第95話:画策

「郡中の税収について知りたい、だと?」


 真樹は鋭い目をして眉を吊り上げた。海人は少したじろぎながらも、力のこもった目で真樹を見据える。


「ええ。村ごとの収穫高、特産物をなるべく詳しく把握したい」


「……」


 海人が館に帰って真っ先に会ったのは、館の主でもなく、武士団の盟主たる将門でもなく、その友人真樹だった。


 館の廊下には、彼らの他に誰もいない。静かな緊張が漂う中、真樹は険しい表情で、


「……お前さん、自分が何言ってるか分かってんのか? 間者だって自白してるようなもんだぞ」


 険しい表情のまま声を低くする真樹。

 だが、海人は目を逸らさない。


「疑われても仕方ない。それは分かります。だからこそ、最初は真樹さんに聞いたんだ」


「なに?」


「コソコソやるつもりはないってことです。これはあの村を……いや、坂東を救うための下準備だ」


「……」


 毅然として答える海人に、真樹は目を細めて品定めするような視線を送った。

 高まる緊張。永遠にも思える重苦しい時間。海人は固唾を呑む。


 しばらくして、真樹は長い息を吐いた。


「……内容次第だ。お前さんの策が信頼に値するなら、俺が郡司に話をつけてやる」


 ▼△▼


「どうだったッスか?」


 館の外に出ると、ふとそんな声が飛んでくる。そこには、見慣れた少女が立っていた。


「千晴か」


 海人は少し疲れたような顔で、


「まあ、何とかなったよ」


「へぇ! あの別当殿を納得させたんスね!」


「一応は、な」


 切り株に腰を下ろし、大きな息を吐く海人。彼は「案外俺のプレゼン力も捨てたもんじゃないな」などと呟くと、疲れたような目で天を仰いだ。


「でも、大変なのはこっからだよ。まだ初歩の初歩しか進んでない。やらないといけないことが山程ある」


「そうなんスか?」


「ああ」


 海人は再びため息をつく。


「俺がやりたいのは、新たな枠組みの導入だ。でも、なるべく迅速にやらなくちゃならない。案は幾つか考えてるけど、状況次第で全部ボツになることだって全然あり得る」


「その案って?」


「ん……?」


 飛び込んできた新たな声。そこにいるのは例の少女、五月だ。

 彼女は長い黒髪をかき上げながら、海人にいつも通りの視線を向けている。


 海人はしばらく考え込むように唸って、


「言ってしまえば、食料の再分配だよ」


「再分配?」


「そ。あるとこからないところに均等に振り分ける、その仕組みを作るんだ」


 海人は「簡単だろ?」と、手を広げてそう告げる。しかし、五月は仏頂面で、


「それは、あるところから米を取り上げるってこと?」


「うわぁ西の考え……」


 ドン引きしたような表情で、千晴と五月は海人から距離をとる。海人は慌てて、


「違えよ! いや、違わなくはないけど……そこはちゃんと考えてるから!」


「……ホントっスか?」


 疑念の目を向ける少女二人。海人は己の信用のなさを恨みつつも、意味深な笑みを浮かべる。


「まあ安心しなさいなって。平安時代の関東人に、現代日本の社会制度とやらをご覧に入れようじゃないか」


 ▼△▼


 天慶元年霜月某日、武蔵国足立郡衙あだちぐんが(現在の埼玉県さいたま市)。

 武蔵国廿一カ郡のうち、いまだ南都勢力に落ちていない十一カ郡の一つ、足立郡。その行政の中核に、海人たちは集結していた。


 ……などと大げさに書いてみたが、足立郡衙は彼らが仮住まいとしている館の隣の建物である。なんなら、その館自体足立郡司の別邸だ。滅茶苦茶近所である。


 だが、海人はまだ郡司に会ったことがなかった。何でも彼は、郡衙の方にこもってずっと職務に没頭しているらしい。坂東人にしては珍しくワーカーホリックな人間のようだ。


 ――話が通じる人だと良いけど……


 海人はそんな不安を抱えたまま、案内役の役人、真樹、将門、そして五月と一緒に廊下を歩いていく。

 将門はいつも通りのテンションの高さで上機嫌に話し掛けるが、重要なプレゼンを控えた海人には生返事しか出来なかった。


 なお、将門にはこの件の詳細についてまだ伝えていない。そういう真樹の指示である。海人は最初困惑したが、まあ勝手に動かれても困るのだろう――そう考えて承服した。


 それより、


「なんで五月もいるの?」


「何か問題でも?」


「いや、特にないけど……」


 困ったように口ごもる海人。問題はないが、純粋にいる意味が分からない。監視役もとい世話役といっても、別に常時付き添わなくて良いはずだ。

 とはいえ追い返す訳にもいかず、結局そのまま応接間の前まで来てしまった。


 ――……まあいいや。そんなことより気合を入れろ、俺!


 海人は生唾をごくりと飲み込み、表情を引き締める。

 そして、案内役が襖を開いた。


「こちらでございます」


「…………あれ?」


 だが、そこには誰もいない。


「申し訳ありませんが、郡司殿にはただ今どうしても外せぬ仕事があり……しばらくお座りになってお待ち下さい」


 役人はすまなさそうな顔で告げる。海人たちは顔を見合わせると、言われた通りに腰を下ろした。

 役人は茶と唐菓子を並べながら「すぐに参られると思いますので……」と決まりの悪そうな笑みを浮かべると、そのまま応接間を後にする。


 思いがけない展開に、海人は一度深い息をついた。


「緊張してるの?」


 五月はいつも通りの淡々とした口調で問いかける。海人は軽く苦笑して、


「そりゃそうだろ。なんたって、人の命が掛かってるからな」


「ふーん」


 あまり興味なさそうに返す五月。一方将門は豪快な笑い声を上げて、


「西の人間のくせに殊勝なヤツだ! 俺は他人のために動ける男は嫌いじゃねえ。坊主が何考えてんのか知らねぇけど、まあ精一杯やってみな! ガハハ!!」


「ま、まあ頑張ります……」


「なに、郡司は話の分かる男だ。理不尽を突きつけるような真似はしない。全てはお前さん次第だな」


 ニヤリと不敵に口角を吊り上げる真樹。

 ちょうどその時、ガタリ、と襖が開く。


「お、来たか。おーい!!」


 人懐っこい笑みを浮かべて、将門は手を振った。襖に手を掛けたまま彼に一礼するのは、四十手前と見える男。彼こそ、足立郡司武蔵武芝むさしのたけしば。海人の交渉相手である。

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