第8話 開戦準備

「そうか....ついに侵攻しんこう体勢たいせいに入ったか...。それで、今回こんかい魏軍ぎぐん総大将そうだいしょうは誰だ?」

 魏としょく両軍りょうぐん対峙たいじしたまま、半年以上はんとしいじょう続いた膠着こうちゃく状態じょうたい変化へんかきざしありとの伝令でんれいを受けて、姜維きょういはすぐさま王平おうへい華真かしんの二人をそばに呼んだ。

夏侯覇かこうはです。夏侯一族かこういちぞくのみならず、今の魏では筆頭格ひっとうかく猛将もうしょうですな。れは手強てごわいですぞ。」

 王平の返答へんとううなづいた姜維は、更なる問いを向けた。

はどう動く? みかど孫休そんきゅう前帝ぜんてい孫亮そんりょうに対しては、同盟どうめい遵守じゅんしゅを求める書簡しょかんを送っておいたが…。同盟どうめいもとづいて、呉と魏の国境くにざかいに兵を出し、牽制けんせいするような動きはあるか?」

「今のところはだ...。しかし返使へんしとして、皇族こうぞく孫皓そんこく殿が蜀に来られるそうです。」

 姜維と王平のやりとりをそばで聞いていた華真が顔を挙げた。

「なるほど。魏と呉のどちらにも、はら一物いちもつありますね。」

「腹に一物いちもつ? それは何ですか?」

 華真の言葉ことばに、姜維と王平がそろって首をひねった。

 華真が、二人の顔を見ながら口を開いた。

「先ず魏の方ですが、今回のいくさでは、魏は持久戦じきゅうせんのぞむのが常道じょうどうです。向こうは十分じゅうぶん兵站へいたんととのえているのに対して、我が軍の糧食りょうしょく心細こころぼそ状況じょうきょうです。このような時に、攻め急ぎはです。それなのに夏侯覇かこうは殿が大将たいしょうとは...。猛将もうしょうですが、気の短い夏侯覇殿には、持久戦じきゅうせんは向きませんね。」

 それを聞いた王平が、なるほどとうなづいた。

「裏に何かあるのですね?」

 そう問いかけた王平に、華真が答えた。

今回こんかい兵略へいりゃくの全ては、長安ちょうあんから指示しじが出ているはず仕切しきっているのは司馬懿しばい司馬昭しばしょうでしょう。彼らが、えて総大将そうだいしょうに夏侯覇殿を当てたと言う事は、謀略絡ぼうりゃくがらみですね。司馬懿らしい陰湿いんしつ術策じゅっさくでしょう。」

「すると此方こちらの打つべき手は?」

「司馬懿達の目論見もくろみを、逆手さかてに取るのがよろしいでしょう。大きな獲物えものも手に入るやもしれません。」

 華真の言葉ことばの意味をはかりかねる様子ようすの王平を横目よこめにしながら、今度こんどは姜維が問いかけた。

「それでは、呉の方の腹の一物いちもつとは...?」

「呉の王宮内部おうきゅうないぶで起こっている対立たいりつ背景はいけいにありますね。恐らく今回こんかいの策をこうじたのは、僕陽興ぼくようこう張布ちょうふ。そのあたりでしょう。彼等かれらなりの捨て身の策でしょうな。あの二人は、いずれは孫皓そんこく殿をみかどの座にけたいと願っている者達ものたちです。今、蜀と魏にいくさが起きれば、必然的ひつぜんてきに呉の王宮おうきゅうにも波紋はもんが広がります。政局不安定せいきょくふあんてい王宮おうきゅうから、孫皓殿を切り離すつもりでしょう。同時どうじに、蜀との交渉こうしょうに置いて、孫皓殿に手柄てがらを立てさせる事を狙った策とました。かなり危険なけではありますが.....」

 華真の見立みたてに、姜維がほぅと感嘆かんたんの息をらした。

使者ししゃとして蜀に来られる孫皓殿がどのように動かれても、呉本国ごほんごく本格的ほんかくてきな戦さの動きは取らないでしょう。今はそれどころでは有りませんからね。呉が当てにならない事を前提ぜんていに、先ずは魏を打ちはらう事が喫緊きっきん課題かだいとなります。ただし呉から使者として来られる孫皓殿にも、一働ひとはたらき頂けるように事を運びましょう。」

 華真のよどみない説明せつめいを聞いて、王平が武者震むしゃぶるいをした。

「華真殿には、すでに策がお有りなのですね。」

ずは、夏侯覇殿がみずか進撃しんげきをして来るように策を仕込しこみましょう。私に案があります。早急そうきゅうにある所に使者ししゃを立てて頂きたいのです。これから私が書く書簡しょかんたずさえて...」


 その頃、魏の本陣ほんじんでは、総大将そうだいしょう夏侯覇かこうは癇癪かんしゃく破裂はれつさせて、周囲しゅういに当たり散らしていた。

「何もせず、此処ここでずっと待てと言うのは、どう言うわけだ? 俺はいくさに来たのだぞ。こんな所で昼寝ひるねでもしていろと言うのか!!」

「し、しかし...将軍しょうぐん持久戦じきゅうせんめ上げよ...と言うのが、長安ちょうあんからの指示しじですぞ。」

 副将ふくしょう言葉ことばを聞いた夏侯覇は、その場にいた将校全員しょうこうぜんいんに鋭い眼光がんこうを向けた。

「それならば、どうして俺を総大将そうだいしょうなどに指名しめいしたのだ? 俺が持久戦じきゅうせんなどには向かない事は承知しょうちしているだろうに...。これはどう言う事だ? お前ならそのわけを知っておろう?」

 夏侯覇が一人の若い将校しょうこう指差ゆびさし、憎々にくにくし気にえた。

 名指なざしされた若い将校しょうこうは、司馬昭しばしょう息子むすこ司馬炎しばえんだった。

返事へんじをしろ!! 宰相さいしょうの司馬懿と親父おやじの司馬昭から、何かを言い含められているのだろう?」

 すると、司馬炎は殊更ことさらにゆったりと肩をすくめて、夏侯覇と眼を合わせた。

「まるで、長安ちょうあんが寄ってたかって将軍殿しょうぐんどのをいたぶっているような物言ものいいですね。夏侯覇将軍かこうはしょうぐん総大将そうだいしょう指名しめいしたのは、このいくさ重要性じゅうようせい十分じゅうぶん認識にんしきしているからです。それに、私をそのような眼で見るのはおやめください。私を、将軍殿しょうぐんどのを見張る為に長安ちょうあんから派遣はけんされた間諜かんちょう誤解ごかいされているご様子ようすですね。それは心外しんがいです。今回こんかいの私の派遣はけんは、猛将もうしょう名高なだかい夏侯覇将軍のいくさぶりを、そばで良く学べと言われての事です。それ以外いがい意図いとはありません。」

 それを聞いた夏侯覇は、いかにも胡散臭うさんくさいといった眼で司馬炎を見た。

「本当にそれだけか? ならばいくさと言うものは、臨機応変りんきおうへん大事だいじという事を、良くきもに命じておけ。長安ちょうあん指示しじを頭から無視むしする気はないが、時と場合ばあいによっては、直ぐに打って出る事も戦場せんじょうでは必要ひつようだ。その時、親父共おやじどもに余計なぐちをしたりするなよ。」

十分じゅうぶん承知しょうちしております。そうなった時の将軍殿しょうぐんどの采配さいはいも、良くたりにして学んでこい...と言われて来ております。」


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