第113話:下野急行

「我らが下野まで同行いたします」


 そう言うと、若い武者は跪いた。

 色白で細身。とはいえ武官らしく筋肉質な体つきをしている。丁寧な言葉遣いと豪華な甲冑を見るに、恐らく彼が護衛の兵たちの指揮官という訳だろう。


「よろしくお願い……って、あれ?」


 ふと、海人は彼の顔に既視感を覚えた。


「どこかで会いましたっけ?」


「……!」


 驚いたように若武者は目を見開く。

 そして、彼はより一層深く頭を下げた。


「ただ一度会っただけの、かくの如き下っ端を覚えておいでとは……噂に違わぬ聡明さ。恐れ入ります」


「え? ああ、ありがとうございます……で、結局どこで会いましたっけ?」


逢坂関おうさかのせきにございます」


「逢坂関?」


 思いもよらぬ答えに、首を傾げる海人。

 逢坂関は、悠天たちとの旅路で行きと帰りの二度通った。

 だが、あそこで誰かと会ったことなど――


「あっ!!」


 ふいに思い出す風景。

 凶悪な笑みを浮かべる悠天。吹き荒れる暴風。空を飛ぶ検問の武者たち。その中に、彼もいた気がする。

 思えば、応対にあたった青年が彼だったような気もしてきた。


「まさかあの時の!」


「ええ。あの日朝廷の命を受け、再臨様、悠天様、佐伯の若君を追捕しに伺いました者です。その折はとんだご無礼をっ!」


「いやいやそんな……」


 地に這いつくばりそうな勢いで頭を下げる若武者に、苦い顔を浮かべる海人。

 なにせあの時の罪状は、どれも否定出来ない事実だった。仁王丸が帝の退位を強制する術式を行使したのも、海人が八咫鏡を破壊したのも実際起きたこと。

 刑の執行がなあなあになったのは、海人が高明たちを巻き込んで強硬手段を取ったからである。命令を遂行しただけの若武者が、気に病む必要などどこにもない。


 ――にしても、なんで覚えてたんだ?


 今度はそんな疑問が浮かんでくる。

 確かに海人の記憶力は良いほうだが、それでも一度話しただけの人など、特に何かない限り忘れてしまう。

 にもかかわらず覚えていたということは、きっと何かあったはずだ。


「お名前を伺っても?」


「正六位下常陸大掾だいじょう平貞盛たいらのさだもり朝臣にございます」


「!?」


 目を見開く海人。

 名乗った当の貞盛はきょとんとしているが、海人は手で顔を覆い、天を仰いで奥歯を噛みしめた。


――なるほど、どうりで覚えてるわけだ……


 海人はその名前を知っている。

 高校日本史の教科書の一頁に、ちらりとだけ出てくる貞盛の名。

 世の高校生のほとんどが忘れ去っているであろう彼の名は、今の海人にとっては聞き逃せない名前である。


――平貞盛。将門さんの従弟にして、あの平清盛の先祖。そして何より……


 承平天慶の乱最大の勲功者の一人。

 すなわち、将門を討った男。


「……っ」


 その史実が、海人に重く圧し掛かる。

 古都主が敷いた、歴史という名のレール。それに、自分は知らず知らず乗せられているのではなかろうか――嫌な予感に、海人は思わず目を細めた。


「操られてやるかよ……!」


 ▼△▼


 二日後の早朝、海人たちは下野国府を目指して出立した。

 下野国府は現在の栃木県栃木市に位置している。普段なら、下総国府から二時間と掛からない距離だ。


 だが、今は少々事情が異なる。

 常陸と下総の国境付近で発生している大規模な気脈の乱れ――それが、転移術式での長距離移動に支障をきたす懸念があった。

 そのため今回の行程では、短距離の転移を十回に分けて行うことになっている。

 所要時間も大幅に伸び、順調にいっても半日は掛かる予定となっていた。


「今どの辺だ?」


「たぶん茜津あかねつの辺りッスね。今で全体の五分の一くらい?」


「そうか……」


 険しい表情を浮かべる海人。

 実のところ、彼は忠文との会談の後、そのまま下野国府に直行したいくらいだった。

 だが、流石に休養が必要と仁王丸に強く説得された上、兵の編成に掛かる時間などの影響でどうしても二日ずれ込んでしまったわけである。

 そのせいか、海人はずっと落ち着かない様子だ。


「なーにそんなに焦ってるンスか」


 そんな海人の顔を、千晴は暢気そうに覗き込んだ。

 海人は彼女をちらりと見て、呆れたように息を吐く。


「そりゃ焦るさ。事態は一刻を争う。のんびりしてる場合じゃない」


「それはそうッスけど、兄ちゃん一人頑張ったところで何か変わる訳でもないッス」


「……」


「あんま無理しない方が良いッスよ?」


 平然と言ってのける千晴。

 海人は何か言い返したそうな表情を一瞬浮かべたが、それを押さえてニヒルに笑って見せた。


「無理してるように見えるか?」


「見えるッス。だって、兄ちゃんずっと働きっぱなしじゃないッスか。目の下のクマすごいッスよ?」


「でも」


「私も千晴と同意見です」

 

 飛んできた新たな声。

 そこにムスッとした表情で立っているのは、見慣れた黒髪の少女だ。


「仁王丸も……」


「一度決めたら突っ走れるのは貴方の美点ですが、全てを自分で背負い過ぎるきらいがあります。時には人に任せて、心を落ち着けて休むことも肝要です」


「……」


 少女たちの言葉に、海人はしばし瞑目して黙り込んだ。

 否定の余地はない。全面的に彼女たちの言葉が正しいのは、海人にも分かっている。

 彼は観念したように長い息を吐いた。


「……確かに、お前たちの言う通りだよ。ちょっと無理してる自覚はある。休めっていう意見も分かるさ」


 そう前置きした上で、海人は目を細める。


「でも、それは今じゃない。今は、無理してでも動かなくちゃダメな時だ」


「……」


 少女二人は、そんな海人を見つめてため息をついた。


「まったく、仕方ない人ですね」


「ほんとッスよ」


 ▼△▼


 数時間後、海人たちは利根川とねがわ沿いの道を北上していた。

 これまで行った転移は八回。敵襲もなく、彼らの旅路は万事順調に進んでいる。

 海人の腕時計の針は、現在午後四時前を指していた。


 ――まあ、この時計がどれだけ正確かは分からんけどな。


 毎日海人の勘で時刻が微調整される、自動巻きの腕時計。ガラスカバーにはひびが入り、本体も傷だらけ。針は機嫌よく回っているが、もはや正確に60秒を計れているのかいるのかすら怪しい。


 うーん、と唸る海人に、例の若武者、平貞盛が声を掛けた。


「再臨様、そろそろ常陸と下総の国境です。九度目の転移の準備に映ります」


「分かりました。よろしくお願いします」


 ニコリと笑みを向ける海人。ただ、その顔には疲労が浮かんでいる。

 そんな海人とは対照的に、千晴は元気が有り余っている様子だ。ほんの数日前まで死にかけていたとは思えない。

 彼女は上機嫌にくるくる回りながら、貞盛のほうを見つめて、


「にしても、こんなとこで平太へいた兄と会うとは思わなかったッス」


「それは俺だって同じだ。というより、家を飛び出して文も出さないのは如何なものか。千常ちつねが心配していたぞ」


「兄様のことはどうでも良いッス。それに、どうせあのクソ親父はあんな調子でしょ?」


「叔父上に対してそんな口を利くのもどうかと思うがな。とにかく、折角下野まで行くんだ。顔くらい見せてやれ」


「絶対に嫌ッス!」

 

 ベー、と舌を出して拒否する千晴。随分親し気な掛け合いである。

 海人は意外そうにピクリと眉を動かして、


「あれ、そこ知り合いだったの?」


「ええ。千晴は私の従妹です」


「へー」


 海人はまだ千晴の出自を知らない。

 それとなく聞いても彼女は教えてくれなかったからである。

 とはいえ、どうやらそれなりに名のある坂東武者の娘であることは察していた。貞盛と血縁があるというのも、よく考えてみれば今更特段驚くようなことではない。


 ただ、彼女の実家が下野にあるというのは初耳だった。


 ――なーんかいたような気がするんだよな。下野国に縁がある、平安時代のメジャーな武者……


 十八年の人生で蓄積された知識の中に、千晴の父親らしき人物がいないか――断片的な情報を繋ぎ合わせて脳内検索をかけてみる。


「うーん」


 あと一歩で思い出せそうな感覚を抱きながら、海人は腕を組んで天を仰いだ。


 その時。


「……ん?」


 突然、千晴が前方に目を凝らす。

 一直線に伸びる道の先。そこに、彼女は何かを見た。


「どうした千晴?」


「人が立ってるッス」


「人……?」


「妙ッスね。こんな時節にたった一人で」


 首を傾げる千晴。彼女の視線を追った海人にも、確かに人影のようなものが見えた。

 だが、恐らく2、3キロメートルは離れている。彼の視力ではその特徴までは捉え切れない。


「どんな人だ?」


「たぶん男ッスけど、女みたいに綺麗な顔してるッスね。あと、都の貴人みたいな衣を着てるッス。烏帽子被ってて、薄橙の色の髪の毛した青い目の――」


「「!!」」


 海人と仁王丸に走る電撃。

 その特徴を、彼らが忘れるはずがない。


「まさか――ッ!!」


 直後、空間が鳴動する。震源は考えるまでもない。前方に立つ青年だ。異常なほどに澄み切った水の神気が、数キロ先の彼に集約していくのが感じられる。

 次の瞬間、海人は本能的に叫んだ。 


「『解けろ』ッ!!」


 言霊の種火。海人が操る唯一の異能。

 前方の青年から放たれた光条は、海人たちへと届く前に霧散した。


 だが、権限の行使にはかなりの神気消費が伴う。いくら海人の技術が上達したといっても、咄嗟に膨大な神気を相殺した分の反動は抑えきれない。


「くっ……」


「神子様っ!」


 仁王丸はよろめく海人を支え、心配そうな表情を浮かべた。

 海人はぎこちない笑みを向けて、


「大丈夫、一時的なヤツだ。すぐに治る。

それより……」


 海人があの一撃を見るのは、今回が初めてではない。

 一度目は平安京。二度目と三度目は伊勢。四度目にして、海人は初めてまともに受けきることが出来た。


 だが、次はどうか。


 恐らくすぐにもう一発が来る。この程度でダウンしている場合ではない。

 海人は軽く呼吸を整えると、苦しげに奥歯を噛み締めた。そして、遥か向こうで刀を振り上げる青年を睨む。


「兄ちゃん……今のは一体!?」


 尋常ではない事態を察知し、冷や汗を流す千晴。だが、海人には彼女に構う余裕などなかった。


 全てを薙ぎ払う純然たる水の神気。荒ぶる神の威光。

 日本神話屈指の英雄神の表象が、陽成院派の切札として海人たちの前に立ちはだかる。


「ここで出てくるか……蒼天!!」


▼△▼


「外れかと思ったが、君がいたか」


 挨拶代わりの一閃を打ち消され、『蒼天』経基王は一つ息を吐いた。

 追いかけていた標的とは遭遇できず、手ぶらで帰るのも癪だと思っていた頃に丁度現れた敵兵。それも、一度彼を出し抜いた少年のいる軍勢だ。

 冷めかけていた興を温めるには、十分過ぎる舞台である。

 蒼天は、ニヤリと笑みを浮かべた。


「……丁度良い。伊勢での借り、ここで返させて貰おう」


 彼はまるで戯れるかのような調子で、軽く刀を振り上げる。だが、集約する神気の量は遊びで済むような範疇に収まらない。

 それは、あらゆる物を破壊する祟り神の一閃にして、贄となった姫神を救うあの神話の再現だ。


「契神「素戔嗚命スサノオノミコト」御業『蛇龍征討じゃりゅうせいとう』」

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