鬼子母神と観音菩薩 👰

上月くるを

鬼子母神と観音菩薩 👰





 このところ、なかなか本来のペースを取りもどすことができず(それもこれも自分の弱さのせいなのだが)なんとしても頭が執筆モードになってくれずに困っていた。


 低迷のウェーブが底を打ったのかそれとも別の理由によるものなのか、ヨウコ自身にも分からないが、いずれにしても、負のスパイラルから抜け出せつつあるようだ。


 で、急に気になり始めたのは、心ここにあらず状態の真っ最中に執筆し、どこかに違和感を覚えながらも拙速にアップしてしまった『DNAの目くらまし』のこと。🐊


 

 ――実子がいない夫婦の博愛。(#^.^#)



 もっとも肝心なことに思いが至らなかったとは、われながらなんという体たらく。

 実子への偏愛VSすべての子への博愛では、その高潔さにおいて月とすっぽんなのに。


 もっとも象徴的なたとえは、千人の子持ちでとりわけ末子を溺愛する一方でよその子を取って食った鬼子母神と、慈愛の微笑みを絶やさない観音菩薩の好対照だろう。




      🏯




 このことを考えると、男子をあげることが正室の務めとされた時代に思いが飛ぶ。

 でないと夫に側室を宛がわれ、子なき妻として肩身狭く……何たる不条理の極み。


 たとえば、豊臣秀吉の正室・高台院(おね)。(´ω`*)

 その義理の息子に当たる秀頼の正室・千姫。(*´ω`*)


 天下人をめぐるふたりの女性たち双方に実子はなかったが、高台院は子飼いの石田三成の娘を、千姫は夫・秀頼の側室が産んだ娘を養女にし、愛情深く大切に育んだ。


 豊臣や徳川をはじめ大名間で盛んに行われていた人質としての養子縁組とちがい、ふたりの養女には一切の見返りを求めず純粋に愛した、その事実こそ眩いほど尊い。




      👨‍👩‍👦‍👦




 そういう自分自身、身内への愛着から解放されない煩悩の空蝉なのだが、こんなDNAを残してどうするの? と言われるような無様だけは避けたいと願っている。


 ときの政権がやたらに「家族」「家庭」を讃えていた時期をよく記憶しているが、宗教を名乗る反社集団の操りだったこと、いまごろ明らかにされても、困る。(*_*;




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