと音が聞こえ、焼きあがったフランスパンも2切れずつ皿に乗せ、熱いうちに冷蔵庫からバターを取り出して切ってから乗せ、パンの香ばしい匂いに頬を緩ませて
2人分の朝食を準備し終えると、ケトルの電源を入れてから廊下へと移動し、階段下から二階へと声をかける。
「
二階から物音が聞こえ出したので、ダイニングに戻り、マグカップを2人分用意し、ケトルで沸かしたお湯を注いでドリップコーヒーを
「おはよう……ございます」
「はい、おはようございます」
長い金髪を揺らしながら眠たげな
輝くような金髪と人工的な美術品のような顔立ち、純白の肌にすらりとした身体。少しばかりの
成人しかけという微妙に残る幼さを除けば、絶世の美女、と言っても過言ではなかった。
そんな橘だが、眠たげな眼とその装いが寝巻ではなく部屋着なところを見るに、どうやら昨日は随分と夜更かしをしていたらしい。いつもの、という程ではないが、夜更かし自体は珍しいことではない。
淹れたばかりのコーヒーをダイニングテーブルに並べると、橘は緩慢な動作で椅子へと腰かける。その向かいにこちらも腰かけると、それぞれ目の前で手を合わせる。
「いただきます」
「いただきます」
淹れたばかりの熱々のコーヒーをそのまま飲む橘と対照的に、スティックシュガーを入れるとかき混ぜながら息を吹きかけ冷ましながら飲んでいく。橘に言わせれば、熱々の苦いコーヒーを飲むことで目が覚めるらしい。到底、真似する気は起きない。
そのまま静かな朝食の時間が始まる。
食事中に喋るのは行儀が良くないと思うが、禁止するほど嫌っているわけではない。時と場合によるが、食事は楽しい方が良いと思うからだ。モノを口に含んだまま喋らなければそれで良い。
しかし、食事中、お互いに何の会話もしなかった。橘は昨日夜遅く、あるいは今日朝早くまで起きていたであろうため、おそらく眠気で頭が回っていないので食事をする以外の動作を出来ていない。そして、そんな橘相手に無理に話題を振るのも酷であるため、お互いに無言になっていた。
箸を使う音だけがダイニングに響く。その静かさは特段苦痛ではなかった。
「ごちそうさまでした」
「ごちそうさまでした」
お互いに食事を終えると、未だ眠気が取れていなさそうな橘をダイニングからリビングのソファへと導く。そのまま寝転んで少々だらしのない体勢でソファに寝始めたのを見て、苦笑いを浮かべる。
あまり余計な音は立てないように気をつつ、リビングに戻って朝食の後片付けをする。
今日は天気も良くなりそうな気配だったので換気と掃除を行うつもりだったが、あの状態の橘がいるのに家の中でばたばたと掃除機を扱うのはさすがに可哀想だろう。それに、無理に今日やる理由もない。
手洗いした食器を食洗機の中へと入れる。最近の食洗機は優れているらしく、最初から任せてしまってもどうやら綺麗になるようなのだが、完全に機械を信じきれないアナログ人間なため、一度洗ったものを仕上げるという用途に使ってしまう。橘のように上手く機械を扱いたいものであるが、中々難しい。
これをずぼらと言うべきか、効率的と言うべきか、悩みどころである。
「気を許してくれている、と考えるべきか」
こっちで暮らし始めてからめっきりと増えた独り言をこぼしつつ、洗濯物をテラスへと運ぶ。
森全体を間伐しているわけではないが、家の近場は日差しを取り入れ、野生生物が警戒してあまり近寄らないように木を間引いているため、森に囲まれた立地でもテラスの中にも十分な日差しが差し込む。
スリッパを履いてテラスに出ると早朝の寒さは薄れ、立秋の風とも呼ぶべき涼風が
早朝は冷え込みが激しく、昼間は夏の暑さが未だ残る状態ではあるが、心地の良い涼しい風に今日はテラスで読書をするのも良いかと思案する。幸いにも森の中でも虫を気にする必要はない。
気になる本が特別あったわけではないが、目的が決まると楽しみになってしまうのが人情というものである。手早く、服をテラスに、下着類を外からは見えづらい縁側に干すと、空になった籠を脱衣所に戻す。
橘を起こしてしまわないよう気をつけながらも、
テラスに戻り、ゴミや傷み一つない簡素な机にコーヒーを置き、イスに腰掛けてブランケットを膝に乗せる。涼しい風ではあるが、無暗に身体を冷やすことは避けたかった。風邪でもひいたら大事である。
タブレットを構えると橘に習った操作を思い返しながら、購入していた小説の一つを画面に表示させた。
「完璧だ……」
理想的、と言っても過言ではない。
時折聞こえる鳥の
昔、映画で見た光景を思い出す。老夫婦が退職金で田舎に家を買い、日々をゆったりと過ごす。生活に目新しさがないわけではない。家庭菜園に挑戦したり、DIYに挑戦したり、たまに山登りをしたり。かと思えば、何もせず、ただ二人で時を過ごしたり。
そういった自由な時間の使い方に憧れた。
だからこそ、こんな風に時間を気にせず、日々を生きられることが何より幸福だった。
「急ぐことは無い。明日もまた来るのだから」
その映画中で老夫婦の夫がDIYを始めたものの一向に完成しないことを妻に指摘された際に言った台詞である。なんてことはない、しかしどこか決め台詞っぽいこの台詞が気に入っていた。
映画を思い出すのもそこそこに、タブレット端末を操作して小説を読み進める。
―――
小説中に食事の描写が出てきたのが原因だろう。ふとお腹の具合が気になった。
あの様子では橘が目覚めるのは昼過ぎだろう。その時間に合わせて少々遅めの昼食を食べて、夕食はどうしたものかと考え出すと文字を追う速度が遅くなる。
午前中は涼しく過ごしやすかったテラスも、昼が近くなってくると陽が高くなり、暑さを感じるようになる。
気になって時計を確認すると、現在時刻は正午を少し過ぎたあたりだった。どうやら思ったよりも読書に熱中していたようである。
一口も飲まれていない、完全に冷たくなったコーヒーを
橘の様子を一応確認しておこうとリビングを
ダイニングに入り、昼食の準備が何もなされていないのを見て、どうやらかなり修羅場であることは理解できた。いつもであれば昼に起きたのなら何かしら昼食を作ろうとしてくれているからである。
「出来ればダイニングで食べてほしいけど……まぁ、たまになら良いか」
何かと
一度レシピ通りに作って簡単だと思ってその後レシピを確認していないため、作り方が合っているのかは最早わからないペペロンチーノを作ろう。橘がお腹を空かせているかはわからないが、ペペロンチーノなら食べられないことはないだろうし、最悪一人でも食べられる。
にんにくを取り出しながら、女性ににんにく入りの料理をこちらから提供するのはどうかと思ったが、完全にペペロンチーノの口になったので橘には諦めてほしいと軽い謝意の念を送る。
複雑な工程が存在しているわけでもなく、手早くペペロンチーノを作ってしまう。
いつもは気にしない盛り付けに何となく少しこだわった後、橘の分を届けるためにペペロンチーノをトレイの上に乗せて二階へと上がった。
二階には、橘の部屋と自分の部屋、あとは用途の決まっている部屋もいくつか存在しているが、それでもなおまだ空き部屋が存在している。無理に埋めるつもりもないため、そのままにしているが、勿体ないような気もしてしまう。
最初に橘の部屋に向かうが、ノックをしても反応が無い。寝ているのだろうかとも思ったが、あの状態の橘がわざわざ起きて二階まで戻ったのだ。起きていないとは考えづらかった。
こっちに居ないならあっちだろうと、用途が決まっている部屋の1つの前に行く。
「橘さん。お昼、持ってきたよ」
「あ、うぇっ、あ、ありがとうございます。今、開ける!」
ノックをしてから声をかけると、即座に返事があり、慌てて出てきたのは朝食時の服から着替えた橘だった。いつの間にかお風呂に入っていたらしい。
ペペロンチーノが乗ったトレイを手渡す際に扉の隙間から見えた範囲だと、どうやらまたパソコンに張り付いていたらしい。
「そうだ。夕飯、どうする? 橘さんの好きなものにする? カレー、また作ろうか?」
「だ、大丈夫! 大丈夫! 何でも良いから!」
「何でも良いが一番困るんだけど……わかったよ。じゃあ、パソコン、頑張ってね」
慌てたように扉が閉められる。
一瞬、反抗期の娘、という単語が頭を過ったが、橘は娘ではないし、他人の話を聞く限りでは反抗期というのはこんなに生温いものではなかった。
理由はわからないが、タイミングが悪かったのだろう。たまにあることだ。
階段を降りてダイニングに戻ると、自分のペペロンチーノを食べる。あまり食材を準備せずに食べられるという点では、料理素人には大変ありがたい料理である。
ペペロンチーノを平らげた。我ながらいい出来だったと思う。
食べ終えた食器を流し台に運びつつ、橘の食器も回収に行くべきかと迷ったが、あの様子では行くだけ迷惑だろう。大人しく自分の食器と使った調理器具だけを洗う。
「夕飯、どうしよう」
カレーと言ったが、橘の反応は良くはなかった。
以前は感涙するほど食べていたのに、と思わなくもないが、あのときとは状況も何もかもが違う。いつまでも同じものに同じように感動するわけではないだろう。
しかし、あれほど苦労している様子の橘の姿を見て、食事くらい元気が湧くものにしたいと思ってしまう。
「よし。今夜はお寿司にしよう」
以前、回らないお寿司がどうのこうのと言っていたのを耳にしている。たまの
そうと決まればやることは明白である。
橘が居なくなったリビングに入ると、窓に手をかけて全開にする。
「掃除機かけよう」
窓から空を飛ぶドラゴンの姿を見上げ、気合を入れる。
やることとは、夕食のお寿司に向けてお腹を空かせるための運動である。
その晩、橘と一緒に回らないお寿司を食べて、あまりの美味しさに二人して
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