第7話 それぞれの思惑

 の都の建業けんぎょう宮廷きゅうてい一室いっしつでは、みかど孫休そんきゅうが、側近そっきん僕陽興ぼくようこうと向き合っていた。

「どうだ、弟と伯父おじ様子ようすは?よもや不穏ふおんな動きは無いだろうな?」

 孫休が名前なまえげたのは、異母弟いぼてい孫亮そんりょうと、親族の孫淋そんりんの二人だった。

 孫亮は、孫休の前のみかどだったが、実力者じつりょくしゃである宰相さいしょうの孫淋の策謀さくぼうによって帝位ていいを追われた人物じんぶつである。

 孫亮の退位たいいの後は、宰相さいしょうの力を使って帝位ていいに押し上げた孫休を、孫淋があやつる事で王宮内おうきゅうない実権じっけんをほぼ手中しゅちゅうにしていた。

 孫淋の後押あとおしで帝位ていいを得た孫休は、表向きは孫淋に従う素振そぶりを見せながらも、陰ではひそかに実権じっけん掌握しょうあく目指めざしていた。

 一方いっぽうで、一度いちど退位たいいした孫亮も虎視眈々こしたんたん帝位ていいへの返り咲きを狙っていた。

 この頃の呉は、皇族内部こうぞくないぶ対立抗争たいりつこうそうに明け暮れていたのである。


 孫休からの問いかけを受けた僕陽興は首をかしげた。

「あのお二人ふたりが動きを起こす為には、何かきっかけが必要と思いますが….。みかどには思い当たる事がお有りなのですか?」

 すると孫休は身を乗り出すと、やや声をひそめた。

「実はな...。しょく姜維きょういから、密書みっしょが来ている。が近々蜀に侵攻しんこうして来る気配けはいが有ると...。その時には、同盟どうめいに従って蜀に助成じょせいするようにと求めて来ている。」

「魏が、此処ここで動きまするか。それで……宰相さいしょうの孫淋殿には、蜀からの要請ようせいがあった事をお知らせになったのですか?」

 すると孫休は、とんでもないとばかりに手を振って見せた。

「いやいや…..知らせるわけがなかろう。孫淋伯父そんりんおじは、おのれ基盤きばんを固めるのに血眼ちまなこになっている。そんな時に、蜀の要請ようせいなどに応じるはずがあるまい。」

 すると僕陽興は、孫休に対してむつかしい顔を見せた。

「しかし三国さんごく一角いっかくである蜀がほろべば、魏は次には呉に矛先ほこさきを向けて来ましょう。孫淋殿がどう動くかは分かりかねますが、前帝ぜんていの孫亮様は黙っておりますまいな。それならば、孫亮様にも姜維から密書みっしょが届いているのではありませんか?」

 孫休は、を得たという表情ひょうじょうになった。

「お前もそう思うか。確かに此処ここで蜀が滅べば、我国わがくには魏と正面しぃうめんから向き合わざるを得なくなる。そうなれば、孫亮の復位ふくいなどあり得まい。そのような状況じょうきょうで、一度退位いちどたいいした者を復権ふっけんさせるなど、宮廷内きゅうていない混乱こんらんするだけだからな。孫亮にしてみれば、蜀には踏ん張って貰いたいであろう。しかし孫淋伯父そんりんおじの場合は、ちと違うな。蜀がほろべば、自分から呉を魏に差し出す事もやりかねんからな。自分の宰相さいしょう地位ちいだけは保証ほしょうするという条件で...。この情勢下じょうせいかで、私はどうすれば良いと思う..?」

 僕陽興は、しばしの間、考えをめぐらすように口をつぐんだ。

 そして、顔を挙げると孫休の顔をじっと見詰みつめた。

「今のみかどのお立場たちばからすれば、蜀の要請ようせいを頭から無視むしするのはまずいですな。ずは同盟どうめい尊重そんちょう相手あいてに示すべきでしょう。しかし口先くちさきだけでは、姜維も納得なっとくしますまい。此処ここは策が必要ですな。」

 それを聞いた孫休の眼に期待きたいの色が浮かんだ。

「それで…。どんな策があると言うのだ?」

返使へんしには、それなりの人間にんげんを送らなくてはならないでしょう。上級文官程度じょうきゅうぶんかんていどでは駄目だめですな。同盟重視どうめいじゅうし姿勢しせいを示すには、皇族こうぞくでなくてはなりますまい。」

 孫休の顔色かおいろうかが仕草しぐさを見せた僕陽興に対して、孫休は次の言葉ことばうながした。

「ふむ….。ではその場合ばあい、誰を送る?」

 孫休にうながされるのを待っていたかのように、僕陽興は即答そくとうした。

孫皓そんこく様がよろしいかと。孫権そんけん陛下へいかの手で廃太子はいたいしとされた孫和そんわ様の嫡子ちゃくしですから、孫亮様と同様どうよう普通ふつうでは帝位ていいは望めない事は、ご自身じしん自覚じかくしておりましょう。ですから、敢えて火中かちゅうくりひろう事も受諾じゅだくされるでしょう。」

 孫皓…とつぶやきながら、しばら思案しあんめぐらせていた孫休は、やがて納得なっとくしたように顔を挙げた。

「なかなかに良い案だ。孫皓なら気質きしつ剛健ごうけんな上に、しも良い。もし蜀にいて人質ひとじちとして留め置かれても、それはそれで構う事もあるまい。それでは、その方向ほうこうで進めよ。その場合ばあい宰相さいしょうである孫淋伯父そんりんおじへの根回ねまわしには、くれぐれも慎重しんちょうすように….」


 僕陽興は、宮廷きゅうていを後にすると、直ぐにその足で盟友めいゆう張布ちょうふの家をおとずれた。

 そして、孫休との密談みつだん内容ないようを打ち明けた。

 僕陽興の話を聞いて、張布は驚いた。

「なんと...。孫皓様を蜀に送るのですか。孫皓様は、今上帝こんじょうていの孫休様の後をげるうつわと、ひそかに我らが心に決めているお人ですぞ。何故なぜ今ここで、掌中しょうちゅうたまをむざむざ手放てばなさねばならないのです?」

 僕陽興の提案ていあん難色なんしょくを見せた張布に対して、僕陽興は自らの深慮しんりょを打ち明けた。

「孫皓様を、今の呉に置いておくのは危険きけんだからだ。けではあるが、孫皓様には一旦いったん蜀で一働ひとはたらきして頂くのが良いと思う。孫皓様の器量きりょうならば、蜀との交渉こうしょう優位ゆういに進める事は十分じゅうぶん可能かのうだ。そうなれば、孫皓様の宮中きゅうちゅうでの評判ひょうばんはぐんと上がる。その機会きかいのがさず我らが動けば、孫皓様を次のみかどにおけする事も出来るのではないか?」

 それを聞いた張布はひたいに手を当てて、考える顔つきになった。

「なるほど...。確かに今の呉は、孫淋殿、孫亮様が何をしでかすか分からぬ状況であるのは確かですな。孫休陛下は、慎重しんちょうなお方ではあるが、豪胆ごうたんさには欠ける。またぞろ皇族同士こうぞくどうし紛争ふんそう勃発ぼっぱつして、孫皓様が妙な形で巻き込まれる危険きけんを考えると....。案外あんがいれは、妙策みょうさくかもしれませんな。」

 張布が賛同さんどう姿勢しせいを見せた事を確認かくにんして、僕陽興はもう一度表情どひょうじょうを引き締めた。

「それでは孫皓様の元には、張布、おぬしが行ってくれぬか。此処ここ正念場しょうねんばと、納得なっとく頂けるように進言しんげんして欲しい。」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る