第6話 曹叡と司馬親子

 の都である長安ちょうあん王宮おうきゅうでは、みかど曹叡そうえい玉座ぎょくざに座り、憂鬱ゆううつ表情ひょうじょう臣下達しんかたちからの報告ほうこくに耳をかたむけていた。

「今や、は恐るるに足りません。呉の内部ないぶには、すでに国を支える人材じんざいと呼べる者はおりませぬ。今のみかど孫休そんきゅうも、帝位ていいは形だけの物。内乱ないらんなどいつでも仕掛しかけられます。」

 そう言ったのは、司馬懿しばいの息子である司馬昭しばしょうだった。

「しかし、呉はしょくとの同盟どうめいいまだに維持いじしておるぞ。」

 曹叡の指摘してきに対して、司馬昭は一度拝礼いちどはいれいをした後に胸を張った。

「その同盟どうめいも、もはや形だけのもの。今の呉には、蜀と手をたずさえて魏に刃向はむかおうとする者などおりません。腑抜ふぬぞろいですからな。となれば、もう一方いっぽうの目の上のこぶである蜀を、完膚かんぷなきまでにたたつぶ機会きかいは、今を置いて他にありません。」

 自信じしん有り気に断言だんげんする司馬昭を、横で父の司馬懿がやや不安気ふあんげ見遣みやった。

「蜀でおそろしかったのは、宰相さいしょう諸葛亮孔明しょかつりょうこうめいのみ。それも今や死んでおります。」

 司馬昭が孔明の名を口にした時、司馬懿の顔に不機嫌ふきげん表情ひょうじょうが走った。

 司馬懿の様子ようすを眼に入れた曹叡が、揶揄からかうような口調くちょうで口をはさんだ。

「諸葛亮孔明か...。あれは確かに鬼神きしんのような者だったな。なにせ此処ここにおる司馬懿が、あの五丈原ごじょうげんの戦いで、すでやまいに没した孔明の最期さいごの策に乗せられてむざむざ軍を退かざるを得なかったのだからな。」

 曹叡の言葉ことばを受けて、司馬懿の不機嫌ふきげん表情ひょうじょうが更にけわしくなった。

「『いまだ生を知らず、いずくんぞ死を知らん』という言葉ことばも御座います。私は、生前せいぜんの孔明との駆け引きでは、常に互角ごかくであったと自負じふしております。生きている者には、私は負ける気はしません。しかし死者ししゃともなれば話は別。あの時が正にそうで御座いました。」

 不機嫌ふきげんを隠そうともせずにそう言上ごんじょうした司馬懿を見て、曹叡は苦笑くしょうした。

「別に、お前を非難ひなんしているわけではない。孔明とは、お前にそう言わせる程の男だったと言っているだけだ。」

 曹叡と司馬懿の間にただよ緊張きんちょうを感じ取った司馬昭が、あわてたように口を開いた。

「しかしながらその孔明は、すでにこの世にはおりません。残された姜維きょうい王平おうへい達が、前線ぜんせんでしぶとく抵抗ていこうする構えをくずしておりませんが、ここ最近さいきんでは食糧しょくりょう供給きょうきゅうとどこおっているようです。兵士達へいしたち士気しきも下がっておりましょう。今が攻め時と思われます。」

 司馬昭の横でうなづく司馬懿の姿に眼をりながら、曹叡は軽く右手みぎてを振った。

「分かった。お前達まえたちそろってそう申すのなら、勝算しょうさんあっての事だろう。追って出陣しゅつじん勅書ちょくしょを出す事としよう。」

 司馬懿達が退出たいしゅつすると、玉座ぎょくざの曹叡は不快気ふかいげに鼻を鳴らした。

「ふん...。司馬懿と言い、司馬昭と言い、最近さいきんでは国の決定けっていは全て自分達じぶんたちで行うという態度たいどがあからさまになって来ておるな。しかし、今回のいくさ総大将そうだいしょう夏侯覇かこうは推挙すいきょしてきたのはどうしたわけかな? 夏侯覇は、最近さいきん司馬一族しばいちぞく言動げんどうには、不快感ふかいかんを隠しておらぬというのに...」

 曹叡は、そこで一度いちど首を振ると考えるのをめた。

 そして玉座ぎょくざを降り、寝所しんじょへと向かった。


 謁見えっけんの間から退出たいしゅつする司馬懿の背に、司馬昭が小さく声をかけた。

父上ちちうえ今回こんかいの蜀の討伐とうばつ大将たいしょうに、何故なぜ夏侯覇を推挙すいきょしたのです? あの者が、我ら司馬の一族いちぞく反感はんかんを持っているのは明らか。我らの軍略ぐんりゃくに、大人おとなしく従うかは大いに疑問ぎもんです。」

 不満気ふまんげな司馬昭の声に司馬懿が立ち止まり、司馬昭の耳元みみもとささやいた。

「確かに、このたびいくさで夏侯覇が大殊勲だいしゅくんなどげれば、夏侯一族かこういちぞくが一気に息を吹き返す事になるであろうな。」

「それが分かっていながら、なぜ夏侯覇を総大将にしたのです?」

 首をかしげる司馬昭に向けて、司馬懿は意味いみ有り気な笑みを返した。

今回こんかいは、蜀に対しての大勝たいしょうなど必要ひつようないのだ。蜀などほうって置いても徐々じょじょ弱体化じゃくたいかする。ただし今ならば、蜀にもそれなりのいくさをする力は残っておろう。場合ばあいによっては、小さな勝ちいくさ可能かのうであろうな。」

 それを聞いた司馬昭が、眼を見開みひらいた。

父上ちちうえは、今回こんかいは負けいくさをせよと、おっしゃっているのですか?」

 焦ったような司馬昭に向かって、司馬懿が視線しせんを強めた。

「負ける戦いなど、曹叡様が御許おゆるしになるはずもない。だからこそ大将たいしょうには、夏侯覇が良いのだ。ただ軍略ぐんりゃくは、あくまでも我らの手元てもとに置く。そうすれば、どこかで夏侯覇がしびれを切らす時が来る。その時が司馬への不満分子ふまんぶんし筆頭ひっとうである夏侯覇を蹴落けおとす契機けいきとなる。」

 そこまで聞いても、司馬昭の顔に納得なっとくの色はない。

「すると、夏侯覇が我らの軍略ぐんりゃく無視むしする事の方が良いと...?」

「そうだ。ここは夏侯覇には悪者わるものになって貰わねばならぬ。上手うまく事が運べれば、夏侯一族の息の根は止まる。しかし一方的いっぽうてきな負けいくさは許されぬぞ。このいくさみかど進言しんげんしたのは、我らなのだからな。ここの按配あんばいをどうさばくかが、今度こんどいくさ要諦ようていなのだ。」

 その言葉ことばを聞いて、ようやく司馬昭が大きくうなづいた。

流石さすが父上ちちうえです。委細承知いさいしょうちしました。万事上手ばんじうまおさめて見せまする。」

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