8・7光年の恋

shushusf

星の輝きが始まる

「いい? これはお母さんたちの一族が……2000年、いえ、多分、それ以上の気の遠くなるような昔から守ってきた大事なもの。だから、大事に持っていて」



 母さんはそう言って、星の形をした青いペンダントを俺に握らせた。



 あれは、空一面に星の輝いた夜だった。

 母さんと爺ちゃん、婆ちゃんに叔父さん叔母さんに車で連れられて、俺は新潟のとある山の中に行ったんだ。

 綺麗な空だった。

 まるで星が落ちて、その光に飲み込まれてしまいそうだった。




「そのペンダントが、きっと天輝てんきを助けてくれるわ」



 待ってくれよ。

 そんな悲しい笑顔しないでくれよ。

 そんな無理して笑うなよ。



「大丈夫。天輝てんきを守ってくれる存在は、この綺麗で大きい宇宙にはたくさんいる。それを忘れないでほしいな」



 それならここにいてくれよ。

 そんな誰かもしれないやつの話なんてどうでもいいから。

 だからどこにもいかないでくれよ。



「私もこの空のどこかに、必ずいるから––––だから、またね」



 母さんの言葉がして、すぐに俺の意識は世界から消えていく。

 薄くなっていく意識の中で、これが夢であることを改めて認識した。


 ああ、いやだ。

 いかないでよ。

 置いてかないでよ。

 もう顔も思い出せなくなっちゃったよ。

 帰ってきてよ。



 この光景は、忘れもしない12年前。

 俺がまだ4歳の時。

 こうやって、母さんは俺の前から姿を消した。



 ––––これ以来、母さんとは会っていない。




☆ ☆ ☆




 朝。

 パッと目を覚ますと、部屋の黒い遮光カーテンからはみ出てくる日光の存在感にまず意識を持っていかれる。

 心臓が普段よりも強く速く動いていた。

 電気もつけていない薄暗い部屋。今寝ているベッドからは、白い壁とそれに掛けられた時計、そして教科書とノート以外は何もない勉強机しか見えない。

 そんな自室の遊び心のない殺風景な光景に、俺はベッドに寝たまま小さくため息をついた。

 


「……いい加減、俺もキモいな。まじマザコンだ」


 ボソッとつぶやいた声が、薄暗い部屋の中に溶けていく。


「ふわぁ。またお母さんの夢を見てたんだ。ほら、涙出てるよ天ちゃん」


 横から白い手が伸びてきて、俺の頬から涙を拭いていった。


「朝ごはんできてるよ。多分もう冷めてるから暖めるね。ほら天ちゃんももう布団から出て。遅刻しちゃう」

「ああ、悪い……今何時だ?」

「もう7時だよ。あと40分くらいしたら出ないとでしょ」


 フローラルな香りと共に、もそっと暖かい感触が横から現れた。

 彼女はいつもよりもゆっくりした、微睡んでいるような声で俺にベッドから出ることを促す。ああ……もうそんな時間か。

 気づけば、うっすらと味噌汁の香りがした。

 腹の虫が、グゥと小さく響く。




「って! なんでお前がいるんだよ!!!」




「へ?」

「だからなんでお前が俺の布団の中に入ってんのかって聞いてんだよ陽奈! 俺一人暮らしのはずなんですけど?」

「そこに天ちゃんがいたから」


 そう言うと、陽奈は目元を拭いながら大きく口を開ける。

 長くて綺麗な黒髪ロングが白いベッドに川を作るように流れていた。


「ね〜。ご飯作ったから食べよ〜。本当は1時間くらい前に起こしにきたんだよ私。我慢できなくて一緒に寝ちゃったけど」


 にははと笑う陽奈の顔は、とても3つも年上の女子大生とは思えない。

 幼なじみが作り出すそのあまりにも平和な光景に、俺はさっきまでの感傷との違いに思わず頭を抱えた。


「まず、俺は山じゃねえ」

「? なに言ってるの天ちゃん。まだ寝ぼけてる?」


 パチパチと目を瞬かせ、陽奈は首を傾げた。

 俺より3つも年上のくせにこんな有名な名言知らないのか。


「……おかしいのはマンションの隣の部屋に住んでるはずの陽奈が俺の布団に潜り込んでることじゃないんですかねぇ」

「割といつものことでしょ? 昔から」

「昔から割といつもやめてくれって言ってるよな俺。大体合鍵を悪用すんじゃねえ。返してもらうぞ」

「だめ。天ちゃん放っておくと天体観測に夢中になって3食コンビニ弁当どころか1日1食も食べないんだもん。お姉さん許しません」

「にしたって、こうやって男子高校生のベッドに女子大生が入るって普通に問題しかないだろ……」

「え? 別に? お父さんもお母さんもどんどんイケって言うし」

「それが異常なんだよマジで何考えてんだよおじさんもおばさんもおおおお!」

「おお。朝から元気だね天ちゃん」



 俺は小学校の高学年から、母の実家が持っているマンションで実質一人暮らしをしている。

 母さんの実家の人たちとは、正直折り合いが悪い。

 なんだかみんなよそよそしいし、無駄に優しくしてくるのがウザかった。

 早く自分のことは自分でできるようにって、身の回りのことは色々できるようになって、一人暮らしを打診したのが小4。

 当然かなり反対されたが、実家の持つマンションという条件を飲むことでなんとか押し切った。

 別に、あの人たちの煩わしい優しさに触れなくていいのなら、半分管理下にある状態でもそれでよかった。


 それから、それまでたまたま隣の部屋に入居していた陽奈の家族と出会って。

 陽奈の天真爛漫とした遠慮のない優しさというか、あの暖かさが、母方の実家にいた俺には効いた。

 そんな感じで陽奈のお父さんお母さんにも良くしてもらって……その成れの果てが、このザマだ。


「うふふ。天ちゃん、おいし?」


 陽奈の作る飯は、実際かなり美味い。

 ほっといたら栄養云々の前に俺は飯すら食わないのはそうなので、俺の健康は陽奈のおかげだと言っても過言ではなかった。

 俺は陽奈の用意した朝食を残さず食べて、高校の制服に着替える。


「あ、ペンダント忘れてない?」

「分かってるよ。忘れてない」


 首にかけている、さっき部屋にかけていた青いペンダントを陽奈に見せた。


「行ってらっしゃい。今日もファイトだよ!」


 そうして陽奈のニコニコ笑顔に見送られながら、俺は部屋を出た。

 まだ冬のピンと張った冷たい空気が、俺の肌を差していた。

 まるっきり体を全方位から串刺しにするような冷気はもうない。冬の冷気が随分マイルドになって、それに春の陽気がこっそり侵入を始めた、そんな季節。

 3月になったばかりの朝の青空は、たっぷり2秒かけて放った俺の欠伸を包み込んだ。


「随分長い欠伸だったじゃねーか天輝」

「うおっ!?」

「ははっ驚きすぎ。昨日は徹夜か? 何してたんだよ。まさか勉強してたわけでもないだろ?」

「いや、朝の5時には寝た。……失礼だな。まあしてねーけど」

「だろ? どうせまた天体観測か? あのでっかい望遠鏡使って」

「その通りだよ。悪いか?」

「別に悪くはねーよ。ただよく毎日飽きないもんだよなって。ほれ」



 隣にぬっと現れた同じクラスの七瀬大地は、軽口を言いながら俺に自販機で100円で売っているような缶コーヒーを投げる。まだ暖かいってことは、すぐそこの自販機で買ったんだろう。



「俺が徹夜して星見てるってなんで分かったんだ」

「昨日したラインお前見てねーだろ。お前が音信不通な時は大抵星に御執心な時だ。全くせっかく夜空女子高との合コンだったってのに。何より、さっきの欠伸見ればな」

「……とりあえず、ゆっくり星見てて正解だったよ」

「健全な男子高校生とは思えねーな。……ああ、やっぱお隣のお姉さんで間に合ってるってことか。可愛いもんなあ陽奈さん。全くあんな可愛いお姉さんが幼馴染とか羨ましい」

「陽奈はそういうんじゃねーよ」

「はいはい。そうだったな」



 歩いているうちに、もう駅に着いた。

 たくさんの人が行き交う東京。

 この人混みはただやかましい。

 何食わぬ顔で通勤するスーツのおっさんもOLも、通学途中の学生たちも、きっと痛みを知らない。

 みんな、幸せに幸せな世界を生きてるんだろうな。


 いっきにテンションが下がった。

 きっと死んだ魚みたいな目をした俺は、背を丸めて改札を通る。



 その時、キラッと、青くペンダントが光った気がした。


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