第4話 華真と華鳥

 姜維きょういは一つ嘆息たんそくをすると、自らをはげますように前を向いた。

「ここで泣き言を言っても始まらんな。しかし黄皓という奴。わずかな期間きかんで、みかどだけでなく、宮中きゅうちゅう文官達ぶんかんたちことごと篭絡ろうらくさせるとは...。甘く見すぎていたな。このままではまずい。ぼやぼやしてはおられんな...。...ところで王平おうへい。顔色がすぐれんな...。何処どこか悪いのではないのか?」

 姜維の問いに対して、王平はぐっと下腹したはらおさえた。

数日前すうじつまえから、下腹したはらが痛むんですよ。でも大丈夫だいじょうぶです。薬も飲んでますから...。」

 王平はそう言いながらも、顔をしかめた。

 二人が、姜維の屋敷やしきに着いた時、門番もんばんに立つ兵が二人の姿を認めて駆け寄って来た。

「姜維様、来客らいきゃくがお待ちです。何でも御約束おやくそくだとか...」

 門番もんばん言葉ことばに、姜維は首をひねった。

来客らいきゃく...? はて...今日きょうは、そんな予定よていはないはずだが...。名前なまえ確認かくにんしたか?」

「いえ...。でも諸葛亮孔明しょかつりょうこうめい様の所縁ゆかりの者だと言っていました...。それと、客は二人です。若い男と女。何方どちら気品きひんのある雰囲気ふんいきで...。女の方は、飛び切りの美人びじんですよ。」

 姜維は、門番もんばん言葉ことばに首をかしげながら、王平と共に客間きゃくまに入った。


 客間きゃくまでは、若い男女だんじょ背筋せすじを伸ばした端麗たんれいな姿勢で、座脚ざきゃくに腰を下ろしていた。

 二人共ふたりともに、庶民しょみんの着る麻服あさふくではなく絹の正装せいそうまとい、手には扇子せんすまでたずさえていた。

 男は、すずやかな切れ長の両眼りょうがん知性溢ちせいあふれる光をたたえた青年せいねんで、女の方は、門番もんばんの言う通り大きなひとみを輝かせた絶世ぜっせい美女びじょだった。

 二人の男女だんじょは、姜維と王平を認めて立ち上がると、揃って丁寧ていねい拝礼はいれいした。

何処いずこのお方かな? 孔明先生の所縁ゆかりという事だが...?」

 そう尋ねる姜維に向かって、いきなり青年せいねんの声が飛んだ。

宰相殿さいしょうどの宮中きゅうちゅうに行かれていたのでしょう? 無駄足むだあしだったようですね。今の宮中きゅうちゅう宰相殿さいしょうどの言葉ことばみみす者など、一人としていなかったでしょうね。」

 今日の拝謁はいえつ状況じょうきょうを、初見しょけんの相手からいきなり的確てきかくに言い当てられたことで、姜維の頭に血がのぼった。

「いきなり、不躾ぶしつけ物言ものいいですな。これでも私は蜀の宰相さいしょう拝命はいめいしている身。その私に対して、あまりに無礼ぶれいではないか。見たところそれなりの身分みぶん方々かたがたらしいが、ずは名前なまえ名乗なのられるのが礼儀れいぎでしょう。」

 むっとした顔付かおつきを見せた姜維に向かって、青年せいねんはすぐに頭を下げた。

「これは失礼しつれい致しました。私は飛仙亮華真ひせんりゅうかしんと申します。此方こちらは私の妹の華鳥かちょうです。」

 口調くちょうを改めた青年せいねん洗練せんれんされた仕草しぐさを見て、姜維も言葉ことばを改めた。

「それで...貴方達あなたたちは、孔明先生とはどのようなご関係かんけいですか? 」

 姜維の問いに対して、華真と名乗る青年せいねんは信じられないような事柄ことがらを口にした。

「私は、諸葛亮孔明の生まれ変わりです。孔明の意志いしによって、私達は貴方様あなたさまを助けにまいったのですよ。」

 その言葉ことば一瞬いっしゅん息をんで絶句ぜっくした姜維の横から、王平が怒鳴どなった。

「何をたわけた事を...。孔明先生が亡くなったのは、五年前だぞ。その時には、もうお前は生まれているだろうに。それを生まれ変わりなどと...。」

 王平の顔は真っ赤に染まり、いか心頭しんとうに達している様子ようすうかがえた。

 そんな姜維と王平の二人の様子ようすを確かめるように見た華真が、もう一度口を開いた。

「お二人には、にわかには信じがたい事でしょうね。王平殿の言われる事は正しい。そうですな。正しく言えば、生まれ変わりというより、孔明のたましいが私に宿やどったのです。やまい肉体にくたいを失った孔明の魂が、次の身体からだとして私を選んだのですよ。」

 華真の言葉ことばを聞いた王平が、益々ますます顔を充血じゅうけつさせた。

「ええい、わけの分からぬ事を...。貴様きさまら、俺たちをからかいに来たのか!」

「ふふ...王平殿は相変あいかわらずですね。普段ふだんは冷静なのに、理解しがた出来事できごとを前にすると、混乱こんらんして激昂げきこうする。いつぞやの孔明が、貴方あなた新兵器しんへいき弩弓どきゅうを初めて見せた時もそうでしたね。弓矢ゆみやがこんなに遠くまで届く筈がない...と言って。」

 華真にそう言われた王平が、動揺どうようしたように後ずさった。

「な、何故なぜ、そんな事を知ってるんだ?」

「言ったでしょう。私は孔明のたましい宿やどしているのです。孔明が貴方あなたと話した事や、一緒におこなった事なら、何でも知っていますよ。」

 華真の言葉ことばしばらく立ち尽くしていた姜維と王平だったが、やがて姜維がつと立ち上がると、客間きゃくまの奥にある戸棚とだなに歩み寄った。

 そして戸棚とだなから文箱ふみばこを取り出し、しばらく中を探すようにあらためた。

 やがて姜維は一巻いっかん竹簡ちくかんを手に取り、再び華真に歩み寄った。

「これが何か、貴方あなたわかりますか?」

 その竹簡ちくかん一瞥いちべつした華真は、思わず破顔はがんした。

「あっはぁ‼︎ これは...私が...、いえ孔明が貴方あなた一番最初いちばんさいしょに出した課題かだいですね。このようなもの、後生大事ごしょうだいじに持っておられたのですね。」

 それを聞いた姜維の顔が、驚愕きょうがくゆがんだ。

「そ、それでは....その課題かだいかいは...? それがおわかりですか?」

勿論もちろんですよ。貴方は、これをくのに三日を要しましたね。それでも正解せいかい辿たどり着いたのを見て、孔明は貴方あなたさい確信かくしんしたのです。」

 そう言った華真は、ある軍略ぐんりゃくよどみなく語り始めた。

 それを聞く姜維の顔色かおいろが、最初さいしょあおざめ、やがて次第しだい紅潮こうちょうして行った。

 そしてついには両眼りょうがんから涙をあふれさせながら、華真の足元あしもとにひれ伏した。

孔明先生こうめいせんせいなのですね? いや、まことに孔明先生に間違いない。お久しゅう御座いました。私はどれほど先生せんせいにお会いしたかった事か...。先生を失って、どれほどつらかった事か....」

 ひざまづく姜維の肩に手をえた華真は、立ち上がるようにうながした。

 そして改めて姜維と王平に向き合うと、おだやかな口調くちょう不思議ふしぎ物語ものがたりを語り始めた。


 姜維殿、王平殿。

 私は、孔明のたましい宿やどしてはおりますが、孔明そのものではありません。

 私と華鳥は、長安ちょうあん商家しょうかに生まれた兄妹きょうだいです。

 さいわい家はそれなりの資産しさんに恵まれておりましたので、二人共ふたりとも幼い頃から、様々さまざまな書に親しんだり、学問がくもんを学んだり出来る環境かんきょうで育ちました。

 それゆえに、これまでの三国さんごく歴史れきしについても、多くの情報じょうほうを持てる立場たちばにあったのです。

 そうした情報じょうほうを通じて、私は二人の軍師ぐんしに魅せられました。

 諸葛亮孔明と司馬懿仲達しばいちゅうたつ)です。

 これほど物事ものごとの先を見透みとおせる者が二人、同じ世に存在そんざいしている事に感動かんどうを禁じ得ませんでした。

 商家しょうか生まれの身ながら、この二人の持つ天下てんかを導く才にあこがれたのです。

 五年前の事です。

ある夜、寝所しんじょで横になっていた私は、胸元むなもとにただならぬ気配けはいを感じて、眼をましました。

 何かにのしかかられているような気配けはいに思わず声を挙げると、突然とつぜん胸元むなもと空間くうかんに、白く輝く光のたまあらわれたのです。

 その光の珠は、最初さいしょてのひらすくい取れるほどの大きさでした。

 しかし見詰みつめているうちに、それは大きさを増し、私の視界一杯しかいいっぱいふくらんで行きました。

 やがてたま表面ひょうめんに人の顔が浮き出して来ました。

 それは長い髪をかんざしできっちりとい上げた壮年そうねん男性だんせいの顔でした。

 彫刻ちょうこくの像のように整った容貌ようぼうと、驚くほどに澄んだ瞳の持ち主でした。

 その人は、真っ直ぐ私と視線しせんを合わせてきました。

 私は、いきなり眼の前に現れた光の人物じんぶつ茫然ぼうぜんとしましたが、不思議ふしぎ恐怖きょうふは感じませんでした。

 その人は、私の眼に恐怖きょうふの色がない事を確認したのち一度いちど軽くうなづくと私に向かって語り始めました。

『華真よ。私は蜀の国の人間で、諸葛亮孔明と言うものだ。お前のような者をずっと探し求め、西からずっと、此処ここまで彷徨さまよって来た。今、天下てんかは、再び混沌こんとんへと戻っている。この世をしずめる者が必要ひつようだ。お前なら、世を鎮める手助てだすけが出来るだろう....』

 諸葛亮孔明という名を聞いて、私は自分の心臓しんぞう鼓動こどうが高まるのをはっきりと感じました。

 あぁ、この人があの孔明なのか…。

 ただ、孔明と名乗なの人物じんぶつから私に向かって発せられた言葉ことば意味いみが良く理解りかい出来ませんでした。

私は、返す言葉ことばが見つからないまま、しばら逡巡しゅんじゅんしていました。

 孔明と名乗なのる人物は、一旦いったん言葉ことばを閉ざしたまま、じっと私の反応はんのううかがっている様子ようすです。

 そこで、私は思い切って尋ねました。

貴方あなたが、あの有名ゆうめいな孔明先生なのですか? ご高名こうめいは良く存じています。それだけでなく、私のあこがれでもあります。しかし、貴方あなたはつい最近さいきん亡くなったと聞き及んでおります。それが何故なぜ、私の前に姿を見せられたのですか?。それと先ほどの言葉ことばは、どういう意味いみなのでしょうか?」

 私の問いに光の人物じんぶつ表情ひょうじょうなごみ、っすらと微笑ほほえむのが分かりました。

『そうか? 私を知っていたか?そうでなくてはならぬな。何故なぜなら、お前はの世に光を与える為に生まれてきた者だからだ。人はおのれの欲だけで動いてはならぬ。衝動しょうどうのみで生きてはならぬ。その為には、人の人たる道を仁者じんしゃがおらねばならぬ。ただ、それはお前自身まえじしんではない。しかしお前は、その仁者じんしゃを支える事ができる。それがお前が生まれた意味だ。私は、お前にそれをげる力を与えよう。これからお前は私と一体いったいとなり、その使命しめいを果たすのだ。』

 その声と共に光のたまきりに変わり、私の口元くちもとから私の体内たいないへするりと入り込んで来たのです。

 私はあまりの不思議ふしぎさに、しば茫然ぼうぜんとしていました。

しばらくしてふと気付くと、寝所しんじょ入口いりぐち人影ひとかげが見えました。

 それは妹の華鳥でした。

 光の霧を体内たいない宿やどしたばかりの私に向かって、華鳥は言いました。

「その人...さっき私の所にも来た。私が眼をますと、『兄の寝所しんじょへ行け。そして兄の変化へんか見届みとどけよ』と告げたのよ。」

「今のは、夢ではなかったという事か...。しかし何故なぜ、あの人はお前の所にもあらわれたのだろうか?」

「その人に言われたわ。兄さんを助けろって...。これから兄さんと一緒いっしょに、世の為にくせって...。」



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