第22話 旅立ち

 潘誕はんたんは直ぐに王平おうへいに呼び出され、華鳥かちょうと共に呉へと向かうように命令めいれいを受けた。

本当ほんとうですか!華鳥様のような綺麗きれいな方と、一緒いっしょに旅が出来るんですね。」

 両手りょうて頭上ずじょうに突き上げ、眼を輝かせてよろこねる潘誕の姿を見た王平は、あきれ顔になった。

「おい、勘違かんちがいするな。物見遊山ものみゆさんの旅ではないのだぞ。蜀の将来しょうらい、いや天下てんか未来みらいけた使命しめいを背負っているのだぞ。どうもお前は呑気のんきな所がある。それと…。これが一番大事いちばんだいじな事だ。華鳥殿に対して、絶対ぜったいに妙な気を起こしたりするなよ。」

 王平に釘を刺されても、潘誕の高揚こうようした様子ようす一向いっこうおさまらなかった。

 ひげもじゃのいかつい顔が、相変あいかわわらず喜色満面きしょくまんめんに輝いている。

「分かってますよ。俺の特製とくせい香辛料こうしんりょう一杯持参いっぱいじさんしていきます。華鳥様に美味おいしいものを沢山たくさん食べて頂く為に...。」

 浮き浮きとした足取あしどりで立ち去る潘誕のがっしりとした背中せなか見送みおくりながら、王平は苦笑くしょうした。

「全く....俺の言った意味いみ本当ほんとうに分かってるのか...。しかし、まぁ…。あいつなら間違まちがいなかろう。武芸ぶげいは我が軍でも指折ゆびおりだし、本人ほんにんが言う通り料理りょうりの腕も一流いちりゅうだ。」


 こうして、華鳥と潘誕は、呉を目指す旅に出立しゅったつした。

 二人は、共に商人しょうにん装束しょうぞくに身なりをととのえ、潘誕は背中せなかに大きな葛籠つづら背負せおっていた。

 蜀領しょくりょう国境くにざかいにあるとうげに達した時、潘誕が大きな声で華鳥に話し掛けた。

今日きょうまさ晴天白日せいてんはくじつですね。こいつは初日しょにちから縁起えんぎがいいです。」

 はしゃいだ声を上げた潘誕の顔を見て、華鳥は思わず笑みをらした。

 まるで初めての遠足えんそく心待こころまちにしていた子供こどものようね….。

 そう思いつつ、華鳥の顔にも笑みがこぼれた。

「そうですね。でも旅先たびさきではいくつもの困難こんなんが待ち受けてるやもしれません。それに、いつもお日様ひさまが照らしてくれる訳でもありませんし..」

 ちょっとたしなめるような華鳥の言葉ことばを前にしても、潘誕は相変あいかわらず弾むような足取あしどりのままだ。

「そうですね。でも雲外蒼天うんがいそうてんという言葉ことばもありますよ。叢雲むらくも困難こんなんの先には、必ず澄み切った青空あおぞらが広がるものです。」

 いかつい風貌ふうぼうにはおよそ似合にあわない潘誕の言葉を聞いて、華鳥は驚いた顔になった。

「ふうん。貴方あなたは、見かけによらずがくがあるのですね。誰に学問がくもんを習ったの?」

「王平様ですよ。王平様の師匠ししょうは、姜維きょうい様と同じく諸葛亮孔明しょかつりょうこうめい様ですから、俺は孔明様の孫弟子まごでしですね。」

 そう言って快活かいかつに笑う潘誕を見て、華鳥も思わず微笑ほほえんだ。

 すると、潘誕は何かを思いついたように顔をげると、少し照れたような表情ひょうじょうで華鳥に問いかけた。

「ところで華鳥様。これからの旅先たびさきでは、宿坊しゅくぼうや食堂などで、沢山たくさんの知らない人達ひとたちと顔を合わせますよね。その時、俺達おれたち関係かんけいを聞かれた時は、どう答えますか? えっとですね……まさか夫婦ふうふなんてのは...?」

 それを聞いた華鳥は眼を丸くし、やがて直ぐに笑い出した。

「あはは…。れも良いかも知れませんが、とても貴方あなた風貌ふうぼうは、商家しょうか若旦那わかだんなには見えませんよ。そうでは有りませんか?」

 華鳥から指摘してきを受けた潘誕は、自分の体躯たいくあらためるように見下みおろし、次にごしごしとひげでた。

「確かに、そりゃそうでしょうが...」

 そこで、華鳥がぴしゃりと言った。

れに夫婦ふうふとなれば、貴方あなたが私の主人しゅじんと言うことになりますね。今回の旅の主役しゅやくは私ですよ。貴方は私をまもる為に随行ずいこうして頂いた方ですよね?違いますか?」

 その言葉ことばに、潘誕は頭をいた。

「やっぱりそうですよね。それじゃ、華鳥様は商家しょうかのお嬢様じょうさまで、俺は貴女あなたの旅に付き従う下僕げぼくと言うのが、おさまりが良いですね。」

 華鳥は、その言葉に微笑ほほえうなづいた。


 その後、一刻いっこくほど街道かいどうで歩みを進めた頃に、潘誕が突然とつぜん立ち止まった。

「華鳥様、お腹がいて来てはいませんか? そろそろ昼餉ひるげ頃合ころあいですね。持参じさんしているの保存食ほぞんしょくは、危急ききゅうの時の為に手を付けないでおきましょう。ちょこっと昼餉ひるげ材料ざいりょう物色ぶっしょくしてきますね。華鳥様は、此処ここで待っていて下さい。」

 潘誕はそう言うなり、飛ぶような身のこなしで道の横の林の中へと足を踏み入れて行った。

 しばらくすると、潘誕は片手かたて野兎のうさぎを一匹ぶら下げて戻ってきた。

 そして街道脇かいどうわき草叢くさむらに腰を下ろすと、手慣てなれた手つきで兎の皮をぎ、内臓ないぞうを取り出した。

 下処理したしょりを済ませた潘誕は、次にかたわら葛籠つづらの中から小さな麻袋あさぶくろを幾つか取り出し、袋の中のきざんだ乾草ほしくさを肉に振って、それを丁寧ていねいみ込んだ。

 しばらくののち、その肉を切り分けると、葛籠つづらから取り出した金串かなぐしに切った肉を次々つぎつぎと刺して行った。

 それが終わると、今度こんどは火をおこし、火の周りに金串を立てて肉をあぶり始めた。

 そうした調理の手際てぎわの良さを、華鳥は感嘆かんたん眼差まなざしで見詰めていた。

 やがて肉からあぶらしたたり始め、何とも言えぬ良い香りが周囲しゅういただよい始めた。

 その香りに鼻腔びこうをくすぐられ、下腹したはらが小さな音を立てると、華鳥は思わず腹を押さえた。

 そんな華鳥の様子ようすに含み笑いをしながら、潘誕は肉の焼け具合を確かめた。

 丁度ちょうど良い焼き加減かげん確認かくにんした潘誕は、一本の串を華鳥に差し出した。

 潘誕から渡された串を頬張ほおばった華鳥の顔が、ぱぁっと輝いた。

「うぅん、美味おいししい‼︎ こんなの初めてよ。……さきほどみ込んだ調味料ちょうみりょう秘密ひみつね。これも貴方あなたが作ったのですか?」

 串焼くしやきの味に眼をみはる華鳥を見て、潘誕はどうだとばかりに親指おやゆびを立てた。

「俺の特製とくせい香辛料こうしんりょうです。気に入りましたか?」

「これは薬草やくそうも混じってますね。薬草はにがいだけのものと思ってたのに...。れは、今までの経験けいけんとは全然ぜんぜん違う。」

 そう言う華鳥に向かって、潘誕が蘊蓄うんちく披露ひろうした。

薬草やくそうだけなら苦いだけです。今回こんかいは薬草は隠し味に使っています。かんさんしんえんの調合のみょうが、食い物のうまさを決めるんですよ。」

 潘誕の言葉ことばを耳にしながら、華鳥はもう次の串にむしゃぶりついていた。

 その姿を見て、潘誕が笑った。

「華鳥様のような綺麗きれいな方は、小鳥ことりついばむように、優雅ゆうが食事しょくじをされるものと思ってましたが...まるでおおかみのようですな。」

 揶揄からかうような潘誕の口調くちょうにも動じず、華鳥は目の前の肉串にくぐし夢中むちゅうになっていた。

「そんな事言ったって...とっても美味おいしいんだもの。貴方あなた何時いつもこんな美味おいしい料理りょうりを作っているのですか?」

 そう言いながら、華鳥は次の串に手を伸ばした。

野戦やせん勝利しょうりした時などは、兵全員へいぜんいんけものって、そいつを使った戦勝せんしょう料理りょうりを作ります。そんな時の調理ちょうりは、何時いつも俺の役割やくわりです。一番美味いちばんうまいのはいのししですね。内臓ないぞうを除いた後の腹の中に、香辛料こうしんりょうと米を詰め込んで焚火たきびでじっくりあぶるんです。猪のあぶらと香辛料が混じり合って、絶品ぜっぴん炒飯チャーハンとなります。此奴こいつを作った時は、肉より先に、炒飯に皆が列を作ります。機会きかいがあれば、華鳥様にも作って差し上げますよ。」


 華鳥と潘誕は、陽が落ちる前に、街道脇かいどうわき川沿かわぞいに宿坊しゅくぼうむらがるところまでたどり着いた。

「さてと...今日の泊まりはどの宿坊しゅくぼうにしましょうか?美味うまいものがあると良いんだが...」

 潘誕のつぶやきに、華鳥がちょっと首をかしげた。

貴方あなたが作る料理以上りょうりいじょう美味びみなど、期待きたいできるんでしょうか?」

 それを聞いた潘誕は、ふと立ち止まると、街道脇かいどうわき川辺かわべを眺めた。

「これは…..。美味うまそうな魚が川面かわもねてますね。それでは夕餉ゆうげは、彼奴あいつにしますか。」

 即製そくせい釣竿つりざおで魚を釣り上げた潘誕が作り始めたのは、細かく刻んだ魚の身をにした饅頭まんとう魚汁うおじるだった。

 釣りあげた魚を横に置いた潘誕が、葛籠つづらの中から、鍋、包丁ほうちょう木杓ひしゃくなどの調理道具ちょうりどうぐ次々つぎつぎと取り出すのを見て、華鳥があきれたような顔になった。

「こんな調理器具ちょうりきぐまで持参じさんするなんて...。貴方あなた本当ほんとう武人ぶじんなの?」

 そう言いながら、華鳥は出された饅頭まんとうと汁をあっという間にたいらげた。

今日きょうは、野宿のじゅく結構けっこうです。兄との旅の中で、野宿には慣れてます。こんな美味おいしいものを頂いた気分きぶんのまま、今晩こんばんは眠りたい。」

 そう言った華鳥は、葛籠つづらの上に巻きつけてあった麻布あさぬの街道脇かいどうわきの奥の草原そうげんに敷き、れを身にまとって横になった。

「いや...華鳥様、それはいくらなんでも...」

 あわてた様子ようすで声を掛けた潘誕のかたわらで、直ぐに華鳥は静かな寝息ねいきを立て始めた。

 苦笑にがわらいを浮かべて華鳥の寝顔をた潘誕は、改めて決意けついするようにつぶやいた。

「まるで天女てんにょのようなお方だ...。王平様、ご命令通めいれいどお絶対ぜったいにこの方をおまもりします。目的もくてきの地に到達とうたつし、そして戻るまで...。」




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