第3話 姜維の敗北

 翌日よくじつ姜維きょうい昼食ちゅうしょくを終えると、正装せいそうに着替えて宮中きゅうちゅうへと参内さんだいした。

 正殿内せいでんないかしこまり拝礼はいれいをした姜維に向かって、劉禅りゅうぜんは冷やかな目を向けた。

「何をしに戻ってまいった? 前線ぜんせんで何か変化へんかがあったのか?」

 それに対して、姜維は頭を下げたままの姿勢しせいで答えた。

現在げんざいのところ、魏軍ぎぐんが直ぐに動く気配けはいは有りません。しかし斥候せっこうからの報告ほうこくで、魏軍の陣への兵糧ひょうろう輸送量ゆそうりょうが、最近さいきん目立って増えているとの事です。」

 姜維の言上ごんじょうに、劉禅はまゆをぴくりと上げた。

「それでは、いずれ魏が攻めかかって来るというのか? それを察知さっちしながら、何故なぜ今、成都せいとに戻って来たのだ? こういう時こそ、前線にとどまり戦況せんきょう見極みきわめるのが、御主おぬし役割やくわりであろう?」

 やはり、このような御言葉おことばを発するのか…と思いながら、姜維は、出来るだけ語気ごきおさえながら、言葉ことばを発した。

おそれながら...。我が軍への食糧しょくりょう補給ほきゅうが、ひと月程前からとどこおっております。何度なんども問い合わせの使者ししゃを出しましたが、ご返事へんじを頂けないので、本日ほんじつ直接ちょくせつたずねに参上さんじょうした次第しだいに御座います。」

 姜維の問いを受けた劉禅は、背後はいごひかえる黄皓こうこくを振り返った。

 劉禅のうながすような視線を受けて、黄皓は悠然ゆうぜんと劉禅のかたわらに進み出た。

昨年さくねんいねみのりが思わしくなかった事は、宰相殿さいしょうどののお耳にも届いて御座いましょう? 今は兵站へいたんを増やす余裕よゆうは有りません。」

 黄皓の言葉ことばに、姜維は顔を挙げた。

作物さくもつみのりが天候てんこうによって左右さゆうされるのはいた方無かたなき事。だからこそ一昨年来いっさくねんらい財政ざいせい改善かいぜんの為に養蚕ようさん普及ふきゅう進言しんげん申し上げて来た筈。かねがあれば、他国たこくから食料しょくりょうも買えます。」

 姜維は、稲作いなさくだけに頼る蜀の財政改革ざいせいかいかくの為、養蚕ようさん機織はたおり振興しんこう前々まえまえから提案ていあんしていた。

 良いきぬを生み出し、それを他国たこくに売る事で財政ざいせい改善かいぜんはかろうとしたのだ。

 姜維の言葉ことばに対して、黄皓は冷たい声音こわねで答えた。

「その事なら、みかどもご参加さんか頂いた評議ひょうぎの結果、不採用ふさいようとなっています。あきないなどに手をめるのは、いやしき事。国を支えるのは農業のうぎょうであり、副業ふくぎょうなどにこだわってはならぬ...と言う事です。」

 黄皓にそう断言だんげんされた姜維は、思わず言葉ことばあらげた。

「何と...‼︎ 宰相さいしょうである私に一言ひとこと相談そうだんもなく、そのようなおろかな事、決めてしまわれたのですか。」

 姜維の強い語調ごちょうに、黄皓はまゆを上げた。

「そのように言われても、姜維殿はずっと前線ぜんせんにおられ、成都せいとでの評定ひょうじょうなど出て来られる事はなかったではないですか?何よりも、この決定けっていみかど御意志ごいしでもあるのです。姜維殿は、それをおろかと申されるのか。」

 みかど決定けっていとなれば、流石さすが正面しょうめんから非難ひなんは出来ない。

「いや...それは...」

 言葉にまる姜維に向かって、黄皓は勝ちほこったように言葉ことばいだ。

「とにかく、今は兵站へいたんを増やす事は出来ませぬ。食糧しょくりょうが必要なら、前線ぜんせん兵達皆へいたちみなで、駐屯地ちゅうとんち荒地あれち開墾かいこんし、そこから調達ちょうたつはかればよろしいかと...。民への増税ぞうぜいはまかりならぬというのは、先帝せんていからの基本きほんであり、姜維殿も常々つねづね申されていた事。それならば、兵達自へいたちみずから汗を流すのが正道せいどうで御座いましょう。」

 その横でうなづく劉禅を目にした姜維は、それ以上の言葉をめた。

 此処ここまでみかどは、黄皓の手の内に落ちていたのか…..。

その事実じじつめながら、姜維はひたいを床にり付けた。

 ここは、勝ち目はない。

 こうして姜維は、なすすべもなく、その場を退出たいしゅつするしかなかった。


 歯軋はぎしりをしながら、宮中きゅうちゅうから出てきた姜維を、大手門おおてもん)むかえたのは王平おうへいだった。

宰相殿さいしょうどの。どうでした? 兵站へいたんは増やして貰えるのですか?」

 首を横に振る姜維を見て、王平は怒気どきを含んだ声音こわねを発した。

「黄皓ですな。あやつの専横せんおうぶりは、最近さいきんは目に余ります。先程さきほどあやつの屋敷やしきそばを通り掛かったのですが、海山うみやま様々さまざま物産ぶっさんが、門より大量たいりょう屋敷内やしきないに運び込まれておりました。これはなんだ? と、番人ばんにんに問い掛けたら....」

 先をうながす姜維の顔を見ながら、王平は言葉をつなげた。

今晩こんばん宮中きゅうちゅう文官達ぶんかんたち大勢おおぜい呼び寄せて、盛大せいだい宴会えんかいもよおすそうです。作物さくもつ不作ふさくの時は、上に立つものが率先そっせんして質素倹約しっそけんやくはげむべきなのに...」

 王平の報告ほうこくを聞いた姜維は、天をあおいだ。

「私の責任せきにんだ...。あのようなおろか者を、ずっとみかどそばに置いたままにしてしまうなど....」

 その言葉ことばに、王平は思わず姜維の肩に手をけた。

宰相殿さいしょうどの責任せきにんでは有りません。姜維殿はずっと前線で、我々われわれと共に苦労くろうをされて来たではありませんか。そんな事をおっしゃらないで下さい。」

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