カフェでの勧誘 フィクションエッセイ
績カイリ
短編
その日は、なんとも不気味な休日だった。朝はいつもより少しだけ遅く目覚める。急ぐことなく、ナメクジが殻に入るときのように、ゆっくりと私服に身体を通す。ベッドから降り、カーテンを開く。燦々と降る日光を目を細めながら眺め、朝の空気をあくびで補給する。空にはカラスが飛び、私には目もくれず何処かへ飛び去ってしまう。こんなに美しい朝が他にあるだろうか、と自問自答しながら、朝の支度を終わらせる。ポエマー思考の自分を笑いながら。
家を出る頃には、既に太陽が昇りきっていた。雲はまばらで、汗をかくほどではないが、暑かった。特に目的を無く家を出てきてしまった。日光が私を外に導いてくれたのだが、あいにく行き先は教えてくれない。きっと今日は漫ろ歩きをするべきなのだろう。そう思い、ダサいアパートの階段を降りる。
一人というのもまた、いいものだ。仮に私がなんの成果もなく、家に帰ってきたとしよう。そうなっても誰も私を咎めたりはしない。その日一日を私一人が笑えば済む話になる。もちろん、友人と笑い合いながら過ごす一日も素晴らしい。いずれにせよ、休日を楽しめたのなら、それに勝ることはない。そんな事を考えながら、ひたすら歩を進める。まだまだ、休日は長い。
既に数十分、歩いた頃だった。ここまで、あらゆる分岐道を直感で選んで来た為、もはやここがどこだかわからない。家を出た頃に輝いていた太陽は雲に隠れてしまった。そろそろ休もうか。そう思ったときであった。完璧なタイミングで私の目の前にカフェがあった。渡りに船があったら、大して確認せずに乗ってしまうのが私の性だ。カフェであることだけしか確認せずにドアを開けてしまった。
ドアを開けた瞬間、私はこのカフェに入った事を後悔した。どこもかしこも、勧誘話をしている客だらけだったのだ。しっかり確認しておくべきだったなぁと思いつつも、席につき、飲み物を注文する。その席は窓辺で、勧誘中の客の隣だった。私は窓の外を眺めるフリをしながら、隣の勧誘を盗み聞きしていた。一人で行くカフェの醍醐味はこれである。
「…です。あなたも月に○○万円は稼げます。私の師匠もこの方法で成功し、沢山の友人を手にしました。」
確実にネットワークビジネスだ。私は楽しくなってきた。こういう話は大好物だ。柔和な表情を浮かべ、必死に信頼感を装うペテン師の姿は滑稽でたまらない。
「お待たせしました。コーヒーです。」
店員さんがコーヒーを持ってきてくれた。
「お客様、お一人ですか?」
店員さんが私の対面の席に座った。
……?店員さんが私の対面の席に座った?
「なぜ、私の席に座っているのですか?」
「いや、まぁ。ね。話がしたくて。」
意図が全く読めない。しかし、柔和な表情を浮かべ、何処か信頼感のあるその姿を拒絶する気にはなれなかった。カフェで店員さんと話す休日というのも悪くないだろう。いや、むしろ面白い。
「まぁ、それもいいですね。カフェの店員さんとの会話も楽しそうですし。」
「でしょう。お客さん、今日はどちらから?」
「私もよくわからないです。家からフラフラ歩いて、気がついたらこのカフェにいました。」
店員さんは魅力的な笑顔を浮かべる。
「それもまた、カフェの魅力ですよね。……そうそう。申し遅れましたが、私、安賀多と申します。そして、こちらも遅れましたが、砂糖です。」
店員さん、もとい安賀多さんは私に砂糖を渡した。
「安賀多さんは、もう、長いこと働いているのですか?」
どうしてこんなに勧誘の客が多いのか。が、一番聞きたいが、いきなり聞くのは気が引ける。かといって気の利いた話はできないので、意味のない質問をした。
「ずっと働いていますから、もう……私も忘れてしまいました。はて、ここに来てからどれくらい経つかなぁ。」
遠くを見つめながら安賀多さんはそう言う。
「ふふ。長いこと働いてるんですね。」
「ええ。それはそれは長いこと。」
一瞬、安賀多さんが悲しい目をしたのを私は見逃さなかった。
「長いこと働いていると、新しい仲間が入ったり、抜けたり、まぁいろいろあって。」
安賀多さんの言葉はそこで一旦止まった。
「今日はお仕事、休みの日ですか。」
安賀多さんが私に聞く。美容師との会話もそうだが、中身の無い会話も楽しいものだ。
「ええ。今日は休みで、このカフェに。」
「いいですね。休みの日ほど待ち遠しいものはありませんものね。おや。」
安賀多さんは空になった私のコーヒーカップを見て、すぐに店員の目になり私に聞く。
「コーヒーのおかわり、淹れますか?」
私がおかわりを頼むと、安賀多さんは店の奥へと行った。
私は考える。安賀多さん、いきなり、私の席に座ってきた時は驚いたが、悪い人では無さそうだ。周りに一人客がいないカフェの中で、唯一一人客だった私を気遣って、話しかけてくれたのだろうか。
「コーヒー、お待たせしました。」
安賀多さんが帰ってきた。
「お客さんは、このカフェは気に入られましたか?」
気に入っている。内装もコーヒーも店員さんも私好みだ。ただ一つ、勧誘の客が多さだけがネックだ。
「だいぶ気に入ってます。ただ…」
いや、もしかしたら安賀多さんも勧誘の多さを気にしているかもしれない。それなのに、ずけずけと勧誘の客が多いなんで言うべきではないかもしれないな。
「だいぶ、気に入っておられるのなら、良かったです。」
だいぶ、でいいのか。まぁ80点近い評価なら良
「それなら!」
威勢よく安賀多さんが話しだした。会話の最中に考え事を始めてしまう私は、呆気にとられた。
「お客さん。このお店で働きませんか?お家からも歩いて来れる距離なんですよね!」
突然何を言い出すのかと思ったら、まさかの求人だった。しかし私にはカフェで働く暇はな
「きっと、ここで出会えたのは運命ですよ!」
またしても矢継ぎ早に安賀多さんは話し始めた。急に会話のペースが変わって私も断るタイミングを見失っていた。
「お客さん、安心してください。大丈夫です。そこまで忙しくはありませんし、仕事の内容も、あなたならきっとすぐに習得できます。それに、あまり知られていないのですがカフェって物凄く稼げるんです。バイトではなく、私達の仲間として働くことになりますから、上手にやれば、月に○○万円は稼げます。」
なんだか急に居心地が悪くなってきた。初めからこの話をするために私に近づいてきたのか。
「私も最初は信じてなかったんですけどね、私より長く働いてる私の師匠が丁寧に教えてくれたおかげで月に○○万円稼いでいるんです。あなたも月に○○万円は稼げます。私の師匠もこの方法で成功し、沢山の友人を手にしました。」
ここまで聞いてやっと気がついた。隣の席の客が同じ話をしていた。いや、それだけではない。思い返してみれば、勧誘していた人は皆、安賀多さんと同じようにスーツを着ていた。このカフェはなにかおかしい。もしかして、皆店員さんからの勧誘を受けているのかもしれない。なぜそんなことを。よくわからないが不気味でしょうがない。なにか嫌な物を感じる。私の直感はこういう時、よく当たる。この勧誘は断って帰ろう。
私は安賀多さんの勧誘を断る方法を考え始めた。しかし、思いつかない。どうしてこんなに熱心に勧誘している人に無理と言えるだろうか。ひどいことをするようだけど、安賀多さんが席を外したタイミングで代金を残して帰ろう。
「魅力的な話ですね。安賀多さん。その。募集要項の紙を持ってきてもらえますか?」
「良かった。あなたに聞いて。」
安賀多さんの柔和な表情と信頼感の裏にある、悪い笑みを私は見逃さなかった。
まずい。これは絶対に呑んではいけない条件だ。コーヒーは美味しかったし、既に二杯も飲んだけれど。
安賀多さんはまるでこうなることが分かっていたように、私の目の前に募集要項と契約書を差し出した。帰るタイミングを見失ってしまった。
「さぁ、今すぐにでもここにサインしましょう。歓迎しますよ。さぁ。」
「そうですね…。えぇ。ああ。サインを。」
その時の私はペンを探すフリをしながら、財布から紙幣を1枚取り出し、手に持った。安賀多さんがよそ見をした瞬間に、この店から飛び出そう。
「ペンならここにありますよ。」
私の目の前に、本当に目に刺さりそうなほど、目の前にペンを差し出してきた。
「あぁ、その。私、契約書はどんなに長くても全部読まずにはいられない質なんですよ。ね、だから、ちょっと、読みますね。」
契約書を取った私の手は震えていた。安賀多さんは私の事をじっと見つめていた。
その時であった。隣の席から叫び声が聞こえた。
「やった。やったぞ!遂に解放された!馬鹿め。契約書にサインしたな。お前は俺の身代わりになったんだ!せいぜい働き続けろ!あはははははははは!」
隣で勧誘していたスーツ姿の人が、大笑いしながら、カフェの出口へと走り出した。私の嫌な予感が的中した。
「お前!なんでそのことを大声で話したんだ!せっかくいいところまで行ったのに!」
安賀多さんは激怒しながらその解放された人の元へ走りだした。今しかない。今逃げ出さなくては。私は紙幣を机の上に叩きつけ、取っ組み合う二人にバレないようにそのカフェの扉を開け、逃げ出した。
走りながら、カフェの方を振り返る。解放されたその人が扉を勢いよく開け放ち、数秒前の私のように必死の形相で逃げ出してきた。安賀多さんはというと、扉の外へは出れないらしく、何度もドアノブを回していた。そのまま私と、解放されたその人は散り散りに逃げた。
帰りも道を確認せず、直感で逃げてきてしまった為、あのカフェがどこにあるかはわからずじまいのままだ。安賀多さんは今もあのカフェに囚われているのだろうか。いや、しかし自分を責めてもどうしようもない。
大丈夫だ。きっと安賀多さんもいつかは逃げ出せるだろう。私のように確認もせず店に入る人や、勧誘に騙される人なんていくらでもいるのだから。
カフェでの勧誘 フィクションエッセイ 績カイリ @sekikairi
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