第17話 曹叡の謀略

 長安ちょうあんでは、みかど曹叡そうえい側近達そっきんたちを集めて評議ひょうぎを行っていた。

 評議ひょうぎに集った面々めんめん司馬懿しばい司馬昭しばしょうの姿はなく、更に夏侯一族かこういちぞくを始めとする古くからの功臣達こうしんたちも、全てはずされていた。

「それで....。情勢じぃうせいはどうなっておる? 成都せいと建業けんぎょうに向かわせた密使みっしよりの申し入れへに対して、奴らからの返答へんとうはあったか?」

 曹叡からの問いに対して、そばひかえる臣下しんかの一人が答えた。

「呉のからはいま返答へんとうは有りませぬ。しかし成都せいとの方からは、極めて前向まえむきな返事へんじが返ってきております。ただし…。もう少し良い条件じょうけんにはらぬかと、虫の良い事を言って来ておりますが....。」

 それを聞いた曹叡が鼻を鳴らした。

「ふん、大方おおかた黄皓こうこくあたりが言い出して来た事柄ことがらだな。まぁ良いだろう。ず蜀と話を付けて行動こうどうに移させれば、呉も乗り遅れまいと動くだろう。今の呉は、皇族同士こうぞくどうし牽制けんせいし合っておるからな。」

 曹叡の言葉ことばに、宦官かんがんの一人が愛想笑あいそうわらいをしながら、殊更ことさら大袈裟おおげさ拝礼はいれいをした。

「しかし...みかどのご発想はっそうには、我々一同われわれいちどう、誰もが感服かんぷくしております。まさかこのような策があったとは...」

 宦官達かんがんたち拝礼はいれいに対して、曹叡は機嫌きげん良さそうに笑う。

司馬懿しばい司馬昭しばしょうのような連中れんちゅうは、いくさの事しか頭にないからな。物事ものごと有利ゆうりに進める為には、いくさだけが能ではない。あの連中れんちゅうが、前のいくさ失敗しっぱいして謹慎中きんしんちゅうである今こそが好機こうきだ。一気いっきに事を進めるぞ。蜀には、黄皓が求めて来た以上いじょう条件じょうけんを出してやれ。その代わり、直ぐに動けと伝えるのだ。」

承知しょうちいたしました。しかし今回こんかいの策がれば、蜀にもぐり込んだ呉の水軍すいぐんもどうしようもなくなりますな。尻尾しっぽいて呉に戻るしか無くなりましょう。誠に妙策みょうさくで御座います。」

 宦官達かんがんたち追従ついじゅうは更に勢いを増し、それに伴って曹叡の興奮こうふんも高まった。

「成れば...ではなく、必ず成し遂げるのだ。しかし我らの動きに、司馬懿達がいつまでも気が付かぬわけがない。彼奴あやつらが妙な動きを始める前に、決着けっちゃくを付けねばならぬ。それをきもに命じて事を急げ。」


 曹叡が下知げちを下していた頃、司馬懿のやかたでは、覆面ふくめんで顔をおおった司馬炎しばえんたずねて来ていた。

 直ぐに司馬炎を奥の部屋へやに導いた司馬懿は、司馬炎が腰を下ろすと直ぐに報告ほうこくうながした。

「何があった?」

みかどが何かを画策かくさくしております。密かに蜀と呉に密書みっしょを送り、何やら交渉こうしょうしている様子ようすです。今回こんかいの動きからは、我ら司馬しばだけでなく、曹操帝そうそうてい曹丕帝そうひてい由来ゆらい重臣じゅうしん一族いちぞくは、全てはずされています。全てを動かしているのは、みかどである曹叡様と曹氏そうしの一族、そしてみかどを囲む宦官かんがん中心ちゅうしんとした者共ものどもだけです。」

「ふむ。呉はかく、蜀の姜維きょういが、曹叡様よりの密使みっしに対してどのような返答へんとうをしたかが気にかかる。それについては、何かわかっておるか?」

 司馬懿の問いに、司馬炎が首を横に振った。

「それが...。密使みっしが向かったのは、姜維の元では有りませぬ。向かったのは成都せいとです。」

 それを聞いた司馬懿の顔色かおいろが、みるみる蒼白そうはくに変わった。

「なんだと....!。劉禅りゅうぜんの元に密使みっしを送ったと言うのか? 成都せいとに向かった密使みっしが、どのような内容ないようを劉禅に送ったかについては何かつかめておるか?」

残念ざんねんながら、だそれは分かっておりません。急遽きゅうきょ間諜かんちょう達の主力しゅりょくを劉禅の側近そっきん周辺しゅうへんに放ちました。何か動きがあり次第しだい報告ほうこくが来るはずです。」

「何か分かれば、直ぐに知らせよ。それと….司馬昭に至急しきゅうこちらに来るように伝えてくれ。謹慎中きんしんちゅうで動きにくかろうが、何とかしてやかたまで来いと伝えよ。」

 司馬炎が立ち去ると、司馬懿はしばらくの間、宙を見据みすえたまま呆然ぼうぜんとしていた。

「何と言う事だ。わしの悪い想像そうぞうが当たっていれば、今後数年こんごすうねんで魏は混乱こんらんの波に飲み込まれる。いや…。魏のみならず、天下てんか全てが争乱そうらん時代じだいとなろう。そうなれば曹操そうそう様のこころざしも、混沌こんとんの中で消え失せる。それだけでは、絶対ぜったいにあってはならぬ。」


 その夜、夜闇やいんまぎれて司馬懿のやかたを司馬昭がおとずれた。

至急しきゅう用件ようけんと司馬炎から伝え聞いてうかがいましたが、何があったのです?」

 すると司馬懿は、いきなり司馬昭の前に両手りょうてを突くと、頭を下げた。

「司馬昭….。唐突とうとつで済まぬが、今よりお前の命、わしに預けてくれ。」

 司馬昭が、あわてたように司馬懿の手を取った。

父上ちちうえ、何をおっしゃるのです。私の命など、司馬しば名誉めいよの為ならば、いつでも捨てる覚悟かくごは出来ております。何を今更いまさらのように……..」

 司馬昭の言葉ことばに、司馬懿は首を横に振った。

「お前の覚悟かくごは、重々じゅうじゅう承知しょうちしておる。ただこのたびの頼みは、恐らく後世こうせいまで残るであろう司馬しば不名誉ふめいよを共に背負せおって欲しいという事なのだ。今後こんごわしとともに、悪者わるものになって欲しいのだ…..。我らが今後こんごに得るのは、名誉めいよではなく悪名あくめいだ。」

 そう言うと、司馬懿は自分の想いを司馬昭に告げ始めた。

 それを聞く司馬昭の顔が、やが得心とくしんした表情ひょうじょうに変わっていった。

「そういう事でございましたか。それであれば私は何処どこまでも父上ちちうえに付いて参ります。我が司馬家しばけは、あの曹操様そうそうさま曹丕様そうひさまあってこそ栄えた家です。あのお二人にじゅんじるのならば、何のいも残りません。」

 覚悟かくごを決めた司馬昭の眼を、司馬懿はじっとのぞき込んだ。

「ならば、もし儂の想像通そうぞうどおりの事が起こっている場合ばあいだが…。お前は、今後こんご魏に於いて毒をらすであろう悪しき種子たねを、早々そうそうに取り除くように動くのだ。毒にも薬にもならぬ…という言葉ことばがあるが、この種子たねばかりは、毒にしかならぬ。芽吹めぶく前に、始末しまつせねばならぬ。絶対ぜったい仕損しそんじてはならぬぞ。」

 司馬懿の強い言葉ことばに、司馬昭は一度姿勢いちどしせいを正した後、深々ふかぶかこうべれた。

承知しょうち致しました。しかしその場合ばあい元凶げんきょうに対してはどのように?…」

 そう聞かれた司馬懿の眼が、すぅっと細くなった。

「それについては、わし自身じしんの手で決着けっちゃくを付ける。儂が動く迄、お前は手出しはするな。」

 司馬昭は、その命令めいれいにもう一度いちど頭を下げると、ふと司馬懿を見上げた。

「分かり申した。ただ一つ、お願いが御座います。息子むすこの司馬炎だけは….。我が息子ながら、ここで失うには惜しい男です。」

 その言葉ことばに、司馬懿は小さくみをらした。

「あやつは、父のお前以上まえいじょうに世が見えておる。もしかすると儂以上わしいじぃうかもしれぬ。儂等わしらが何をしようと、あ奴はそれを受け止めて、おのれの道を探すだろう。儂等わしら今後背負こんごせお不名誉ふめいよにあ奴も巻き込まれることは避けられぬ。しかし、あ奴ならば何とかする筈だ。必ずおのれの力でこころざしを求め、それに命を燃やす筈だ。儂は信じている。」


 司馬昭を送り出した司馬懿は、居間いま椅子いすに腰を沈めると、長い嘆息たんそくらした。

「もしかすると、この世はやみに沈むやもしれぬ。曹操様そうそうさま、申し訳御座いませぬ。それを導いたのは、私なのかもしれません。貴方様あなたさま大切たいせつな孫の曹叡様を、私の不徳故ふとくゆえに闇へと導いてしまったやもしれませぬ。そうであるならば、私自らが不始末ふしまつつぐわねばなりませぬ。その時には、あの世で貴方様あなたさまにお詫び申し上げます。」






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