第24話 ひふみよいむなや

 すでに明け方が迫った時刻だった。


 一台のトヨタ・クラウンが銀の車体で闇を切り裂き、曲がりくねった山道を蛇行している。


「もののけというのは、『物ノ』……元は妖しい存在ではなく病のことだった。いや、そのふたつは同一視されていた。人は呪詛や恐ろしい物の存在によって病となるのだと」


 クラウンの後部座席。

 頬を腫らした山内くんの隣で、腕を尊大に組んだアオオニが語る。


「まんざら無知な昔人の思い込みじゃない、共通点はあるのさ。

 精神か肉体かが弱れば抵抗力が衰え、病にかかりやすくなる。同時に、ゆうべのおまえのように呪詛や術にもはまりやすくなる。人に備わる陰の気と陽の気……そのバランスが崩れ、外のものに侵されやすくなっているという一点で、両者は同じだ。

 で、おまえがずいぶん参っていた理由がそろそろ知りたいね。なにかあったのか?」


 面白がるような好奇の目をむけられたが、山内くんは口をつぐんで答えない。意識して無視したというよりは、泥酔状態で頭にろくろく話が入ってこないのだ。


「飲ませすぎたか」アオオニが舌打ちして、ウイスキーの瓶を持ち上げて残量を確かめた。中身はほとんど残っていない。


 山内くんは縄で手首を後ろに縛られ、数時間おきに無理やり口に酒瓶を突っ込まれている。目の焦点すら定まらない。小用のために縄をほどかれて車から下ろされたときでも、逃げるチャンスは皆無だった。

 そんな次第で、さらわれた直後からいままで、一晩じゅう車内監禁状態である。

 トヨタ・クラウンを運転しているのはマスクと帽子で顔を隠したアカオニである。ハンドルさばきは大人とそう変わらず、無免許運転に慣れていることをうかがわせた。


 車で移動する――アオオニがこのアイデアを、無上の狡知と思いこんでいるのは明らかだった。『十妙院の連中の占術で居場所を探られたら困るからな、動き続けているのがいい』そう山内くんの横で得意げにかれは語っていた。


 もっとも、山内くんは知っている。

 この小細工はあまり意味が無いだろうことを。

 十妙院家の占術――特に銀のそれは、居場所を探るといったちゃちなものではない。未来をも詠む彼女の力を、アオオニたちがまんまと欺き通せるとなど思わなかった。


 ……それを黙っていたのは、かれらに教えてやる気がなかったからというより、何もかもどうでもいいと思いはじめていたからだ。山内くんは車窓から、暗い山肌をどんより濁った目で見つめる。初めて口にした酒が、少年の捨て鉢な気分を促進していた。

 運転しているアカオニが鼻にしわをよせ、舌打ちして文句を言う。


「そいつ完全にラリってるせいで何発殴っても面白くねえ。飲ませるのが早すぎたよ、崇くん」


「しかたない。こいつはやはり僕の術に耐性がある。摂魂術がかかったと思ったら、すぐに解けてしまったからな……縛るだけじゃ不安だった。

 殴り足りないなら、僕の用が終わったらこいつはおまえの好きにしろよ。ただし死体損壊の罪を足されても僕は知らんぞ」


「……や、やっちまうのかよ」


「そういうことになるな」


 うわずったアカオニの声に、アオオニは平然とうなずき、


「だが、僕たちが法的に殺人の罪に問われるようなことにはまずならない。心配するな。

 禁厭まじないによる死者が出ることなど、現代社会のシステムは想定していない。なにか起きても警察には偶然と見なされるはずだ……あるいはせいぜい、不可解な事故として処理される。僕らが罪に問われるとしたら誘拐に車内監禁行為、傷害、それに、酒の強制に無免許運転かな? “少し派手めの非行行為”ってところだ」


 アオオニは愉快そうに短い笑声を放ち、


「おまえに昔話をしてやるよ」


 山内くんにふたたび顔を向けた。


「むかしむかし、六百年近い昔のこと、飢饉が多かった室町時代。重税にあえぐ民が、播磨全土を揺るがすほどの大規模な反乱を起こした。

 世にいう播磨の土一揆だ。

 当時は明荘あかるしょうと呼ばれていたこの土地は、もっとも過激な反抗にった。荘民が弓や刀をとって代官所を襲ったんだ。播磨の守護大名だった赤松氏は、明荘の領主から助けを求められ、この土地に対して慈悲のない弾圧で報いた。一揆は力で鎮圧され、大勢が殺された。

 近隣への見せしめとして、この土地での仕置きは徹底された。守護の兵は、山へ逃げ込んだ荘民を追って執拗に討ち取りつづけた。おびただしい死体を持て余すくらいに。

 首だけにしても持ち運ぶには多すぎ、重すぎた。それに反乱は広範囲で起こっていたので、守護の兵は転戦せねばならず、人狩りを急いだ。というわけで、死体の一部が切り取られた。

 どうしたと思う? こう、さ」


 自分のこめかみに指の腹をあて、アオオニは頬まですっと撫で下ろした。


「首を持って帰るかわりに、顔の皮を剥いだんだ。当時の慣習じゃ上唇から鼻にかけて削ぎ取るのが普通だったが、この場合は顔の識別のためまるごと剥いだのかもな。

 山中で殺された者たちの顔は順次ふもとに集められ、検分役の武士によって一枚、二枚と改められていったそうだ。狩り残した逃亡者がいないようにとな。以来、このあたりでは“ものを数えると恨みを含んだ死霊が寄ってくる”と言うようになった」


 話を茫洋と聞いている山内くんの耳に、少女の声がよみがえる。

 明町に来たばかりのときの、紺の警告。


『夜になったら、口にだしてものを数えちゃだめだからな』


(紺……ゆうべ、泣かせちゃったんだった)


 つぎ会ったとき謝らなくちゃ、と思う。もう会えないかもしれないが。

 隣ではアオオニが暗い車外の様子をうかがっている。


「たしか、このあたりに供養のための塚があったはず……

 ――おっと、まさにここだ。停めろ、陽一」


 鬱蒼と茂った森のきわに、黒っぽい石碑が立っているのが見えてきていた。

 石碑の前に、クラウンはゆっくり停車する。

 アオオニは続いて運転席に指示した。「こいつを下ろすぞ」


 が、アカオニはぐずぐずためらう様子で、腰をあげようとしなかった。


「おい。下ろすのを手伝え、陽一」


 もう一度、アオオニが運転席に声をかける。アカオニは小さく首を振った。


「俺は車から下りたくない」


「なんだ、ここへきて」アオオニが呆れた声を出す。「もしかして怯えているのか?」


「だってよう……俺は崇くんと違って、妙なものから自分を守れるわけじゃねえんだもの」


 ハンドルに顔を埋めるようにしてアカオニは背を丸めている。運転席から離れまいとしがみついているようにも見えた。若干間があいたのち、アオオニが失笑した。


「そうかよ。じゃあここにいろ。おまえの親父の車のなかで、震えて待ってるがいいさ」


 相方のささやかな反抗を、アオオニが不快に思っているのは明らかだった。

 いらだちをぶつけるようにかれは手を伸ばして、山内くんの襟を乱暴につかみ寄せた。


「おい。紺は、僕と対決しようとしていたようだが――」アオオニは山内くんをのぞきこんで嘲った。「僕を馬鹿だと思っているのか? なんで僕が、そんな十妙院がお膳立てした術くらべなんぞに付き合わなきゃならない? 僕の目的は、紺を打ち負かす程度のちっぽけなことじゃない。僕は力が欲しいんだ……そっちさえ達成してしまえば、あの小娘と対決する必要などどこにもないんだよ」


 ドアを開けてアオオニは、山内くんを外に引きずり出した。頭上に張りだした松の枝葉の隙間から、銀月の一部が見えていた。夜明け近く、空は一面の黒から藍へと色を変え始めている。


「そろそろ明け方だ。“神界かみよあしたに道たどるなら”……伝わるあの呪禁の唄が本当ならば、闇宮への扉が開きやすいのはおそらくこの時刻だ」


 アオオニは山道に降り立って、山内くんの胸を踏みつけた。


「闇宮の神は、祝部の血を引く者にのみ応える。

 加えてもうひとつ、闇宮の神は死のけがれに惹かれるという。清浄をこそ良しとするほかの多くの神と違ってな……僕も、おまえも、祝部の血は濃い。となると決め手はどちらがより穢れているかだ。ぬくぬくと生きていたおまえなどより、たゆみなく小動物殺しを重ねてきた僕のほうが穢れに染まってるはずだが、完全に安心なんてできない。おまえというとんびに油揚げをかっさらわれちゃかなわない、わかるだろ?

 おまえをここで片付けて、僕だけが闇宮の庭を踏んでみせる」


 山内くんは濁ったまなざしでにらみ返し……

 あることに、気づいた。


(え……?)


「もしかして……『まだ』……?」


 闇宮――あの影のように黒い千本鳥居が並ぶ暗い場所。そこに未だ入ったことがないと、アオオニは言ったも同然だった。

 アオオニが吹き出す。


「そう簡単に入れるものか。まるでおまえはあちらに行くことに成功したみたいな口ぶりだな」


 山内くんは返答に窮する。同時に、酔った頭がせいいっぱいに情報を処理しようとする。

 つまり、神かくし事件の犯人はアオオニではない。


(でもこいつは、闇宮で落としたはずの牙笛を持っていた……)


 いったいどういうことだろう。混乱しながら見上げる――アオオニの顔にも、じわじわと困惑が広がりはじめていた。


「……おまえ、まさかほんとうに行ったと言うんじゃあるまいな」


 さらに失笑しようとして失敗したのか、アオオニの頬がぴくぴくとひきつった。

 にわかに、それまでよりずっときつく体重がかけられ、アオオニの足の下で山内くんの肋骨がきしんだ。憎悪のまなざしが、もがく山内くんをねめつけてくる。


「先を越してただと? 嘘をつくな。僕がどれだけ闇宮の扉を開こうと試行錯誤したと思ってる。おまえなどがそんな簡単に――」


 胸がぐりっと強くふみにじられ、それから、


「……それが嘘だろうとほんとうだろうとどうでもいい。どうあってもおまえを始末してやる。そして、この朝のうちに闇宮を開いてやる。

 人を殺して穢れを濃くすれば、闇宮の神は今度こそ応えてくれるはずだ」


 学生服のズボンから、アオオニは白いレコーダーを取り出した。

 録音されていた唄が再生される。

 数え唄。


 〈ひとりきな ふたりきな

  みてきて よってきな

  いつきてみても ななこの帯を

  やの字にしめて ここのやとおや

  ひいやふう みいやよう いつやむう

  ななや ここのや とおや――〉


「さっきの話を覚えているな? 数え歌は、死霊をぶ」


 律音リズムがつなげる。

 諧音メロディが喚ばう。


 唄い終わるとまた最初から、延々とリピートされ続け……闇を、揺すぶる。


「それとこれだ――悶え死ね」


 アオオニが粉のようなものをつまみ上げてふりかけてくる。必死にもがく山内くんの胸の上にぱらぱら粉が落ち……影が胸の上でぐねぐねと暴れ始めた。

 爬行はこうする、黒い蛇のようなシルエット。


(極楽縄……!)


 黒い蛇は首にからみついてきて、ふたたび姿を消した。気道が狭窄するのを感じ、山内くんは恐慌状態におちいる。


(首の中にもぐり込まれてる。気道を絞められてる)


 抗えないほど弱くはない。だが奇妙にも刻々と、気道を締め付ける力が大きくなっていった。


「呪詛用の式神にこれまでは動物霊を使っていた」アオオニが冷酷に言う。「が、あいつらには大した力がない。今度はこの一帯の荒御魂あらみたま……無念を残したままの人霊を利用してる。おまえの首を内側から絞めているその縄は、集まってくる死霊を吸うほど強くなっていくぞ」


  〈ひ……ふ、み……よ、い、む、な、や……〉


 冥い声が、響いた。

 レコーダーとは別の場所から。


 アオオニが動きを停止した。かれは山内くんの動きを封じたままふりかえった。

 窓の開いたトヨタ・クラウンの運転席から、アカオニが凍りついた表情でアオオニを見つめている。


「た……崇くん……」


 震える指でアカオニはカーラジオを指さした。


  〈ひいふうみいよ いつむにななよ ななよ ななよと 小石重ねて〉

  〈ななよこのとお ななよこの二十にじゅ ななよこの三十さんじゅ

  〈ななつのお祝い わが子をとられ ここのかとおやを なきなきくらし〉

  〈しんだ子のとし かぞえて泣いて しんだ子のほね かじって泣いて〉

  〈ひいふうみいよ いつむにななや ななごとこうと わかいしいやまの――〉


 複数の声が重なっていた。

 アカオニが逆上に近い叫び声をはりあげた。


「し――知らねえ! おい、こんなの入れてねえよ! ラジオからなんで聞こえるんだよ!」


 急に、レコーダーから流れる唄までもが、極端に低い声に変わった。


  〈ひイふウみいヨウ 忌ム名ヤコノトオ くびひとおツ くびふタあつ くびみいっつ よおっついつぅつ あたまあつめて おてだまぽんぽん 余ル胴身はどうしましょ 腕もぎましょおか肝抜きましょか それともおべべを着セつけて お雛遊びをしマしょうか〉


「……予想以上の集まりっぷりのようだな」


 うろたえたらしく少し目をさまよわせたのち、アオオニがうそぶく――平然を装っているがだいぶ虚勢が入った声だった。


「アオオニ……見えるなら、まわり見ろ……」


 どんどん締まっていく苦しい息の下から、山内くんはなじる。


「多すぎる……あんた、これ、コントロールできるの?」


 さっきから、山内くんの視界には見えている。

 顔面が凹み、眼球の飛び出た作業着の男が、道路をよたよたと歩いている。襤褸ぼろの着物を着た顔の皮のない子供ふたりが手をつないで石碑に座っている。顔を覆ってすすり泣く花嫁衣装の女がいる。頭部のない裸の男が、裂けた腹からこぼれた自分の腸を傷口に詰め直している。石碑や木々の陰からは無数の人影がのぞいていた。

 一回ぐるりと見回してアオオニは沈黙し……


 やおら、開き直ったように青ざめた笑みを浮かべた。


「おまえはそんなこと心配しなくていい。さっさと喉をつまらせてろ」


(あ、コントロールできないんだこの馬鹿)


 山内くんは絶望した。


 ……視界の端で、バイクのヘッドライトが山道をこちらに向かってくるのが見えた。

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