第138話:運命に抗う策

「それは……」


 海人は言葉に詰まる。先ほど仁王丸の言葉で立ち直ったのは良いが、具体案はまだ何も思い浮かんでいない。月詠はやれやれと手を広げ、呆れたようにため息を吐いた。


「まったく、相変わらずの見切り発車ね。仕方ない。それじゃあ、あたしからヒントをあげようじゃないか」


「!!」


 月詠はニイと笑みを浮かべる。


朱雀帝アイツは、さっき何て言ってた?」


「え……」


「運命を操作し、未来を確定させる。そんなことが出来るのは、神かそれに準ずる存在だけ――そう言ってたはずよ。なら、それを逆手にとるの。あるでしょ? アンタにはそのアイデアが」


 当然のように問いかける月詠。その言葉を海人は反芻する。


「……」


 思索を巡らせ、解決への糸口を探る。その中で、海人は一つの答えに至った。


「まさか、神子……!」


「そう。神子が絡めば、運命線は分岐する。硬直した未来に、新たな分岐が生じるの」


 月詠は、落ち着いた声で告げた。目を見開く海人。朱雀帝の言葉で崩れ去ったはずの希望が、こんな近くに残っていたというのか――盲点をつかれて驚きと困惑を隠せない彼を一瞥し、月詠は目を伏せる。


「神子って、半分神みたいな存在らしいじゃない。で、神っていうのは基本的に運命線から独立した存在なの。だけどそれとは逆に、神の行動自体は、運命線に多少なりとも揺らぎを与えるのよ」


「……だから、神子が絡めば運命線が分岐する。そのせいで、古都主ですら過程までは確定させられなかったのか」


「逆に言えば」


「神子たちの行動で、運命線を動かせる。確定した未来すら、俺たちの手で変えることが出来る……!?」


 興奮気味に返す海人。見えた希望。手繰り寄せた勝ち筋。彼の鼓動は早まった。

 だが、仁王丸は冷や汗を流して怪訝そうに首を傾げる。


「ですが、それだと変です」 


「……何がだ」


「だって、今この坂東には三人の神子がいるんですよ? 彼らの行動で簡単に運命線が動くなら、そもそも未来なんて確定しようがありません。にもかかわらず、陛下は確定未来と仰ったんですよね? なら、まだ何か見落としている仕掛けがあるように思うんです。まあ、確定というのはただの誇張かもしれませんが……」


 不安げに告げる仁王丸。月詠は感心したような視線を向けて、


「へーぇ。なかなか鋭いじゃない。そういうところは母親に似たのかしら」


「!! 貴方は、私の母を知って……」


「それはいま後回しで。で、言っとくけどアイツが言った内容に誇張なんて一切ない。順当にいけば、未来は歴史通りに100パーセント収束する。神子が動くとか関係ないわ。確定未来、その表現は大袈裟じゃない」


 あっさり先ほどの言葉を全否定してみせる月詠。海人は「はぁ!?」と声を上げて、


「なら、結局未来は変えられないじゃないか!!」


「結論を急ぐなバカ」


 月詠はふんと鼻を鳴らす。そして彼女は席を立ち、海人のもとへと歩み寄ると、腰に手を当て胸を張った。


「端的に言うわ。未来の変更は可能よ」


「「!?」」


 驚愕する海人と仁王丸。月詠は海人の目から視線を外さないまま、


「いい? そもそも未来はね、確率事象の連続によって構築されてるの。誤解を恐れず言うなら、あらゆる確率に関わるパラーメータのセットが運命線だと思ってくれていいわ。運命線の前では偶然なんて存在しない。すべて、最初から結果が決まってるの」


「つまり……?」


「どういうことだ?」


 急に上がった話のレベルに、海人たちの理解は追いつかない。月詠は「仕方ないわね」と呟き、顎に手を当てて天を仰ぐ。


「例えば、そうね。サイコロを思い浮かべてみればいいわ。あれ、単純に考えるならどの目も同じ割合で出るでしょ? なら、最初に振って出る目は1から6までどれが出てもおかしくない。それが、カイトも知ってる確率の理論よね」


「そうだけど、違うのか?」


「ええ。実際は、運命線で1と決まってるなら1以外に出ない。時を戻して何万回、何億回サイコロを振りなおそうと、この事実が変わることはないわ。サイコロを手放す角度、力、空気抵抗、それから摩擦……出目に関わるありとあらゆる要素は、特定条件を満たす範囲内でしか変動しなくなる。絶対に1が出るように、世界の方が帳尻を合わせるのよ。これが、運命線の生み出す確定未来というヤツってわけね」


 海人たちの常識を破壊するような理屈を、月詠はいとも簡単に並べてみせた。運命を司る女神――かつてそう自称した彼女は自慢げに続ける。


「でも、さっきも言った通り神は違う。神の性質を持つ者がサイコロを振れば、その結果は確率に従ってランダムに変わる。あらゆる目が、それぞれ1/6の確率で出るようになる。これが、運命線から独立した状態ってわけ。でもこの説明だけだと、さっきアンタが言った通り未来はブレにブレまくる。それは正しい解釈だわ」


 月詠は仁王丸に宵闇の瞳を向け、小首を傾ける。


「でもね。逆に言えば、神であっても確率からは逃れられない。そして、確率は運命線が作る神羅万象に依存する。つまり、結局は神も運命線の影響をもろに受けるのよ。それに、運命線には修正力がある。小さな揺らぎからバタフライエフェクトが生じることはない。だから、神子がいようと未来は確定してしまう」


 仁王丸の疑問に答えた月詠。難解な理屈だが、海人と仁王丸は何とか食らいつく。そんな彼らに、月詠は意味深な笑みを見せた。


「でも、これは神が運命線の変更を意図しない場合に限るわ」


「「えっ……!?」」


「運命線を知覚し、これを変えようと真っ向から逆らえば、より大きな揺らぎが生じる。その揺らぎが修正力のキャパを越えれば、運命線は不可逆的に捻じ曲がる。確定未来は崩壊し、新たな未来への道が開けるのよ」


 手を広げて告げる月詠。海人は顎に手を当てて、


「だからこそ古都主は、念入りに保険を張った。運命線に乗らない神子の行動を予測した上で、揺らぎが一定以下になるよう微調整をやった。それが、この前の介入って訳か」


「そうね。気味が悪いほど的確な対処よ。アンタや他の神子の行動を完全に見切って、上手く手綱を握ってる。生半可な手では絶対に覆せない。まともに動いたら必ず古都主の思うつぼになる」


「なら――まともに動かなければいい」


 海人は月詠の瞳を真っ直ぐに見て、力強い口調で言い放った。ニヤリとほくそ笑む月詠は、期待のこもった声色で問い返す。


「……じゃあ、もう一度聞こうか。アンタは、この運命にどう立ち向かうの?」


 海人は目を伏せ、長い息を吐く。彼は逸った気持ちを落ち着けるように胸に手を当て、しばらく下を向いた。


 答えは、もう既に海人の中にある。


 それは、はっきりいって狂気の沙汰。運命線という概念を無視すれば、非合理も非合理な選択だ。困難どころの騒ぎではない。まともな思考ならば、一秒たりとも考えはしないような愚策中の愚策だ。どうやって仲間を説得するかすら思いつかない。


 だが、海人は確信していた。これは、実現すれば古都主の想定を超える。運命線の針を飛ばし、閉ざされた扉を開くことが出来る。もはや可能性など問題ではないのだ。海人は進むしかない。だから、彼は臆さず告げた。


最弱が、最強蒼天を倒す――そんな展開はあり得ると思うか? 運命の女神様よ」


「あり得ないわ。天地がひっくり返りでもしない限りは」


「なら、ひっくり返すか」


 即答する海人。彼と月詠は、何が面白いのか肩を揺らして笑った。仁王丸は何も言えない。完全に置き去りになっている。そんな二人だけの支配する空間。そこに、弱気な少年はもういない。世界に平安をもたらす再臨の神子、その在り方を体現する英雄が立っている。月詠は微笑みながら、海人に向かって手を伸ばした。


「――じゃあ、あたしも手を貸してあげる。ちょっとしゃがんで。ついでに目も閉じて」


「えっ」


「いいから!」


 よく分からないまま、海人は月詠の言う通りにしゃがんで目を閉じた。そんな彼の両肩に置かれる小さい手。聞こえる息遣い。それは、いつもより心なしか熱っぽいような気もして――そんな瞬間のことだった。ふいに、思いも寄らない感触が海人に訪れる。


「――ッ!?」


「めっ、目を閉じろって言ったでしょバカっ!!」


 いきなり突き飛ばされ、尻もちをつく海人。状況が理解できない。海人の唇に残る柔らかい感触と熱。視線の先には顔を真っ赤にして息を切らす月詠と、青ざめた顔で口をパクパクさせている仁王丸がいる。


「へ……は? え? え?」


 ほんの一瞬だった。確かめる暇すらなかった。彼にとって未知の経験だったが、その正体など考えるまでもない。

 とはいえ、分かったところで混乱は加速するだけだ。


「な、なななんで!?」


「う、ウブねアンタも。キ、キスくらいでな、何を慌ててるのかしらっ!?」


「なんでお前も動揺してんだよ!!」


 反射的にツッコミは湧いてくるが、思考は混乱したままだ。


「ふ、ふざけてる場合じゃ……」


 そんな時、ふいにパチリと、妙な感覚がした。続く耳鳴り。膨大な思考と記憶が突然流れ込んでくる。


「これはっ……!?」


 それらは海人の脳内へと速やかに染み込み、ある一点へと収束していく。確率の概念を乗り越える術。六までしか出ないサイコロで七を出すようなイカサマ紛いの非常手段。全ては、不可能を可能にし、運命線を破綻させる月詠の……いや、月詠と海人の策だ。


「言ったでしょ? 手を貸すって」


 月詠は長い息を吐いて目を伏せる。そこで海人は理解した。今のは、身体の接触による思考の共有。伊勢でやったものの強化版だ。


「……なら、方法は先に伝えろよ! びっくりするじゃん!!」


「(でも……嫌とは言わないのね)」


「えっ何て?」


「何でもないわよバカ!!」


 月詠は耳を真っ赤にしながら声を上げた。海人はうへえと顔をしかめる。そんな彼らに刺さる視線。


「あの……いちゃつくのやめて貰っていいですか?」


「「いちゃついてないっ!!」」


 揃った声。仁王丸の表情は笑顔のままだが、明らかに目が笑っていない。何かしらの危機を察知した海人は、思わず姿勢を正した。それにつられて、月詠も気まずそうに目を逸らす。微妙な空気が流れる空間で、仁王丸はわざとらしく咳払いした。


「えーと……」


 月詠は火照りの残った顔のまま呼吸を整えると、再び海人に視線を戻す。


「これで、伝えたいことは全て伝えた。出すべき答えも全て出た。あとはアンタ次第よ」


「……ありがとう。これで俺は前を向ける」


「このくらい当然よ。なんたって、アンタはあたしの契約者なんだもの。だから――絶対に勝ちなさい」


 ニカッと、満面の笑みを浮かべる月詠。そして、淡い光が海人と仁王丸を包む。直後、彼らは部屋からはじき出された。


▼△▼


 再びの表の政庁。左目を閉じながら、海人は天を仰いだ。月が見下ろす神の視点から、彼は戦況を俯瞰してみる。籠城する式部卿宮。攻勢の坂上。劣勢の秀郷たち――あれから、状況は何一つ変わってはいない。朱雀帝と面会してからそう時間は経っていないようだ。どうやら時間の流れが違うらしい。


 ――好都合だ。これなら、打てる手は山ほどある。


 月詠から貰った思考。それは、単に蒼天討伐に関わるものだけではない。彼女が現状で持ちうるありとあらゆる策が、海人の理解できる範囲で込められている。その中の手札を吟味しつつ、海人は次の一手を決断する。


「さて、ここからが正念場だ。悪いけど、休んでる時間はない。やることが多すぎる。それに、一つ一つが異常な難易度だ。死ぬ気でやって、届くか届かないかの境界にギリギリ乗るかっていう勝負に挑まなきゃならない。神に勝つためには、それしか無いんだ」


「分かっています。私に出来ることは、なんなりとお申し付けください。全力を賭して、海人様のお力になりますから」


「ありがとう仁王丸」


 海人は、彼女に微笑みかける。そんな折のこと。ふいに仁王丸は躊躇いがちに告げる。


「あの……海人様」


「どうした?」


「僭越ながら」


 いきなり、仁王丸は海人の頬に手を添える。「えっ」と声を漏らす海人。彼の理解が及ぶより先に、結果は五感として現れた。


「……っ!?」


 それは、避けようのない、あまりに突然の二度目だった。数秒の接触はあまりに初々しく、甘美で、海人の思考を空転させるのに十分すぎる衝撃をまとっている。

 言ってしまえば、焦りからくる衝動的な暴挙。彼女の内にあるのは、ほんの少しの後悔と興奮。そして安堵。


「これは、私の我儘です。だって、あの人だけずるいじゃないですか」


 熱の残る唇に手を当て、仁王丸はいたずらっぽく笑みを浮かべる。いつも通りのクールな表情。だが、赤くなった顔は隠せそうにない。狼狽える海人は目を白黒させて、


「……えっ、ちょっ……仁王丸さんッ!?」


「ふふ。神に挑まなきゃいけないのは海人様だけじゃないんですよ? 私だって、月詠あの人には負けていられませんから」


 困惑と混乱の最中にある海人に向かって、仁王丸はさらりと告げた。


「私も背負います。皆で勝つんです。だから、大丈夫。海人様なら負けはしませんよ」


「……っ!」


 その言葉に、海人ははっとする。


 ここまで、海人は様々な人の力を借りてきた。幾つもの辛酸も舐めた。それでもなお、届かなかった。日の神の表象は彼に絶望を笑顔で告げた。心が折れた。それでも、仁王丸と月詠は背中を押してくれた。不甲斐ない自分を信じて、力を貸してくれたのだ。ここで、彼女たちの思いに応えなくて何が『再臨』だ。何が救国の英雄だ。


「……ああ、そうだよな」


 海人の心に、再び闘志が燃え上がる。相手は最強。自分は最弱。確率はゼロ。だから、何だというのだ。彼は強い瞳で拳を握り、まっすぐに前を向いた。


「俺は将門さんたちを助ける。見殺しになんてさせない。絶対に、誰もが笑える最善の未来へと繋げてやる! 運命? 歴史? そんなの知ったことか! 未来は、俺がこの手で掴み取ってやる!!」


 響いた声。固まった意志。少年はこれまでの苦難すら糧にして、絶望と運命に抗う賭けに望む。


「その為に俺は――蒼天を討つ!!」

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