第96話:プランB

「面目ない。急用が入ってしまいましてな。お二方と娘さんをお待たせしてしまった」


 武芝はそう言って海人以外の三人を見ると、再び頭を下げる。

 だが、海人とは頑なに目を合わせようとしない。まるで彼がいないかのような振舞だ。


「ん……?」


 理不尽を突きつけるような真似はしない、そう真樹は言っていたのにいきなりこれである。海人は少し面食らって固まるが、すぐ邪念を払うように軽く首を振った。


 ――こんなことで心を乱されるな。


 一つ息を吐き、前を向く海人。

 そして、彼は大きく息を吸った。


「郡司殿、本日はっ!!」


「……チッ」


 だが、武芝は彼を一瞥もせずに、鬱陶しそうに目を細める。対話などする気がないと言わんばかりの態度だ。


 ――コイツ……


 苦しげな笑みで奥歯を噛みしめる海人。「お、おいどうした?」とあたふたする将門。武芝はそんな彼らにため息をつくと、ニコニコとした笑みを浮かべて、


「ところで別当殿、今日のご用件とは」


「あ?」


「……っ!」


 不機嫌そうに顔を歪めて武芝を睨む真樹に、武芝は少し驚いたように肩を震わせる。


「な、何かお気に障ることでも……」


「俺じゃない」


「……は?」


「俺じゃないっつてんだよ。話があるのはコイツだ」


「……!!」


 真樹は海人の肩を掴み、武芝を睨みつけた。静かな、しかしこの上なく重い低い声。武芝は声を震わせつつ、


「し、しかしこの男は西の!」


「ならコイツにそう言え。今のアンタの態度は西の奴らとどっこいどっこいだぜ」


「ぐ……」


「坂東者なら腹割って話そうじゃねえか。なあ、武芝殿」


 閉口する武芝。真樹は「まったく」と呟いて、露骨に大きなため息を吐いた。


「真樹さん……」


「お前さんもこの程度で気おされてんじゃねぇよ。手前の熱意はその程度か?」


「いや」


 短く、それでいて力強く返す海人。自信を取り戻したような彼の表情に、真樹はふっ、と息をこぼした。

 海人は一つ頷くと、不服そうに顔を歪める武芝に向かって再び声を上げる。


「郡司殿! 今日はどうか俺の考えを聞いて貰いたい。そして、出来れば力を貸して欲しいんだ。村を、そして坂東を救うために!」


「……分かった。ここは別当殿の顔を立てて話だけは聞いてやる。だが思い上がるなよ西の小童。私は貴様を信用していない」


 ▼△▼


 しばしの沈黙ののち、話を切り出したのは海人だった。


「まず、件の村のことはご存じで?」


宮原みやはら村のことであろう? 無論だ。先ほどの評定もその件についてのものぞ」


 不機嫌そうに答える武芝に、海人は「ほう」と感心したような声を上げた。

 性悪の悪代官といった第一印象の割に、仕事はしっかりやっている。そこは前評判通りのようだ。

 武芝はふん、と鼻を鳴らすと、


「貴様ごときに言われるまでもない。手はもう打ってある」


「具体的には?」


「郡衙の蔵から米を分け与え、年明けには出挙すいこも出す。当然利息は無しだ。それでも足りぬなら、私の蔵からも持ち出せるだけ持ち出そう。民を飢えさせるわけにはいかぬ」


「……なるほど」


 私財を投げうってまで領民を救おうとするとはなんと見上げた精神なのだろう。海人は内心で悪代官などと呼んだことを密かに詫びつつ、顎に手を当て頷く。


 ――にしても、出挙か。


 出挙とは、役所から平民に貸し出される種籾たねもみのことで、一種の租税である。年利は50%と非常に高く、国府や郡衙の収入源の一つとなっていた。それを、武芝は無利子で貸し出すというのである。


 ――悪くない。てか、俺のプランAはそれだし、当面はそれで時間を稼ぐつもりだ。


 再び海人は頷く。確かに、武芝の策でも十分あの村を救うことは出来そうだ。郡衙にはかなりの数の蔵がある。備蓄の米も普段なら相応の量があるのだろう。そう、なら。


「でも――」


「なんだ?」


「あんまり無いんでしょう? 備蓄米」


「……!?」


 図星をつかれたように、武芝の表情が分かりやすく変わる。海人は「やっぱりか」と呟くと、軽く瞑目した。


「なぜ貴様がそれを……!」


「そりゃあだって、武芝さんが『それでも足りぬなら』って言ったんですよ? 郡中から集めた米をあれだけの蔵に備蓄しておいて、それでもなお足りない可能性がある。しかも、あの小さな村への援助だけで。つまりはそういうことでしょう?」


「ぐ……」


「凶作とやらの影響が、まだ尾を引いているんですね」


「……」


 言葉に詰まる武芝に、海人は目を細める。


「原因はそれだけじゃない」


 海人は、坂東の人間が彼に向けてきた憎悪の瞳を思い返す。あの瞳は、一度や二度の行いで向けられるようなものではない。

 もっと根深い、積年の恨みのようなものがこもっている、そう彼には感じられた。


「多分、今回が初めてじゃないんですよね。他の村も、あの村みたいな被害にあっている。そして、あなたはその度に援助を行い、結果として米不足に陥った……違います?」


 武芝は苦しげに唇を噛み、海人を睨む。


「……ああ、そうだ。おおよそ貴様の言う通り。確かに蔵の米はもうほとんどない。だが、あの村を助ける米くらいなら……!」


「でも、次は?」


 あっさり言ってのける海人。しかし、武芝の反応は穏やかではない。


「次……だと?」


「ええ。おそらく、南都の連中は足立郡どころか武蔵国、いや、坂東全域の直接支配を目論んでる。なら、この郡が傘下に入らない限り略奪は続くでしょうね」


「ならどうしろと! まさか我らに西の下に付けと言うのではあるまいな!?」


 バンッ!! と武芝は床を叩いた。その言葉に将門は目を細め、五月の視線も厳しくなる。真樹は相変わらず品定めするような表情のままだ。武芝は怒りに顔を紅潮させて、


「そうか、これはそういう話だったのか! やはり西の人間は信じられぬ!! ああそうだ、貴様たちはいつも――」


「そんなわけないでしょ」


「は!?」


 海人の一言に目を丸くする武芝。


「ど、どういうことだ!」


「南都の下についたって、碌なことにならない。農民に対してあんな行いが出来る連中が、領民をいたわれるはずがない。この郡の独立を守ったまま、あの村を助けないと何の解決にもならない! 俺は、その策を考えてきたんだ!」


「!!」


 武芝も、将門も五月も驚いたように目を見開く。しかし、皆半信半疑だ。

 武芝は海人に詰め寄って、


「ではどうする! 米はどこから手に入れるのだ!? 税を上げる訳にはいかぬぞ!?」


「ええ、もちろん」


 海人は目を伏せ、軽く微笑んで見せる。将門は海人の肩をガシリと掴むと、力強くブンブン揺すりながら、


「そんな手があんのかよ!?」


「あ、ありますよっ! 将門さんちょっと落ち着いて!」


 揺らされ過ぎてふらふらの海人。将門は「あ、すまん」と手を放す。今度は五月が海人の肩を掴んで、


「海人、本当なの?」


「ああ。本当だ」


「そこまで自信があるなら、貴様の考えとやらを聞いてやろうじゃないか」


 汗を流しつつ、煽るように告げる武芝。

 税を上げずに米を集めて村を一つ救い、さらには次の襲撃に備える。これを西の下に付くことなく実現しなければならない。しかも

、備蓄の米が切れるまでという時間制限付き。まさしく無理難題だ。一筋縄ではいきようがない。


 ――だから、俺はちゃんとプランBも用意してきた。


 海人は、逸る心を抑えながら長い息を吐く。そして、彼は人差し指を立てた。


「まず、俺の考えの核心は食料の分配。あるところからないところへ食べものを流す、これに尽きます」


「言うは易し。だが、どう叶える」


「簡単なことですよ。あるところから米を回収すればいい。いや、取れなかったところから取れるようにすればいいんです」


「それは、私に略奪をしろということか?」


「違います」


 海人ははっきり否定する。武芝たちは理解が追い付かないといったふうの面持ちだ。

 五月は海人の肩を掴んだまま、


「なら、どうするの?」


田堵たとがいる」


「!!」


 田堵とは、ざっくり言うと超有力農民だ。彼らは自分の土地や蔵を中央貴族に寄付することで租税の徴収から逃れており、それによって莫大な財を蓄積していたと言われている。郡司たちにとっては、目の上のたんこぶとでも言うべき存在であった。


「彼らから米を集めることが出来れば、当面の問題は解決しますよね?」


「だが、奴らは一応中央貴族の家人。つまり、その土地は中央貴族の所領だ。迂闊に手を出せばそれこそ……」


 武芝は、苦しげな表情で懸念を露にする。当然だ。西を平城京勢力、北と東を平安京勢力に囲まれ、日々折衝に苦心する彼が、彼らとの軋轢に直結する田堵との対立を進んで行うはずがない。


 無論、その程度は織り込み済みである。


「だから、無理に取り立てるような真似なんてしない」


「なに?」


「向こうに自発的に出させる。俺たちは、そういう仕組みを作るんです」


 片目を閉じて、ニヤリと告げる海人。

 瞑目したままの真樹以外は、困惑した様子を隠せない。


「……話が見えん」


「事業を起こすんですよ。そして、彼らには出資者になってもらう」


「じ、ジギョウ? シュッ……シ?」


 聞きなれない言葉に首を傾げる武芝。海人は「そうです」と一つ頷いて、おもむろに立ち上がる。

 先の世の知識を操り、世に調和と平安をもたらす救国の神子は、坂東にてついにそのベールを脱いだ。


「郡衙主体で株式会社を設立し、それを先駆けとして郡中で市場経済を構築、流通を促進して食料の偏りを改善する……これが俺の策だ!!」

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