第112話:征東大将軍

「そんな訳ないだろッッ!!!!」


 バンッ! と、海人の拳が下総国府の柱を揺らす。

 目の前のひげ面の男――征東大将軍藤原忠文が語った現在の状況は、海人には受け入れがたいものだった。


 将門が常陸国府を攻め落としたという報告が忠文になされたこと。そして、平安京からは将門の討伐命令が出ており、既に兵が動いているということ。


 いずれも、海人が全く想定していなかった事態である。


「一体なんでこんなことになってんだよ……」


 頭を抱える海人。

 しかし、忠文は彼を怪訝そうな目で見つめて言った。


「なぜ貴君が狼狽える」


「……どういう意味ですか?」


 前のめりになる海人を睨み返し、忠文は一枚の文書を勢いよく広げてみせた。


「この文は貴君が書いたものでは無いのか」


「は…………?」


 忠文から見せられた文書には、将門謀叛を知らせる内容が書かれている。その末尾には海人の署名があった。


「なんだよ……これ」


 全く身に覚えがない。だが、そこに書かれているのは紛うことなき自分の文字だ。

 彼は訳が分からないまま、冷や汗を流して声を荒げる。


「俺はこんなの書いてない! 将門さんの謀叛だって事実無根だ!! それに、俺にはあの人を貶める必要だってどこにもッ!!」


「だが、平安京の文書は、筆跡と神気の残滓で真贋が判じられる。その上で、これは再臨様の手のものという沙汰が下ったのだ。戯言は無用。どういうことかご説明願おう」


「知りませんよ!? これはきっと陽成院派か、それとも別の事態の混乱を望む奴の仕業に……」


 そこまで言って、海人は自分で気付いた。

 一人、いる。この状況を望み、かつ実現しうる力量を持ち合わせていそうな人物が。

 歴史をなぞり、陽成院から主導権を取り返す――そう海人に告げた、軍服姿に長い髪の、国つ神を名乗る不明の存在。


「古都主……っ!!」


 憎悪をむき出しにして、海人はその忌むべき男の名を口にする。

 将門が反乱を起こすよう仕組み、西の勢力に鎮圧させることで運命線の拗れを修正する。それが古都主の狙いだ。


「畜生がッ……!!」


 やり方はいくつもあったはずだ。にもかかわらず、彼は海人を矢面に立たせ、将門たちに疑念と絶望を与える方法を選んだ。何とも悪趣味。海人は奥歯を噛みしめる。


 そんな彼に、忠文は品定めするような視線を送った。


「……ふむ」


 海人の様子は、とても嘘や出任せを言うような人のものではない。それに、彼の馬鹿がつくほど真っ直ぐで正直な気性は、出発前に部下から聞き及んでいる。

 忠文は怪訝そうに目を細めた。


「古都主……とは」


「俺にも詳しくは分からない……でも、これだけは言える。アイツは敵だ。そして恐らくは、今この状況を作り出した張本人。もしかすると、是茂や南都軍以上に厄介かもしれない存在です」


「それは真か」


「ええ。何より、動きが読めない。目的もよく分からない。胡散臭さで言えば師忠さんの上を行く」


「!!」


 平安京で上級貴族の一角、参議の役職を兼任する忠文は、日ごろから師忠の底知れなさを痛感している。その師忠を引き合いに出されるような存在が絡んでいると告げられた彼は、露骨に顔色を変えた。


「師忠卿と比べられるような男がいるとなれば、再臨様の話もただの与太では済みますまいな……」


 正直者の少年が告げた嘘のような言葉と、それに現実味を与える根拠。

 忠文は顎ひげをいじりながら、面倒そうな表情を浮かべた。その視線の先の空には、もうすっかり日が昇っている。

 彼はしばしの思考の後、一つ息を吐いた。


「……この一件は、私の管轄を越えている。もっと、上の判断が必要だ」


「上の判断……?」


坂東四箇国ばんどうしかこく太守たいしゅ、式部卿宮殿下のご意見を仰ごう。あのお方が坂東における帝への窓口だ。将門追討は平安京からの勅命。それに意見するなら、相応の手順を踏まなければならぬ」


「式部卿宮……!」


 海人も平安京で幾度か聞いた名前だ。

 権中将源雅信の父にして、先帝の同母弟。そして、『悠天』や『彩天』、摂政忠平と並び称される平安京最高戦力の一角らしい。

 その彼が、今の坂東における平安京サイドのトップという訳だ。

 海人は自ずと表情を引き締める。


「じゃあ早速、伝心術式か何かで」


「それは無理だ」


「え……?」


 思わぬ否定の言葉。困惑する海人に、忠文は険しい顔で告げる。


「昨日の夕刻より、下総、常陸の国境で大規模な気脈の乱れが生じている。そのせいで伝心術式も飛文とびふみも使えない。じかで赴くほかありませぬ」


「直で……!?」


 首肯する忠文。だが、「はいそうですか」と即答出来るような情勢ではない。

 足立郡衙襲撃を皮切りに、坂東の陽成院派が活発に動き出している。常陸国府を焼いたのも、恐らくは陽成院派の兵だ。いまこの瞬間にも、ここや下野に向かって大軍が進んで来ているかも知れない。そんな状況下で迂闊に動き回るのは危険過ぎる――そんな懸念が海人によぎった。


 忠文は、静かに問いかける。


「再臨様は、どうなさいますか」


「……っ」


 苦い表情を浮かべる海人。躊躇い、恐怖。そんな感情が透けて見える。

 その心情を察して、ため息をつく忠文。


「……」


 彼は、ひそかに失望していた。


 ――あの時、師輔卿に切った大見得はハッタリか……


 師忠が海人を近衛陣に召喚したとき、実はそこに忠文もいたのだ。多くの公卿たちが失笑する中、忠文はひそかに感嘆していた。

 常識知らずとはいえ、あの中であれ程の事を言える人間はそういない。この少年は、もしかすると本当に世界を救える存在なのではないか――そんな淡い期待を、あの時忠文は抱いたのだ。


 しかし、今目の前にいる彼はどうだ。数千の敵兵に怯え、怯むだけの、ごく普通の少年。とても世界を背負えるような存在には思えない。


「……」


 無論、忠文にも、ここで立ち向かえる方が異常なのは分かっている。

 だが、彼は目の前の少年にそれを期待していた。本当に自分たちの希望となるような人間なら、ここで迷わず前に進めるはず――そう思っていたからだ。

 また、忠文がわざわざ多忙を縫って直接海人と面会したのも、彼がそういう人間であるかどうか確かめたかったからである。


 ――少々買いかぶり過ぎていた。ただ、それだけのことよ。


 自分を納得させるように首を振り、忠文は再び長いため息を吐いた。


「……では、こちらのほうで兵を編成し、下野へ」


 その時である。

 海人は手を上げて忠文の言葉を遮り、彼の瞳を真っすぐに捉えて言った。


「その必要はない」


 失望した矢先に紡がれた強い言葉。溢れだす驚きを抑えることが出来ず、忠文は目を見開く。だが、海人は目を逸らさない。


「平安京の力を借りるまでもない。俺が、直接式部卿宮と話を付けてきます」


「……で、ですが、身に危険が及ぶやも知れませぬぞ……!」


「そんなの知ったことじゃない。恩人を見捨ててのうのうと生きるなんてこと、俺には出来ません。坂東のみんなを助けるため、そして、平和な国を作るため、俺はこんな所で立ち止まってる場合じゃない!! 逆境? 劣勢? いつもの事だ! この程度で怖じ気付いてて何が出来るっ!!」


「!!」


 力のこもった瞳。不格好ながらも凛々しい表情。そして、己の無力さをものともしない正義感。それはまさしく、あの日忠文が見た『再臨の神子』だ。


 ――ああ……


 かつて饗宴で同席した、若い武官が語った与太話。ある異界の少年の英雄譚。

 それを体現する少年が、今目の前に立っている。


 ――やはり、お前が言っていたのはこの少年だったか……佐伯よ!


 十年前、灼天に焼かれて散った彼を思い出し、忠文はこみあげる熱をごまかそうと天を仰ぐ。彼は目を細め、手で顔を覆うと、深く息を吐いた。


「……よろしい。ならば貴君に兵を預けよう。下総に集う総勢二万のうち、精鋭を五百、下野までの護衛に付ける。好きに使って頂きたい」


「!」


「坂東の未来、貴君に託す」


 誇り高き最高司令官らしく、威儀を正して忠文は告げる。彼は海人を認めたのだ。海人も、それに応えてニヤリと笑みを浮かべる。


 動いた事態。刻一刻と悪化する情勢。身内の生死すら分からないが、それは海人を留める枷にはならない。

 『再臨の神子』の名を冠する彼は、最善の未来以外を絶対に認めないのだ。

 拳を掲げ、海人は高らかに宣言する。


「さて、いっちょやってやろうじゃないか!!」

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