第2話 蜀宮廷を操る者

「なに...姜維きょういが、前線ぜんせんから戻って来ただと...。なんと明日あす出仕しゅっししてくるというのか? 鬱陶うっとうしい奴が帰って来たな...。あの者の顔など、出来れば見たくないのだが。」

 帝座ていざ深々ふかぶか腰掛こしかけた劉禅りゅうぜんは、そう言うと顔をしかめた。

 その時、劉禅の前につと歩み寄って言葉ことばを発した者がいた。

みかど、あのような者など適当てきとうにあしらっておれば良いのです。元はと言えば魏国ぎこくつかえていた者。それが偉そうに陛下へいかにあれこれ進言しんげんして来るなど、ほど知らずとはまさにこの事です。」

 劉禅の前にひれ伏し、上目遣うわめづかいにそう言葉ことばを発したのは黄皓こうこくだった。

 黄皓は、元々もともとみかどである劉禅の身の回りの世話せわをする為に、宮中きゅうちゅうに置かれた宦官かんがんだった。

 劉禅はこの黄皓を大層たいそう気に入り、いつの頃から常に自分のそばから離さなくなっていた。

 それは、黄皓が極めて口達者くちだっしゃで、劉禅のご機嫌取きげんとりに常につとめたからだ。

 人の顔色かおいろを読む事にさとい黄皓は、直ぐに劉禅が姜維を嫌っている事に気付いた。

 劉禅は、姜維だけでなく、諸葛亮孔明しょかつりょうこうめいうとましく思っていた。

 何かと言えば亡き父である前帝ぜんてい劉備りゅうび行動こうどうを引き合いに出して自分をたしなめる孔明を、劉禅はいつもけむたく感じていた。

 良き国をきずいて行く為には、民の手本てほんとなりおのれりっしなければなりません。

事ある毎にそうく孔明に、劉禅は何時いつも心の中で反発はんぱつしていた。

 自分はみかどなのだ。

何故なぜ臣下に説教せっきょうばかりされなくてはならないのか....と。

 そもそも劉禅は、生前せいぜんの父の劉備りゅうびにも大いに不満ふまんを持っていた。

 劉備は、とっくの昔に滅び去った漢王朝かんおうちょう再興さいこうを、最期さいごまでこころざしていた。

 そのこころざし障害しょうがいとなる魏に対抗たいこうする為の戦費せんぴの調達に、劉備は常に頭を悩ませていた。

 民への増税ぞうぜいを嫌った劉備は、宮中きゅうちゅうには常に質素倹約しっそけんやくを求めた。

 それが劉禅には大いに不満ふまんだった。

民など支配者しはいしゃであるみかど奴隷どれいに過ぎないと、劉禅は思っていた。

 何故なぜ奴隷どれいの為に、自分が贅沢ぜいたく我慢がまんしなければならないのだ...と。

 劉禅に説教せっきょうをするのは、父の劉備だけではなかった。

 宰相さいしょうである諸葛孔明を筆頭ひっとうに、五虎大将軍ごこだいしょうぐんと呼ばれた関羽かんう張飛ちょうひ趙雲ちょううん黄忠こうちゅう馬超ばちょういずれもが同じだった。

 その後、馬超以外の将軍達しょうぐんたち次々つぎつぎと世を去り、馬超も職をして隠遁いんとんした。

さらに孔明がやまいで亡き人となった時、劉禅はひそかに心の中で喝采かっさいした。

 これでうるさい奴らがいなくなった...と。

 そこに新たにあらわれたのが姜維だったのだ。


 劉禅にとっては、姜維はうるささにおいては孔明とうり二つだった。

 それも当然とうぜんで、劉禅が民からうやまわれ愛される存在そんざいとなる為にもきびしく教育きょういくせよと、生前せいぜんの孔明が姜維に使命をたくしていたからである。

 姜維は、黄皓を始めとする者達が劉禅を甘やかし、我儘放題わがままほうだい放置ほうちしている事にも気が付いていた。

 だからこそ、一層厳いっそうきびしく劉禅に接したのだ。

 しかし、黄皓を出来の悪い家庭教師かていきょうし程度ていどにしか看做みなしていなかったのが、姜維の誤算ごさんだった。

 黄皓は、姜維が思っていた以上に、悪賢わるがしこ周到しゅうとうな男だったのだ。

 黄皓は、最初さいしょみかど話相手はなしあいててっして、劉禅が臣下の誰を好み、誰を嫌っているかをたくみに聞き出して行った。

 その上で、みかど臣下しんか会見かいけんを取り仕切る取継役とりつぎやくとして、劉禅が嫌う臣下達しんかたち徐々じょじょに劉禅から遠ざけて行った。

 最初さいしょ標的ひょうてきに上がったのが姜維、そして蜀軍大将軍しょくぐんだいしょうぐん蒋琬しょうわん王平おうへい達だった。

 蒋琬は、派手はでさはないながらも兵達の掌握しょうあくに優れた手腕しゅわん発揮はっきして、孔明の厚い信頼しんらいを勝ち得ていた。

 街亭がいていの戦いの際に、南山なんざんに登った馬謖の策に異論いろんとなえ、自分の麾下きかの部下達を平野にとどめて蜀軍しょくぐん壊滅かいめつを防いだのが王平だった。

 蒋琬と王平は、共に孔明の信奉者しんぽうしゃであり、それゆえに劉禅からは嫌われていた。

 黄皓は、姜維達をみかどから遠ざける為、彼らを魏軍との緩衝地帯かんしょうちたいとなっている蜀の北方へと追いやった。


 この頃の蜀では、宿敵しゅくてきである魏への対応たいおうについて、主戦しゅせん派と厭戦えんせん派が真っこうから対立していた。

 主戦派しゅせんは中心ちゅうしんにいたのが、姜維の他、北伐ほくばつ最後さいごまで執念しゅうねんを見せていた孔明派の蒋琬や王平らの将軍しょうぐんだった。

 彼らは、同じ主戦派しゅせんはながら孔明とは対立していた魏延ぎえんを討って、軍の統一とういつを果たしていた。

 これに対して、厭戦派えんせんは宮中きゅうちゅうにいた文官族ぶんかんぞくで、戦を嫌う劉禅をうしだてとして、戦線縮小せんせんしゅくしょう内政重視ないせいじゅうしを主張していた。

 この空気くうきの中で、劉禅の最も近くにいた黄皓は、厭戦派えんせんは臣下達しんかたちを巧みに取り込み、主戦派しゅせんは将軍達しょうぐんたちを、蜀領土しょくりょうど防衛ぼうえいの為としょうして、北方前線ほっぽうぜんせんに追いやったのである。

 最初さいしょ抵抗ていこうした姜維達だったが、黄皓からみかど勅命ちょくめいを突きつけられ、更には怖気おじけづくなど軍人の風上かざかみにも置けないと挑発ちょうはつされた事で、出陣しゅつじんしたのである。

 みかどの仕打ちに絶望ぜつぼうした蒋琬は、北方前線ほっぽうぜんせん陣内じんないやまいに没した。

 主戦派しゅせんは中心ちゅうしんが居なくなった宮中きゅうちゅうでは、徐々じょじょに黄皓が実権じっけんを握り始めた。

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