第11話 迷宮鉄鎖

 【『迷宮鉄鎖めいきゅうてっさ』。それは、まぼろしの陣として伝えられる陣形じんけいである。同数どうすう軍勢同士ぐんぜいがぶつかった時、それが騎馬隊きばたい歩兵隊ほへいたいであれば、機動力きどうりょくまさ騎馬隊きばたい有利ゆうりであるのは戦術せんじゅつ常識じょうしきである。その常識じょうしきくつがえしたのが、迷宮鉄鎖めいきゅうてっさの陣と言われている。しかし、その陣形じんけい運用うんよう詳細しょうさいを知る者はほとんど居ない。】


 丘陵きゅうりょうふもとに現れた軍勢ぐんぜいに向かって、夏侯覇かこうはは手をかざした。

荷馬車隊にばしゃたいを迎えに来た蜀の軍勢ぐんぜいだな。何処どこ麾下きかだ?」

 その夏侯覇の声にこたえるように、ふもとに現れた軍勢ぐんぜい先頭せんとうに、騎馬きばに乗った指揮官しきかんが姿を見せた。

 そしてその横で、従者じゅうしゃ軍旗ぐんきかかげた。

 それを見た副将ふくしょう絶句ぜっくした。

「あの旗印はたじるしは....。まさか…馬超ばちょう...」

 それを聞いた夏侯覇が顔色かおいろを変えた。

何故なぜ馬超がこんな所にいる...。あ奴は、とっくに将軍しょうぐんの職を辞して、隠遁いんとんした筈...。そうか、蜀の危機ききと知って出て来たのだな。面白おもしろい…;。馬超には積年せきねんの恨みがある。」

 夏侯覇は、過去の蜀とのいくさの際に、幾度いくども馬超と戦場せんじょうで顔を合わせていた。

 そして、いつも馬超に翻弄ほんろうされ、都度つど敗北はいぼくして来たにが経験けいけんがあった。

「老いぼれの分際ぶんざいで、また俺の前に姿を現したか。今度こんどこそは、俺がうらみを晴らす番だ。一気いっきに片を付けてやる。全軍ぜんぐん逆落さかおとしで下にいる軍勢ぐんぜい蹴散けちらせ‼︎」

「将軍、お待ちを...!れはわなかも….」

 後ろからそう叫んだ司馬炎しばえんに、夏侯覇は怒りにちた眼を向けた。

「ふざけた事を言うな!! 我らが位置いちするのは丘の上。敵は丘の下でいつくばっているのだぞ。この有利ゆうり体勢たいせい攻撃こうげき仕掛しかけなくてどうするのだ。臆病風おくびょうかぜに吹かれたのなら、お前は此処ここで待っていろ!!」

 その声と共に、夏侯覇は騎乗した馬の腹をった。

 そして騎馬隊きばたい先頭せんとうに立ったまま、全速力ぜんそくりょくで坂を駆け下りて行った。

 夏侯覇達かこうはたち一気呵成いっきかせいに坂を駆け降りるのを認めたふもと馬超隊ばちょうたいは、一糸乱いっしみだれぬ動きで左右さゆう隊列たいれつを開き、鶴翼かくよく陣形じんけいを取った。

 それを見た夏侯覇は、馬上で嘲笑あざわらった。

「ふん….俺達おれたちを包み込もうと言うのか。鶴翼かくよくというのは、大軍たいぐん少数しょうすうの軍を粉砕ふんさいする時にこそ有効ゆうこうなのだ。ほぼ同数どうすう相手あいて、しかも騎馬相手きばあいてに、歩兵隊ほへいたいがこんな手を使うとは…。馬超も衰えたな。」

 夏侯覇は後方こうほう合図あいずを送ると、騎馬達きばたいをほぼ三列縦隊さんれつじゅうたいそろえて、馬超陣ばちょうじんの真ん中を目掛めがけて突っ込んで行った。

 その時、最前方さいぜんぽうを走る夏侯覇隊かこうはたい騎馬きばあしを取られて転倒てんとうし、馬上ばじょうにいた兵達へいたち次々つぎつぎと地に投げ出された。

「何が起こった?」

 剣を手にして振り返った夏侯覇に向かって、副将ふくしょうが叫んだ。

「地の草が、あちこちでに結ばれております!!。これに脚を引っ掛けた馬達が転倒てんとうしたんです。」

 それを聞いた夏侯覇の頭に血がのぼった。

「おのれ、小賢こざかしい真似まねを。構わん、一気いっきに突っ切って敵陣てきじんを乱すのだ。」


 すると馬超軍ばちょうぐん歩兵達ほへいたちは、夏侯覇隊かこうたいが突っ込んで来る直前ちょくぜんへびのようにうね陣形じんけいへと変化へんかし、魏の騎馬達きばたち周辺しゅうへんに取り付いた。

 それを丘陵きゅりょうの上から見た司馬炎しばえんは、思わずうなった。

れは...単なる鶴翼かくよくではない….。かつて諸葛亮孔明しょかつりょうこうめいみ出したとされるまぼろしの陣だ。」

 その言葉ことばに、司馬炎の横で馬上ばじょうに並ぶ将校しょうこうが振り向いた。

「幻の陣?何です、それは...?」

 将校の問いかけに、司馬炎は呆然ぼうぜんとした表情ひょうじょうで呟いた。

「『迷宮鉄鎖めいきゅうてっさの陣』。騎馬きばの列を分断ぶんだんして包み込み、周囲しゅういを蛇のようにめぐる事で、騎馬きば方向感覚ほうこうかんかくを失わせ、機動力きどうりょくを奪う陣だ。迷宮鉄鎖めいきゅうてっさに巻き込まれた騎馬隊きばたいは、隊列たいれつ分断ぶんだんされ、馬は往生おうじょうする。馬の機動力きどうりょくを奪われれば、騎馬隊きばたい戦力せんりょく激減げきげんする。立ち往生おうじょうした馬上ばじょうに乗る騎兵きへいは、歩兵ほへいやり格好かっこうまととなる。そうは言っても、これは並の部隊ぶたいで出来る陣ではない。流石さすが馬超隊ばちょうたいだ。相当そうとう調練ちょうれんされている…..」

 司馬炎達が丘から見守る中、夏侯覇のひきいる魏の騎馬隊きばたいは、次々と動きを封じられて立ち往生おうじょうへと追い込まれて行った。

 そして、馬超軍ばちょうぐんの蛇のような陣形じんけい翻弄ほんろうされたまま、次々と陣の内側うちがわに呑み込まれて行った。

 その様子ようすを見ていた司馬炎が、思わず叫んだ。

まずい….。夏侯覇将軍かこうはしょうぐんが、蜀軍しょくぐんの中に孤立こりつしたぞ!! 将軍がたれる....」

 司馬炎の叫びの中、夏侯覇は馬上ばじょうで剣を振るい、次々つぎつぎと打ちかかる歩兵達ほへいたち懸命けんめい応戦おうせんしていた。

 その時、夏侯覇を取り囲む歩兵達ほへいたち一斉いっせいに動き、夏侯覇の目の前に一筋ひとすじ走路そうろが生まれた。

 それを目にした夏侯覇が、馬の腹を蹴り、疾駆しっく包囲ほういを抜けようとしたその時....。

 一本いっぽんの綱が、夏侯覇の乗る馬の前方ぜんぽうに張られ、それにあしを取られた馬が転倒てんとうした。

 そして起き上がろうとした夏侯覇の頭上ずじぃうからは、麻縄あさなわあみおおいかぶさった。

 網に動きをからめ取られた夏侯覇に、周囲しゅうい兵達へいたち一斉いっせいむらがった。

 剣を奪われ地面じめんに組み伏せられた夏侯覇の目の前に、大きな黒馬くろうまに乗った男が駆け寄って夏侯覇を見下ろした。

「まだまだ未熟みじゅくだな。こんな事ではいつまでっても俺には勝てんぞ‼︎」

 その声に眼を上げた夏侯覇の前に立ったのは、白い顎髭あごひげ精悍せいかん老将ろうしょうだった。

「馬超‼︎ おのれ....!!」

「夏侯覇。そんな姿で怒鳴どなり散らして何になる。大将たいしょうが捕らえられた今、もう勝負しょうぶは決しておるぞ。」


「そうか。魏の騎馬隊きばたいを打ち破ったか。しかも総大将そうだいしょうの夏侯覇を捕縛ほばくするとは...。予想外よそうがい戦果せんかだ!」

 馬超隊ばちょうたいからの伝令でんれいの知らせを受けて、陣営じんえいにいた姜維きょういは思わず喝采かっさいした。

 その横で、華真が、冷静れいせい表情ひょうじょうを崩さないまま姜維に話しかけた。

「宰相殿。まだもう一つの山場やまばが残っておりますぞ。」

 華真の声に、姜維は表情ひょうじょうを引き締めた。

「そうでした...。呉水軍ごすいぐんにも、手柄てがらを立てて貰わねば。孫皓そんこく殿は、もう呉水軍の近くに到達とうたつしている頃ですね。」

「ところで、捕縛ほばくした夏侯覇殿は、今はどのように...?」

 華真からの問いに、直ぐに後ろにいた王平が答えた。

虜囚りょしゅうはずかしめは受けたくない、早く殺せ‼︎...と叫び続け、自ら舌をもうとしたので、猿口輪さるぐつわませ、馬超将軍ばちょうしょうぐんみずか此方こちらへと連行れんこうしている最中さなかですが...」

「それで結構けっこうです。此処ここ到着とうちゃくしたら、夏侯覇殿と話がしたいのですが...よろしいですか?」

 突然とつぜんの華真からの申し出に、姜維は驚きながらもすぐに了承りょうしょうした。

「それは宜しいのですが....一体どうされようと....?」



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