第139話:蒼天を穿て

 武蔵国府周辺、南都軍本陣。征東大使坂上是茂は、怪訝そうに目を細める。


 彼の視線の先にいるのは、百にも満たぬ寡兵。藤原秀郷が率いる精兵たちだ。とはいえ、是茂が彼らに差し向けた兵力は二千に及び、後衛の本隊まで含めると一万を超える。たとえ武神といえども、この戦力差はどうにもなるまい。


「そう、思ってはいた。いたんだけど」


 流石に、相手方の動きがなさ過ぎる。抵抗する訳でもなく、降伏する訳でもなく、ただ丘の上でじっとしている。


 ――何が狙いだ。釣りか?


 不気味なほどに静かな敵陣。相変わらずの気怠げな目をして、是茂は息を吐いた。


「まあ、どうでもいいか。この戦力差でこの布陣。損害の大小は変われど討ち漏らしはしない。左翼の兵に伝達せよ。藤太を討て」


 是茂の指示で、南都軍は動く。圧倒的な数の暴力が、秀郷の軍を押し潰そうと大地を揺らす。絶対絶命――そう思えた時だった。


「ん?」


 是茂を襲った妙な感覚。同時に空が割れた。南都軍が再び張った転移阻害の術式結界が、また何者かに破壊されたのだ。


「再臨……なるほど、転移で逃げる気か。でも――」


 是茂は落ち着いたまま、おもむろに宝剣を掲げる。秀郷軍までの距離はおよそ四里。十分に射程圏内だ。


「秩序を切り裂く坂家宝剣。それは、術式だって対象になる。僕が逃がすと思うかい?」


 歪んだ神気が集約し、空間に作用する。軋むような異音とともに、彼は宝剣を振り抜いた。轟ッ!! と、閃光が走る。神子ならざる者が扱う最高峰の暴力が、秀郷たちへと向かう。その時のこと。


「!?」


 標的から放たれたもう一筋の光。遅来矢か?――是茂は一瞬そう考えたが、どうも様子がおかしい。


「消失した……だと?」


 宝剣の神気は、謎の光によって威力を失った。相殺されたのではない。何かしらの作用によって性質が変えられたのだ。


「術式……いや違う。これは!」


壺切御剣つぼきりのみつるぎ


「ッ!?」


 深い紫の衣。艶やかな黒髪、そして、顔を隠す垂れ布に青白い肌。そんな長身の男が、突然是茂の目の前に現れる。


「お初にお目にかかるな。南都の将よ」


 彼は、朱雀帝ではない。しかし、彼女の代理人として坂東に立ち、全権を任された北都の総督。


「式部卿宮……!!」


 そこで、是茂は全てを理解する。


 先程の結界の崩壊の意味。秀郷と海人を逃がした事実。そして、戦況の変化。彼は、海人の術中に嵌まったのだ。


「入れ替わりの転移術式……謀ったな再臨めッ!!」


 直後、振るわれる壺切御剣。坂家宝剣と対をなすレガリアは、秩序を生み出す統治の象徴だ。目を見開き、式部卿宮の剣を受ける是茂。その衝撃の余波で、雑兵たちは吹き飛ばされる。人外しか立つことの許されぬ領域で、是茂は心底不愉快そうに言い放った。


「答えろ式部卿宮。再臨と武神は今どこにいるッ!!」


「神すら知らぬ未来――その最前線だよ」


 翻る袖。再び集約する神気。決戦を前にして、南北の両雄は激突する。


 ▼△▼


 下総国、国府付近。積み重なる屍の隙間に、彼は凛として立っていた。

 『蒼天』三条宮経基つねもと王。南都の祟り神は、下総国府を防衛する将門一派をたった一人で殲滅した。抵抗する暇も無く、逃げる隙すら与えない一方的な蹂躙。将門一派の本陣は一刻と保たなかった。

 絶対的な神の力を振るった彼は、返り血一つない綺麗な顔で天を仰ぐ。その表情はどこか儚げで、憂いを含んだようにも見えた。


「……ん?」


 そんな時、ふいに肌を刺した妙な感覚。彼はおもむろに視線を下げると、怪訝そうに目を細める。


 そこには、一人の少年が立っていた。


 距離で言うとおよそ三里。常人離れした身体能力を持つ蒼天でも、かろうじて顔が判別できるか出来ないかという距離だ。しかし、彼には分かる。顔など見えなくとも、直感がそう告げるのだ。


「……成る程、君の方から来てくれたか」


 蒼天は確信していた。彼の標的、武神俵藤太は、かの少年と同行している。根拠はない。しかし、疑ったことはなかった。運命の変換点に、少年は存在している。平安京でも、伊勢でも、この坂東でも、彼は蒼天の目の前に現れた。


「ならば、藤太共々滅ぼすまで」


 蒼天は、刀の柄に手を触れる。そして、大地を蹴った。卓越した気脈操作のなせる技が、人間という枠を凌駕し、音すら置き去りにする。ほんの数秒で、彼は少年のすぐそばまで到達した。


「先日ぶりだな海人。私に何か用でも?」


 間合いに入った少年。蒼天の目に映った彼は――不敵な笑みを浮かべていた。


「悪いが、お前には負けてもらうぜ。俺が今日、この手でお前を倒してみせる」


「君がか? 随分と見くびられたものだな」


 そうは言いつつも、蒼天は知っている。

 目の前の少年に、自分と戦う力はない。だが、それが分からぬ馬鹿でもない。きっと、策を隠している。


 ――恐らく、何かあるとすれば攻撃の直前か同時。それだけは警戒しておくべきか。


 彼は慢心しない。死角からの不意打ち、入れ替わりの転移術式、置き玉の霊符――蒼天は想定されるありとあらゆる状況に思考を振り分けつつ、確実に海人の命を刈り取れるような体勢に入る。


「残念だが、君と遊んでいる暇はない」


 刹那、抜刀。術式など行使しない、純粋な膂力から放たれる規格外の一閃。直後、鮮血が舞う。それは、海人の血。


 そう、紛うことなき海人の血だ。


「は……?」


 何もなかった。何もなく、斬れてしまった。予想外の事態。腹を割かれ、宙を舞う海人を視界に捉えながら、蒼天の脳に一瞬の空白が生じる。


 ――何だ。何が起きた。いや、違う。何故、何も起きない……?


 来るはずの攻撃が来ない。問題はないはずだ。ないはずなのだが、あまりに不自然。あまりに不気味。蒼天の思考回路が混線する中、それは答えとなって現れた。


「『繋げ』」


 瀕死のはずの海人は、ニヤリと笑みを浮かべる。直後、蒼天の身体に衝撃が走った。


「ごふッ!?」


 ちょうど、自分が海人を斬ったのと同じところに生じた刃傷。膝をつき、口から血を流す蒼天。そして彼は気付く。


「これは……贄の術式!?」


 しかし不完全。これでは海人もダメージを相殺できない。むしろ、ダメージの六割は海人にいったであろう。贄の術式は、自力に差がありすぎるこうなるのだ。これでは、蒼天を倒せない。先ほどの傷も今に治る。一方、海人が瀕死なことに変わりはない。となると、結局はただの捨て身。この程度では犬死にという結末を迎えるだけだ。


 ――そんなことも君は知らなかったのか? それとも、知っていてあえて……


「言っただろ。俺は、お前を倒す。これは、第一の矢だ」


「!!」


 海人は大地に落ちる直前、ぱちりと指を鳴らす。それは、合図だった。刹那、現れる坂東の武神。彼は既に刀を握っている。


「あとはよろしく、秀郷さん」


「……ああ」


 歪曲する空間。放たれる眩い光。これは、武神の奥義の予兆だ。

 ようやく蒼天は理解する。先の言葉は戯れではない。目の前の少年は、本気で自分を倒しにきているのだ。


「そうか……ならば」


 蒼天はニイと唇を吊り上げ、目を見開く。空間の共振。空を割るような気脈の励起。そして、彼は太刀を大地へ突き刺した。


「勅命「素戔嗚命スサノオノミコト」:御業『天崩あまくずし』!!」


「!!」


 全方位に向かって生じる衝撃波。それは、防御や回避などという概念すら忘却させるほどの絶対的な破壊。引き裂かれる大地、吹き荒れる氷の暴風。寒空の下の関東平野は、一気に凍てつく地獄絵図へと一変する。吹き飛ばされる秀郷たち。軌道を逸らされた遅来矢は天を射抜いた。


「くっ!!」


 日本神話の最高峰に君臨する三貴子の一角――素戔嗚命の霊威を宿した皇国最強は、ついにその本領を発揮する。暴風の真中で、蒼天は恐ろしいほどに冷たい瞳をして告げた。


「私を倒すだと? 笑止千万。君たちに勝ち目など万に一つもない」


「それでも、俺はやらなきゃいけない!!」


「ならばやってみせろ、哀れな神の傀儡どもよ!!」


「ああ。俺は、運命を変える。そのために、お前を倒してみせるッ!!」


 交錯する視線。相対する二人の神子。ここに、決戦の火蓋は切って落とされた。

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