第5話 王平の救命

「こうして私と妹は、諸葛亮孔明しょかつりょうこうめいから使命しめいたくされました。私の心の中の孔明は、私に言いました。『まず諸国しょこくめぐり、見聞けんぶんを深めよ。その後、蜀の宰相さいしょうの元におもむけ』....と...。」

 そこまで語った華真かしん言葉ことばを大きな声でさえぎったのは王平おうへいだった。

「やはり、どうしても信じられん...。そんな事を信じろという方がおかしい...。これは何かの間違いか、さもなければ、奇術師きじゅつしまがいの絡繰からくりだ‼︎」

 そう怒鳴どなった王平は、その直後ちょくご下腹したはらおさえてうずくまった。


「王平‼︎ どうした、大丈夫か?」

 驚いた姜維きょういが王平に駆け寄るより先に、華鳥かちょうちゅうを舞うような動きで王平のかたわらに身をおどらせた。

 そして、すぐにそのひたいに手をやった。

 次に華鳥は、右手みぎて親指おやゆびを王平の下腹したはらに突き立てた。

 その瞬間しゅんかん、王平の顔が苦痛くつうゆがみ、大きなうめき声が部屋全体へやぜんたいれた。

 王平の状態じょうたいた華鳥は、華真と姜維に向き直ると、強い口調くちょう断言だんげんした。

「腸の一部いちぶひどれています。放置ほうちすればやがて腸がくさり、そのまま何もしなければ死に至ります。」

 そう断言だんげんする華鳥に向かって姜維があらがった。

「な…なぜ、そのような事が瞬時しゅんじにわかるのです。王平は、薬を飲んでると言っていた。もしや、それでは駄目だめなのですか?」

 不安気ふあんげな眼をしてそう言う姜維を、華鳥が振り返った。

「これは単なる腹痛ふくつうではありません。痛み止め程度ていどの薬では無意味むいみです。この様子ようすから察するに、これまで随分ずいぶん我慢がまんしていたようですね。強い方です。」

 それを聞いた華真が、落ち着いた声で華鳥に尋ねた。

「華鳥。お前は、これまで五年をかけて薬方やくほうの全てをきわめたはず。何かく薬はあるか?」

 その言葉ことばに、華鳥は首を横に振った。

すでに、腹にはうみが生じておりましょう。薬では無理むりです。」

「ならば、他の手は?」

「腹を開いてうみを除くより他には、救う手立ては有りませぬ。」

 それを聞いた華真が予想通よそうどおりとばかりにうなづく横で、姜維が眼を丸くした。

「腹を開く....? それは、どういう事ですか?…..」

 何を言われているのか直ぐに理解りかい出来ず、狼狽ろうばいする姜維に華鳥が眼を向けた。

 華鳥のととのった美貌びぼうから発せられる強い眼差まなざしに見据みすえられて、姜維は思わず言葉ことばんだ。

言葉通ことばどおりです。腹を切って治療ちりょうするのです。うみを抜き、くさりかけた腸の一部いちぶを切り取ります。」

 それを聞いた姜維は、身体からだすくませた。

「何を言うのだ…。腹を切ったりすれば、それこそすぐに死んでしまうではないか….。」

 いきどおる姜維の肩を華真が押さえた。

「落ち着いて下さい。妹の診断しんだんは、今まで間違まちがえた事は有りません。此処ここは華鳥にお任せ下さい。」

 反論はんろんしようとする姜維には構わず、華真は再び華鳥に尋ねた。

必要ひつような物は、何時いつもの通りで良いか? 特別とくべつる物は?」

「いつも通りで大丈夫だいじょうぶです」

 慣れた様子の二人のやりとりを耳にして、姜維は動揺どうようした。

「いつも通りとは? それはどう言う意味だ? もしや貴方達あなたたちは、これまでに何度なんども腹を切る治療ちりょうをして来たという事か? しかしそんな治療など、今迄いままで聞いたこともない...。」

 その時、王平が苦しい息を吐きながら姜維のそでを引いた。

宰相殿さいしょうどの此処ここはこの者達の言う通りにしてみましょう...。何もかもが信じがたき事ばかりです。しかし今のままでは、もはや我が命のあやうい事は私自身わたしじしんにも分かります。それに….この者達ものたちの言う事が、まやかしでないなら…。もし本当に孔明先生がよみがえったとするなら….。そのような事もなし得るやもしれませぬ。今回こんかいは、それを確かめる良き機会きかいで御座います。」

 王平の言葉ことばを聞いた姜維は息を呑み、差し出された王平の手に両のてのひらを重ねてしばし沈黙ちんもくした。

 王平の顔色かおいろからは明らかに血の気が引き、次第しだい蒼白そうはくになって行くのが見て取れた。

 姜維は、意を決したように華真と華鳥に向き直った。

「確かに、王平には死の影が忍び寄っているようです。今の王平の顔つきは、正に死相しそう。今まで戦場せんじょう何度なんども眼にして来た、死を前にした者の顔つきです。お二人の言う治療ちりょうでしか王平を救えぬのなら、貴方達あなたたちにおまかせするしかないようです。何より王平自身おうへいじしんが、そのように言うのですから...。それで…。何か私に手伝てつだえる事は...?」

 覚悟かくごを決めた姜維に向かって、華鳥が淡々たんたん指示しじを発した。

ずは清潔せいけつな布を数多かずおお準備じゅんびして下さい。それと沸騰ふっとうした熱い湯をたらいに入れて持って来て下さい。」

 華鳥が指示しじを出し始めたのを確認かくにんして、華真が部屋へや出入口でいりぐちへと向かった。

「それがととのう迄の間、私は宿に戻って華鳥が使う治療道具ちりょうどうぐをここに運んで来ます。」

 そう言うと、華真は飛ぶように部屋へやを飛び出し、姜維は大声おおごえ従者じゅうしゃを呼んだ。


 指示しじされた準備じゅんびととのうのとほぼ同時どうじに、再び華真が姿をあらわしした。

 華真が机上きじょうに広げた道具類どうぐるいを見て、姜維は眼をみはった。

「何だ、それは...。その小さな小刀こがたなのような物で腹を切るのか? それに….。そちらの見たこともない道具類どうぐるい一体何いったいなんなんです?」

 姜維の問いに対して、華鳥は持ち込まれた道具どうぐを一つ一つ点検てんけんしながら答えた。

「開いた腹を固定こていする道具どうぐ。それに麻酔器具ますいきぐです。如何いか治療ちりょうとはいえ、何もなしにやいばを入れれば、激痛げきつうで暴れ出しますからね。治療ちりょうの間、王平殿には眠って頂きます。」

 道具どうぐ確認かくにんを終えた華鳥は、そばに控える二人の従者じゅうしゃに声を掛けた。

「これと、これと、これ。これらは、もう一度熱湯いちどねっとう十分じゅうぶん煮沸しゃふつしてから、此処ここに持ってきて下さい。その間に王平殿に麻酔ますいほどこします。」

 華真が姜維の手を借りて王平を寝台しんだいに移すと、華鳥は何の躊躇ちゅうちょもなく、王平の衣服いふくを全てぎ取った。

 そして全裸ぜんらの王平の身体からだに布をかぶせると、下腹部分したはらぶぶんの布を丸く切り裂いた。

 そして、椰子やしの実を半分はんぶんに割ったような器具きぐで王平の鼻と口元くちもとおおい、その上部じょうぶにある小さな穴から何やら薬のような液体えきたいを流し込んだ。

 それを横目よこめで観ながら、華真は熱湯ねっとうで手を洗った後に、準備じゅんびされた布を小さくき始めた。

 しばらくすると、苦しげな息を続けていた王平が静かになり、寝息ねいきを立て始めた。

 そこに、煮沸しゃふつの終わった治療器具ちりょうきぐが、たらいに入れられて運び込まれてきた。


「それでは、治療ちりょう開始かいしします。」

 口元くちもとを布でおおった華真が、丸く切り取られた布から露出ろしゅつしている王平の下腹部かふくぶに向けて、焼酎しょうちゅうのような強い香りの液体えきたいをぶちけた。

 華真と同じように布で口元くちもとおおった華鳥は、一本の小刀こがたなを手にすると、少しの躊躇ためらいもなく布の穴からのぞく王平の下腹部かふくぶに刃を走らせた。

 刃先はさきが走った腹部ふくぶからは、すぐにぷつぷつと血がにじみ出してきた。

 姜維はその様子ようすに思わず眼をそらした。

 しかし直ぐに思い直したように、再び華鳥の手元てもと視線しせんを貼り付けた。

 その横から、華真が手慣てなれた手付きで出血しゅっけつを布で押さえて行く。

「やはり、此処ここね。うみを全て吸い出して、腸の一部いちぶ切除せつじょ。その上で縫合ほうごうします。化膿かのう止めもしておくわね。」

 色の変わった小さな腸の一部いちぶ摘出てきしゅつされ、くだのような器具きぐうみが吸い出されて行く。

 そしてその後、釣り針のような針によって腹がい合わされて行った。

 姜維と二人の従者じゅうしゃは、初めて眼にする手術しゅじゅつを前にして、一言ひとことも声を発する事なくその様子ようすに見入っていた。


 やがて、華鳥と華真の手が止まった。

「終わりました。傷が化膿かのうさえしなければ、三日もせずに起き上がれます」

 全く感情かんじょう変化へんかのない声で華鳥からそう告げられた姜維は、そば座卓ざたくにぐったりとしゃがみ込んだ。

「しかし..れは、どう言う魔術まじゅつだ...。腹を切っても死なぬ。しかも傷口きずぐちを針と糸でうとは...。縫った部分には、わずかな血のにじみもない...」

 息を呑む姜維に向かって、華真が言った。

「妹は、旅に出てから五年をついやして、薬学やくがくの全てを学びました。しかし各地かくち患者かんじゃる中で、薬だけでは直せぬ患者が居ることに気づいたのです。」

 華真にそう言われても、姜維はまだなかほうけたような表情ひょうじょうのままだった。

「そのように言われても....。れはあまりにも...」

 虚脱きょだつしたまましゃがみ込む姜維の肩に華真が手をえた。

「この治療ちりょうを妹に教えたのは、亡き初代魏帝しょだいぎてい曹操そうそう様の主治医しゅじいだった華佗かだ殿の弟子でしです。華佗殿という方は、それまで存在そんざいしていなかった様々さまざま医術いじゅつをこの世に生み出した名医めいいでした。華佗殿かだどのは、頭痛ずつうに苦しむ曹操帝そうそうていに対して、ある時頭を切り開いての治療ちりょうを申し出ました。その事で曹操帝の怒りを買い、処刑しょけいされたのです。。しかしその医術いじゅつは、弟子達でしたちによって後世こうせいに引きがれて行ったのです。」

みかどの頭を切り開くなど……。それは、怒りを買って当然とうぜんだ....。」

 信じられない話を淡々たんたんと語る華真に、姜維はおびえた眼を向けた。

「では...これらの道具どうぐも、その華佗かだ弟子でしという者達ものたちから教えられたのですか?」

 ようやく気を取り直した姜維の問いに対して、道具類どうぐるい熱湯ねっとうで洗いながら華鳥が答えた。

「そうです。しかし、新しく私達がつくり出したものも多くあります。この麻酔器具ますいきぐなどがそうです。麻酔ますいの元となっている薬草やくそうは、私が見つけ出しました。麻酔を効果的こうかてき処方しょほうする道具どうぐの作り方を教えてくれたのは、兄の中にいる孔明様こうめいさまです。」

 孔明の名が華鳥の口から出た事で、姜維は顔を輝かせた。

孔明先生こうめいせんせいが....。ううむ...。孔明先生は、常に新しい道具どうぐ武器ぶき開発かいはつされていました….。先程さきほど、華真殿が王平に話していた弩弓どきゅうや、連写弓れんしゃゆみ....耕作こうさくに使う農器具のうきぐなどです。これだけ様々さまざまなものを見せつけられてしまった今、私は貴方達あなたたちを信じます。貴方達のそばには、間違まちがいなく孔明先生がられるるようだ...。そう言えば、さきほど貴方あなたは、孔明先生から私の元をたずねるように言われたとおっしゃっていましたね?」

 姜維の言葉ことばに、華真はうなづいた。

「その通りです。此処ここうかがうまでに五年をついやしたのは、旅を通じて各地かくち変化へんかを見極め、同時どうじに新しき世の為に使う知識ちしき技術ぎじゅつ習得しゅうとくする為でした。孔明に言われました。新しき世を築く為には、確かな情報じょうほうと新しき知識ちしきが必要だと...。さきほど妹が、王平殿にほどこした医術いじゅつもその一つです。」


 華真の言葉ことばを聞いて、姜維は胸の底から熱いものがき上がるのを感じた。

「それらをたずさえて、貴方達あなたたちは、蜀の元に来て下さったと...」

本当ほんとうは、もっと身につけたいものが多くあったのですが....。孔明がもう時間じかんがないと、言ってきました。蜀は今や危険きけん状況じょうきょうにある。もう駆けつける時だと...」

「それで、貴方あなた最初さいしょに、私が王宮おうきゅう参内さんだいしても無駄むだだったはず...と言われたのですね? 孔明先生は、蜀の現状げんじょうすで把握はあくされているのですね?」

「その通りです。但し危険きけん状況じょうきょうにあるのは、魏も呉も同様どうようなのですが...」

 華真は、遠い先を見据みすえるように、視線しせんを宙にめぐらせた。

「蜀の国のわざわいの元となっているのは、姜維殿も気付かれて居るように、黄皓こうこくです。しかし、王宮おうきゅうらぎは蜀に限った事ではありません。魏では、曹操帝そうそうてい亡き後の曹氏そうしの力は徐々じょじょに弱まり、司馬一族しばいちぞく急速きゅうそくに力を付けています。国の簒奪さんだつも近いかもしれません。呉も同じです。孫権帝そんけんてい息子達むすこたちそばには、かつての周瑜しゅうゆ魯粛ろしゅく匹敵ひってきする優秀ゆうしゅう参謀さんぼうがおりません。宮中きゅうちゅう派閥はばつ争いにおちいっています。」

 姜維は、華真の言葉ことばに食い入るように聞き入った。

「このままでは、かつての英傑えいけつ達に支えられた蜀・魏・呉は、三国共さんごくとも滅亡めつぼうします。そうなれば世の中は再び乱れ、覇者はしゃ同士どうしが争う時代じだいに戻るでしょう。その時に苦しむのはたみです。覇者はしゃ政治せいじは、民を苦しめる事はあっても、やすんじる事はありません。三国さんごくいずれかの国が、始帝していこころざしを取り戻さなくてはならないのです。」

 その言葉ことばに、姜維はひざを乗り出した。

「それで...。今後こんごの我らは、どのようにしてそのこころざしを取り戻せば良いのでしょうか?」

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