第137話:運命への謀叛
仁王丸が裏の政庁から追い出されてから、恐らく五分と経たないうちのことである。ぱちりと肌を刺す妙な感覚とともに、彼女の後ろでばたりと音がした。
「神子様!?」
仁王丸はすぐさま海人のもとに駆け寄った。だが、返事がない。彼は憔悴しきった顔つきで膝をつき、虚ろな目をしている。仁王丸は震える手で、海人の肩を支えた。彼は俯いたまま、消え入るような声で呟く。
「…………った」
「え……?」
「駄目だった。救えなかった。俺には……何も出来なかった……!」
拳を床に叩きつけ、絞り出すように海人は告げる。彼の頬を伝う涙。抑えきれない感情に震える肩。仁王丸が、ここまで弱った彼を見るのは初めてだ。
「……っ」
思えば海人は、これまで様々な理不尽に見舞われてきた。突然異なる世界に迷い込んだ。理不尽な神の暴風に晒された。全能神の力の片鱗に蹂躙された。謂れのない罪に問われて辺境に飛ばされ、命を剣筋に掛けられた。だが、それでも、彼は絶望しなかった。希望を求め、闘志を失わなかった。少なくとも、仁王丸の前でそんな素振りは見せなかった。弱音を吐くことはあっても、その目は前を向いていた。
その海人が、折れてしまっている。誰よりも弱いのに、誰よりも強い心を持っていたはずの少年が、ずたずたになるまで心を引き裂かれたのだ。何があった。何をされた――想像もつかない事態に仁王丸は言葉を失う。
そんな彼女に、海人はぽつりと言った。
「朱雀帝が……いたんだ。あの人が……将門さんを、見殺しにするって……言ったんだ」
「――っ!?」
目を見開く仁王丸。そしてようやく理解する。海人がここまで絶望に囚われている訳を。式部卿宮どころではない。平安京の最高指導者が、この一件に沙汰を下したのだ。もはや、正規の手段でこれを覆すことは出来ない。これまでの旅も、全て無駄になってしまった。いや、最初から無駄だったのだ。
「で、でも、神子様なら……神子様ならまだ何か策が」
「あるわけないだろッ!!」
「!!」
ぴしゃりと、海人は仁王丸の手を払いのけた。思わずよろめく仁王丸。そんな彼女を睨みつけ、海人は続ける。
「簡単に言ってくれるな……平安京の帝が、将門さんたちを見殺しにすると直々に宣言したんだぞ。将門さんたちの冤罪を知った上で、討伐命令を取り下げはしないと言ったんだぞ!! 残酷で冷酷で極めて理性的な判断だ。説得なんて無理。実力も、知能も、人望も、俺なんかより遥かに上の相手だ。勝てない。出し抜けるわけがない! 打てる手なんてもう!! もう……………ないんだよ」
海人は仁王丸の肩を掴む。くしゃくしゃの顔で、行き場のない感情が溢れて、彼はそのままがくりと項垂れた。
「思えば、最初から間違ってたんだ。歴史に、運命になんて勝てるはずが無かったんただ。相手は神、ただの高校生に、何が出来るっていうんだよ。死ぬ気で頑張っても、所詮はこのザマさ。再臨の神子なんて大層な肩書をこさえても、俺なんてこの程度の小物なんだよ!! 結局、俺は誰も救えない。戦乱を収め、国を救うことなんて俺には――」
その時、ぱちりと乾いた音が木霊する。続いて、海人の右頬に熱、そして、じんじんとした痛みが訪れた。思考の断絶、困惑の最中、彼は茫然とした表情で前を見る。
「……ぇ」
「目を覚まして。貴方は……海人様はそんな人じゃない」
海人の頬を叩いた仁王丸は、目を腫らして震える声で告げる。
「貴方はっ! 私の憧れなんです!! 無力でも、カッコ悪くても、絶対に諦めずに進んでいける。伊勢で私の手を取ってくれたあの日から、貴方は私の神様なんです。だから、そんなこと言わないでっ!!」
「……!」
「あの時貴方は言いましたよね。『暗い過去より、明るい未来を考えよう』って。『どうせ、俺たちは前に進むしかないんだから』って。なら、なんで今諦めるんですか。坂東の戦乱は始まったばかり。将門殿も生きている。まだ、何も終わってないじゃないですか!!」
「でも……運命の行き先は確定している。俺がどうあがこうと、将門さんたちを救える可能性なんて!!」
「可能性なんて問題じゃないと言ったのは誰ですか! 絶対に無理な勝負を、海人様は何度も覆してきたじゃないですか!! 今回だって、貴方ならまだやれるはずですっ!!」
仁王丸の叫びが響いた。彼女の言葉に理屈はない。観念的で、精神論。言うなれば、ただ、そうであって欲しいというだけの願望。
だがそれは、かつて海人が仁王丸に見せた夢だ。彼がぶつけた理想を、仁王丸は海人にぶつけ返したのだ。
「だから、諦めないで。立ち止まらないで。そして、叶えて! 私の好きな人は、そういう人だったはずです!!」
「!!」
はっとしたような顔を浮かべる海人。追い打ちをかけるように、仁王丸は口を開く。
「今から申し上げるのは、私の素直な気持ち。端的に言えば我儘です。でも、貴方は聞いてくれると仰いましたよね」
「……ああ」
「なら、運命に勝ってください。そして、貴方が、貴方こそが希望だと、この世界に知らしめてください。私は、そんな海人様の隣に立ちたいんです」
海人の手を取り、仁王丸は微笑む。彼女の潤んだ瞳が、彼の湿気た顔に刺さる。
そこでようやく、海人は思い出した。自分が、これまで何をしてきたかを。どれだけ皆に期待されてきたかを。そして、自分はこれからどうしたいかを。
「そうか……そうだ。俺は――!」
『ナイスアシストよ。隼人の娘』
「「!!」」
ふいに二人の脳内に声が響く。直後、視界が入れ替わった。転移術式とは異なる感覚。しかし、この場所は明らかに政庁ではない。
仁王丸はこの部屋を知らない。見慣れない間取り、見慣れない道具。唯一知っているのは、部屋の奥に座する黒髪の少女だ。
「貴女は……!」
「月詠!?」
「昨日振りね、カイト。そんでアンタは三か月振りかしら? まあでも、そんなことは今どうでもいい。それより――」
運命の女神は足を組みつつ頬杖をつき、不敵な笑みを浮かべて言った。
「カイト。結局アンタはどう立ち向かうの? このイカれた運命に」
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