第14話 司馬会議

 の都、長安ちょうあんでは、急ぎ戻って来た司馬炎しばえんに向かって、司馬昭しばしょうが声をあらげていた。

「どうなっておるのだ。蜀の領内りょうない大量たいりょう糧食りょうしょく輸送ゆそうされ、しかもそれを奪う為に出陣しゅつじんした夏侯覇かこうは蜀軍しょくぐん捕縛ほばくされたなどと...。それだけではない‼︎ 長江ちょうこう遡上そじょうした呉の船団せんだんに対して、火攻ひぜめの装備そうびととのえた攻撃隊こうげきたいを差し向けたのに、難なくすり抜けられてしまうとは...。もはや夏侯覇だけの失態しったいだけでおさめるには説明せつめいがつかぬ結果けっかではないか。これでは、みかど釈明しゃくめいのしようもない….。」

 司馬昭に向かって深く頭を下げた司馬炎は、その後に強い目線めせんで父の顔を見た。

面目次第めんぼくしだいも御座いませぬ。しかし...父上。此度こたびの蜀の打った奇策きさく数々かずかず、これらは尋常じんじょうではありませぬ。確かに姜維きょうい優秀ゆうしゅうな男では御座いましょうが、あのような策、姜維だけの発案はつあんとはとても思えませぬ。」

「何を言い出すかと思えば....。姜維でなければ、誰が此度こたび軍略ぐんりゃく仕組しくんだと言うのだ!! 」

「私の知る限り、あのような策、諸葛亮孔明しょかつりょうこうめいにしかめぬかと...」

 それを聞いた司馬昭の顔が更にあかまった。

「何をたわけた事を...。孔明だと...。あの者は、とうの昔に死んでおるわ。」

 するとそれまで黙って二人のやり取りを見守みまもっていた司馬懿しばいが、だしぬけに口をはさんだ。

「待て。司馬炎の申す事、戯言ざれごとと切っては捨てられぬ。確かに、これらの策は、姜維だけでは無理むりであろう。となれば...。実は孔明がまだ生きているか、あるいは、蜀に孔明に匹敵ひってきする異才いさいが新たに現れたと疑わねばならぬ。」

「父上。孔明がまだ生きていると言うのは、流石さすがにちょっと….。」

 あきれたように声を出した司馬昭に対して、司馬懿は鋭い視線しせんを向けた。

現実げんじつに起こった事と冷静れいせいに向き合えば、その可能性かのうせいも捨ててはならぬと言っておるのだ。だからこそ、すぐに調べねばならぬ。蜀に忍ばせる間諜かんちょうの数を倍に増やせ。追加ついか者共ものどもは、何より姜維の周辺しゅうへんり付けるのだ。それと、気になる事がある。蜀に運び込まれた大量たいりょう糧食りょうしょくだが....。れは呉から運ばれた物とは到底とうてい思えぬ。その出所でどころを確かめよ。其処そこ謎解なぞときの鍵がひそんでいるやも知れぬ。」

「承知しました。すみやかに...」

 そう返答へんとうをしながら司馬昭が後方こうほうに下がると、今度は司馬炎が進み出た。

「ところで、祖父上そふうえ前線ぜんせんの軍は如何いかが致しましょう? こと此処ここいたっては...」

 司馬炎の言葉ことばに、司馬懿は眉間みけんしわを深くすると、一つ嘆息たんそくした。

「うむ...その事については....。一旦いったん兵は退かざるを得まいな。総大将そうだいしょうの夏侯覇がらえられ、兵達へいたち士気しきが下がっている上に、呉水軍ごすいぐんが蜀に入ってしまっておる。状況じょうきょうは極めて魏にとって不利ふりだ。此度こたび失態しったいは、みかどから強く叱責しっせきされる事はけられぬが、むをぬ。この事はわしから、直接ちょくせつみかど上奏じょうそうする事とする。」


 司馬懿から今回のいくさについての報告を受けた曹叡そうえいは、しばらく考え込む仕草しぐさを見せた後、厳しい眼差まなざしで司馬懿を見据みすえた。

「分かった。前線ぜんせんの兵は退却たいきゃくさせろ。しかし此度こたび不始末ふしまつ。おぬしと司馬昭の責任せきにんまぬがれぬぞ。今回こんかいのようないくさの結果、これを何と呼ぶ? 智慧ちえまわるお前なら、分かるであろうな?」

 そう問われた司馬懿は、曹叡の前にひざまづき、ひたいを床にりつけた。

「‥‥惨敗ざんぱい……。そう申し上げるしか御座いません。」

 曹叡は、床に平伏ひれふす司馬懿を見ながら、幾度いくどまゆ痙攣けいれんさせた。

「分かっているではないか。それならば、相応そうおう処分しょぶん覚悟かくごしているな?当面とうめんの間、の前に姿を見せる事は許さぬ。親子共々おやこともども自宅じたくにて謹慎きんしん致せ。その後については、追って沙汰さたする。」

 曹叡の下知げちに、司馬懿はひたいを床に擦り付けたまま、後ずさって退出たいしゅつした。


 宮廷きゅうていの外で待っていた司馬昭が、司馬懿の姿を見かけるとすぐに駆け寄って来た。

 口を開こうとした司馬昭の口元くちもとてのひらを押しつけ、司馬懿はぼそりと小声こごえで命じた。

此処ここでは、何も話せぬ。すぐにやかたに戻るぞ。戻ったら、司馬炎も同席どうせきするように伝えておけ。」

 そして、司馬館しばやかた一室いっしつで、司馬懿と共に司馬昭と司馬炎が車座くるまざした。

「そうですか。我らは謹慎きんしんですか...。それもやむを得ませんな。」

 司馬昭が、すで覚悟かくごしていた表情ひょうじょう嘆息たんそくした。

 その横で司馬炎は、何時いつも以上に暗い司馬懿の表情ひょうじょうから、謹慎きんしんなどよりもっと重大じゅうだいな何かを感じ取っていた。

 しばらくの沈黙ちんもくの後、司馬懿が重い口を開いた。

「蜀にらえられた夏侯覇だが….。蜀からすぐに使者ししゃ派遣はけんされて来た。夏侯覇を魏に引き渡す見返みかえりについての交渉こうしょうの為だ…。」

 その言葉に、司馬昭は軽くまゆを上げ、司馬炎は無表情むひょうじょうのまま司馬懿を見つめた。

「曹叡様は、使者ししゃに会う事を拒否きょひされた。意味いみは分かるな。夏侯覇など、もう魏には不要ふようであるので、るなりくなり好きにせよ…。そう蜀に通告つうこくしたのだ。」

 それを聞いた司馬昭が、軽く唇をめた。

「これで夏侯一族かこういちぞく没落ぼつらく決定けっていという事ですな。大黒柱だいこくばしらの夏侯覇がいなくなったとなれば、もはや夏侯一族の復権ふっけん困難こんなんでありましょう。司馬最大しばさいだい政敵せいてきが消える事となりまする。」

 司馬昭の言葉ことばを受けた司馬懿は、次に司馬炎に視線しせんを向けた。

「お前は、今回こんかいの曹叡様の措置そちについて、どのように思う?」

 司馬炎は、司馬懿の視線しせんが鋭くなったのを感じながら、一度いちど頭を下げた後に口を開いた。

「単に政敵せいてきが減ったと喜んでばかりはられぬと思います。今回こんかいみかど使者ししゃ門前払もんぜんばらいとした事、祖父上様そふうえさま事前じぜん相談そうだんはあったのでしょうか?」

 司馬懿が首を横に振るのを確認かくにんしてから、司馬炎は言葉ことばを続けた。

「そうであれば、曹叡様はご自身じしん周囲しゅうい側近達そっきんたちだけで、今回こんかい決定けっていを下したという事です。それは、今の曹叡様が司馬しば信頼しんらいしていない….という事を意味いみしませんか?」

 司馬懿は、大きくうなづいた。

「その通りだ。此度こたびの戦いで夏侯覇が蜀に捕らえられるなどとは全く予測よそくしていなかった。しかしそれが起こった事で、曹叡様が持つとんでもない一面いちめんあぶり出されてしまった…..」

 二人のやり取りを聞いて、司馬昭も顔色かおいろを変えた。

「では我らも、今後の動き方を考え直さねばなりませぬな。しかし、謹慎きんしんを申し付けられた今、おおっぴらに出歩であるく訳には行きませぬ…」

 そう言う司馬昭にちらりと眼を向けた後、司馬懿は再び司馬炎を見据みすえた。

「確かにしばらくは大人おとなしくしておらねばならぬが、もっているだけでは何も進まぬ。幸い今回こんかい、司馬炎は処分しょぶん対象たいしょうからははずれておる。お前に一働ひとはたらきして貰わねばならぬ。」

「かしこまりました。何なりとお命じ下さい。」

「司馬炎。我ら一族いちぞくに仕える忍びの者達の里へ、早急そうきゅうおもむけ。そして今使える者共ものどもを全て動かせ。屋敷やしきにいる者達ものたちの多くは、蜀へとはなってしまっているので、今や手が足りぬ。やるべき事は、お前が里へと出立しゅったつするまでにまとめておく。」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る