新たな希望を求めて

第21話 隠された皇子

 その日の思いがけない華真かしんからの申し出に、姜維きょういは口を大きく開けたまま棒立ぼうだちとなった。

「なんですと...。新しいみかどむかえる使者に、華鳥かちょう殿をつかわすですと...。何故なぜですか? 女人にょにんの身で、呉の山奥迄やまおくまで長旅ながたびなど、危険きけんこの上ないですぞ。」

 先日せんじつ姜維は、華真から蜀領内しょくりょうないのあちこちに高札こうさつを立てる事を提案ていあんされた。

劉禅帝りゅうぜんていは、ゆえあってみずかみかどの座を退しりぞかれ、蜀の地を離れられた。次の新しきみかどは、もうすぐ成都せいと入城にゅうじょうされる。』

 劉禅は、蜀帝しょくていあかしともいえる玉璽ぎょくじ王宮おうきゅうに残したまま逃亡とうぼうした。

 それゆえに、『みずかみかどの座を退しりぞいた』と言うのは、あながち間違まちがいではない。

 しかし『新しきみかど』とは、誰のことか?

 劉備帝りゅうびていには、魏に逃亡とうぼうした劉禅りゅうぜん劉永りゅうえい劉理りゅうりの他にももうひとりの皇子みこがいる、と華真から知らされた時、姜維はにわかには信じがたかった。

 そのような皇子みこ存在そんざいなど、姜維だけなく蜀宮しょくきゅう誰一人だれひとりとして、今まで耳にした事がなかったからだ。

 しかし華真から、くだん皇子みこ誕生たんじょう経緯けいい、そしてその存在そんざい外部がいぶに明かされていない理由わけ子細しさい説明せつめいされたことで、姜維はその皇子みこ実在じつざいすると確信かくしんした。

 その皇子みこは、今は呉の山奥やまおくに隠れ住んでいるという。

 しかも華真自身かしんじしんがその皇子みこに会った事があり、みかどたるうつわを持つ事も、自らの眼で確認かくにんしているという。

 華真がその皇子みこみかど相応ふさわしいと言うのなら、それは華真の中に転生てんせいしている諸葛亮孔明しょかつりょうこうめいが、そう認めた事にもなる。

 姜維は、早急そうきゅうにその皇子みこを蜀に迎える事を主張しゅちょうし、華真もそれに同意どういした。

 そして今日きょう、華真はその迎えの使者ししゃに、自分じぶんの妹の華鳥を指名しめいしたのだ。

「華鳥でなくては駄目だめなのです。何故なぜなら、華鳥も私と共に、我らが新しいみかどに迎えたいそのお方とお会いした事があるからです。そのお方も華鳥を覚えておいででしょう。いきなり見ず知らずの者が尋ねて、拒絶きょぜつされる危険きけんは避けねばなりません。」

 姜維は、立ちすくんだ姿勢のまま、眼の前に立つ華真を凝視ぎょうしした。

「華真殿と華鳥殿が、お二人でそろってその方に会ったということは、それはお二人が蜀に来られる前の旅の途上とじょうでですか?どのように巡り会えたのですか?」

 すると、華真は昔をなつかしむ眼付めつきになった。

「そう。我々われわれ二人は、呉の領内りょうない見聞けんぶんしている途中とちゅうにその方と出会であいました。実は、最初さいしょからその方を尋ねたのではありません。最初さいしょおとずれたのは、私の中にいる諸葛亮孔明しょかつりょうこうめい知己ちきだったのです。姜維殿もご存知ぞんじ人物じんぶつですよ。」

れは、誰方どなたですか? 」

かつて呉の宰相さいしょうであった陸遜りくそん殿です。陸遜殿が宰相さいしょうされた時には様々さまざまな経緯があり、孫権帝そんけんていからは絶縁ぜつえんされたとも言われていました。ところが実はそれは表向おもてむきで、孫権帝そんけんていは、我らが求めるお方のお母上ははうえををひそかに陸遜殿に預けられたのですよ。」

「そう言う事でしたか...。しかし我らが求めるお方が、まさか劉備帝りゅうびてい孫尚香そんしょうこう様の間に生まれた皇子みこだったとは…。流石さすがにそれを最初さいしょに聞かされた時は驚きました。孫尚香様そんしょうこうさまといえば、蜀と呉が同盟どうめいを結んだ折に、盟約めいやくあかしとして劉備帝りゅうびてい輿こし入れされた、孫権帝そんけんてい妹君いもうとぎみなのですから...。あの方が劉備帝と過ごされた期間はわずか。その後直ぐに呉に戻ってしまわれました。まさか劉備帝の御子みこ身籠みごもっておられたとは...」


 華真は、一度は伝えた劉備りゅうびの隠された皇子みこについて、もう一度確認いちどかくにんするように語り始めた。


 これまで伝えられて来たうわさ..。

劉備帝りゅうびてい尚香様しょうこうさま不仲ふなかであったという話は、全くの誤りです。

 劉備帝は、呉からやって来た三十歳以上も歳下とししたの尚香様を、とてもいつくしまれたそうです。

 尚香様も其れに応え、夫婦仲ふうふなかはとても円満えんまんだったそうです。

 しかしある時、呉の策謀さくぼうによって尚香様は建業けんぎょうへ戻る事となりました。

 尚香様は別れぎわに、劉備帝と抱き合い泣かれたそうです。

 尚香様のお名前なまえ孫尚香そんしょうこう

 れが蜀では、今だに孫夫人そんふじんとか、呉尚香ごしょうこうと呼ばれるのは、『所詮しょせん敵国てきこくの呉から来た女』という、蜀王宮しょくおうきゅうでの尚香様への眼差まなざしの表れでしょうね。

 それでも尚香様の劉備帝への想いは、呉に戻っても変わらなかった。

 しかも日がつに連れ、尚香様のお腹がふくらんで来たのです。

 孫権帝そんけんていは、妹の妊娠にんしんに気付くとある決意けついをされました。

 妹の子のことは、呉の宮中きゅうちゅうの誰にも知られてはならない...と孫権帝は考えました。

 表向おもてむきは同盟国どうめいこくと言いながらも、その頃は呉宮中ごきゅうちゅうの誰もが蜀を敵国てきこく見做みなしていました。

 そんな中で、尚香様が劉備帝の子を産んだりすれば、その子は必ず命を狙われるだろうと...。

 そこで孫権帝は、宮中きゅうちゅうでの帝位継承争ていいけいしょうあらそいの収拾しゅうしゅうに悩んでおられた陸遜りくそん殿に眼を付けられたのです。

 陸遜殿は、孫権帝にひそかに呼びだされ、こう言われたそうです。

おろかしい延臣共えんしんどもや、出来できの悪い息子達むすこたちいさかいにかかわるのはもう良い。尚香しょうこうと腹の子を守ってやってくれ。生まれてくる子が男子だんしなら、将来しょうらいにおいて、呉と蜀をつな英傑えいけつとなろう。あの劉備りゅうび孫氏そんし両方りょうほうの血を受けぐ者だからだ。』

 そして孫権帝の密命みつめいを受けた陸遜殿は、尚香様を連れて建業けんぎょうを去ったのです。


「そして産まれたその方は、陸遜殿によって育てられたと...」

 感慨かんがい深げにつぶいた姜維に、華真はもう一つの事実じじつを伝えた。

「陸遜殿だけでは有りません。孫権帝は、もう一人の重要じゅうよう腹心ふくしんを、尚香様とその子の元につかわしました。呉の歴史れきしの中で、英傑えいけつと名をきざみながらも、すで病没びょうぼつしたとされている方です。その方が陸遜殿と手をたずさえ、産まれた皇子みこ教育きょういくに当たったのです。」

 それを聞いた姜維は、眼をしばたいた。

「その方とは、一体いったいどなたなのですか?」

 その問いに対して、華真は一つの言葉ことばを口にした。

「『かつての呉の阿蒙あもうあらず』」

 れを聞いた姜維は、あんぐりと口を開けた。

「そ、それは、もしや…。り、呂蒙りょもう殿....。呉でも随一ずいいつ猛将もうしょうにして、歳をかさねて後、孫権帝そんけんてい助言じょげんに従って日夜勉学にちやべんがくいそししみ、遂には天下無双てんかむそう博学はくがくしょうされたお方...。その方が実は生きていて、陸遜殿と共に皇子みこ家庭教師かていきょうしつとめたのですか...?」

 眼を丸くした姜維を見て、華真は大きくうなづいた。

 姜維は感極かんきわまった表情になった。

「あの陸遜殿と呂蒙殿が、そろって教育きょういくに当たったなどとは....。華真殿と華鳥殿は、その皇子みこにお会いになったという事ですが、どのように成長されていたのですか?」

一言ひとことで言えば....さわやかな方です。そして、何事なにごとにも好奇心旺盛こうきしんおうせいなお方。その方は、華鳥の持つ薬学やくがく医術いじゅつ知識ちしきにも強い関心かんしんを示され、我々の滞在中たいざいちゅうは華鳥の元に通い詰めでした。華鳥も驚くほどの熱心ねっしんさで....」

 そこで華真は、視線しせんを遠くに向けた。

「考えて見れば皮肉ひにくなものです。孫権帝そんけんていは、ご自身じしん妹御いもうとごと産まれて来る子の為に、ご自身じしん両腕りょううでとも言える英傑えいけつ二人共ふたりとも手離てばなした。それゆえに呉の宮中きゅうちゅうには、孫権様自身そんけんさまじしんを支える人材じんざいが居なくなってしまった。それが呉のかたむきの始まりだったのですから...。もしかして孫権帝は、それも分かっていながら、えて決断けつだんされたのかもしれませんね。」

 苦渋くじゅう決断けつだんを行った孫権帝の心中しんちゅうに想いをせながら、姜維もくうを見上げた。

「ううむ....。陸遜殿と呂蒙殿がきたえ、孫権帝が未来みらいたくしたという、そのお方。一刻いっこくも早く私もお会いしたい....。分かりました、使者ししゃは華鳥殿にお願いする事としましょう。ただし、従者じゅうしゃを付けさせて下さい。華鳥殿が、並みの男子以上だんしいじょう武術ぶじゅつたしなみをお持ちである事は承知しょうちしておりますが、万が一という事があります。従者じゅうしゃには王平おうへいの付き人である潘誕(はんたん)を付けましょう。実直じっちょく誠実せいじつな男です。」





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