第16話 華真と夏侯覇

 蜀軍しょくぐん宿営しゅくえい一室いっしつで、華真かしんなわかれた夏侯覇かこうはと、二人だけで向き合っていた。

何故なぜ、俺のいましめをいた? しかもお前は丸腰まるごしではないか。俺がお前を人質ひとじちにして、此処ここを逃げ出すとは思わないのか?」

 不思議ふしぎそうに華真を見詰みつめる夏侯覇に対して、華真が微笑ほほえんだ。

貴方あなたは、武器ぶきを持たぬ人間にんげんを襲うような真似まねはしませんよ。」

何故なぜそのような事がわかる? お前、人相見にんそうみでもやるのか?」

 興味深きょうみぶかげに尋ねる夏侯覇に、華真はゆったりと答えた。

夏侯覇将軍かこうはしょうぐんは、まこと武人ぶじんですからね。真の武人が剣を振るうのは戦場せんじょうのみ。その戦場で敗れた貴方あなたは、もう死を覚悟かくごしていらっしゃる。見苦みぐるしい抵抗ていこうなどしないでしょう。」

 華真の言葉ことばを受けて、夏侯覇の表情ひょうじぃうが動いた。

「その通りだ。そこまで分かっているなら、何故なぜ早く俺の首をねないのだ?」

「殺すなど惜しい方だからです。ところで、魏ではらえられた貴方様あなたさまを、どのように思っているのでしょうね?」

 華真にそう言われて、夏侯覇は一瞬言葉いっしゅんことばまった。

「ち、長安ちょうあん司馬懿しばい達は、俺を嘲笑あざわらっておろう。何と無様ぶざまな奴と...。彼奴等あやつらに笑われて迄、生きている積りはない。」

 それを聞いた華真は、そうではないとばかりに首を横に振った。

司馬懿しばい殿や司馬昭しばしょう殿がどう思っているかなど、どうでもよい事です。しかしみかど曹叡そうえい様なら、今回こんかいどのように考えるべきでしょうか?」

 夏侯覇が、華真の顔を見詰みつめた。

「どう言う意味いみだ?」

「もし初代帝の曹操そうそう様であれば、直ぐに蜀に取引とりひき使者ししゃ寄越よこしたでしょう。貴方様あなたさま解放かいほうする為の交渉こうしょうを行う為に..」

 華真の言葉ことばに対し、夏侯覇は口を閉ざしたままぴくりと眉を挙げた。

「しかし曹叡様は違うようです。実は蜀からは、すぐに魏に向けて使者ししゃを出しました。貴方様あなたさまを引き渡す見返みかえりに何か考えているのか?....と。曹叡様は交渉こうしょう拒絶きょぜつされました。」

「当然だ。無様ぶざまに負けた俺を、何故なぜ救わねばならんのだ?」

 苦しげな夏侯覇の言葉ことばを聞いて、華真は答えを返した。

曹操帝そうそうていは、有能ゆうのう部下ぶか大切たいせつにする方でした。あの方なら、多少たしょう政治的せいじてき妥協だきょうには目をつむって、貴方様あなたさまを生きて取り戻す事を考えたでしょう。」

 その言葉ことばに、夏侯覇が怒りの表情ひょうじょうを見せた。

「お前、何が言いたいのだ? このようなやり取りは無駄むだだ!! さっさと俺を殺してくれ!!」

 怒鳴どなり声を挙げた夏侯覇をしずめるように、華真が語りかけた。

曹操帝そうそうていが、魏を三国さんごくの中で最も強大きょうだいな国へとみちびけたのは、周囲しゅうい優秀ゆうしゅう側近そっきんを集めて、しかもその者達ものたち大切たいせつあつかったからです。天地人てんちじんと言う言葉ことばをご存知ぞんじですか? 天の時に恵まれ、地の利を得たとしても、人の和が欠けた政治せいじに人は付いては参りませぬ。」

 その言葉ことばが、夏侯覇の逆鱗げきりんれた。

貴様きさま..!曹叡陛下そうえいへいかに、みかど資質ししつが足りぬと言うのか!」

 怒り狂う夏侯覇に向かって、華真ははっきりと首を縦に振った。

「今の曹叡様の頭の中では、司馬一族しばいちぞく夏侯一族かこういちぞくの力を弱め、曹氏そうしの力を増す事だけが優先ゆうせんしているようですね。呉の状況じぃうきょうを見て、そう思うようになったのでしょうか? 呉では、諸葛格しょかくかくの乱以降、政治的混乱せいじてきこんらんが続いていますから...。しかし権力けんりょくというものは、奪い取るものではなく、与えられるものです。それを与えるのは天の意思いしであり、天の意思を得る為には、したが者達ものたちへの敬意けいい恩情おんじょう不可欠ふかけつなのです。それこそが、みかどの最も重要じゅうよう資質ししつなのです。」

 華真の言葉ことばは、夏侯覇の怒りをさらにあおった。

「それでは、今の蜀帝しょくていである劉禅りゅうぜんには、その天の意思いし味方みかたしているとでも言うのか?みかど資質ししつが、劉禅にはあると言うのか?」

 それに対して華真は一瞬いっしゅん口をつぐみ、その後に夏侯覇の眼を真っ直ぐに見据みすえながらきっぱりと答えた。

「いえ、劉禅陛下りゅうぜんへいかにも、天の意思いし味方みかたしては居りませぬ。残念ざんねんながら、あの方にはみかどたる資質ししつは御座いません。」

 それを聞いた夏侯覇は絶句ぜっくした。

「お、お前は、蜀の臣下しんかであろう。それなのにそのような言葉ことばを口にするなど....」

 しかし、華真は確信かくしんを持った表情を変えなかった。

「事実をゆがめる事は出来できませぬ。また事実に眼をそむけてもなりませぬ。我等われらが為すべき事とは、劉備りゅうび様、曹操そうそう様、孫権そんけん様のような英邁えいまいさを持つ、まことみかど相応ふさわしい方を探し出し、それを支える事なのです。」

「お前、自分じぶんが何を言ってるか、分かっているのか? また世の中を戦乱せんらん時代じだいに戻す気なのか?」

 口角こうかくあわを立てて怒鳴どなる夏侯覇に対して、華真はさとすように言った。

「逆です。真の平和へいわを得る為に、為さねばならぬ事を申し上げております。」

 真剣しんけんな華真の眼を前にして、夏侯覇は口をつぐんだ。

 そして長く沈黙ちんもくし、その後ようやく口を開いた。

何故なぜ、俺にこんな話をした? お前、一体いったい俺をどうしようと言うのだ?」

「夏侯覇殿のような方には、今私の申し上げた事について、是非ぜひとも熟考じゅくこうを願いたいのです。今の三国さんごく建立こんりゅうした各々おのおの初代帝しょだいてい方々かたがたには、世に真の平和へいわもたらそうとする確たるこころざしが有りました。それをうずもれさせてはなりません。この事を、良くお考え下さいますように...」

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