第91話:東国事情
海人が将門陣営に保護されてから早一週間。ようやく彼にも情勢が見えてきた。
どうやら今の東国は、平城京と平安京両方の勢力圏が入り乱れているらしい。ただ、その支配も中途半端で、両京の二重支配を受けているところもあれば、どちらにも属さない空白地帯も存在するようだ。
なお、海人が今いる武蔵国は、ここ五年ほどは平城京の支配下にあるという。
その中途半端さの原因は、やはり中央の東国軽視の姿勢によるものだろう。
国司も現地に赴任することは稀で、代理として送った家人に任せっきり。その家人も碌に職務を全うせず、おかげで不正が蔓延っているようだ。
端的にいうと、色々と雑なのである。
「東国を治めてんのは都じゃなく俺たちだ」
と将門は語ったが、言い得て妙だろう。
そんな状況が一変したのは、つい半年前のことらしい。
突然平城京は
将門をはじめ現地の豪族は、中央の突然の方針転換に困惑している。
だが海人は、なぜ西の彼らが急に東国に意識を向けたのか薄々勘づいていた。
――回天の神子。
平安京の面々からちらほら名前だけは聞いていた存在。あるいはその特殊性で再臨すら上回るという謎の神子。師忠いわく、特定の条件を満たすと日本中のどこかランダムな場所に生まれるらしい。
その回天が東国に現れたという話が畿内でまことしやかに囁かれるようになったのが、ちょうど半年くらい前だそうだ。
恐らく平安京も平城京も、回天の捜索に本気を出したのだろう。
「さて、政治情勢はこんなもんか。なかなか複雑だな……」
海人は冷めた茶を啜りながら、木の板にまとめた東国事情を眺めてみる。
本当は紙に書きたかったのだが、将門に求めても断られてしまった。高階邸には山のようにあった紙が、坂東では高級品らしい。
「結構物価とかも違うっぽいな」
頬杖をついて海人は呟く。
しかし、これ以上は書くことが無くなったのか、彼はおもむろに筆を置いた。
「うーん……」
平安京とは色々とかなり事情が異なるのはこの一週間で痛感したが、いかんせん彼には情報がない。
なにせこれまで、彼は怪我の療養のため一日のほとんどを医務室のような部屋の中で過ごしてきたのだ。
それに、口を利いてくれるのも将門と千晴くらいで、情報源はそこしかない。他の人たちからはうっすら嫌悪されていて、話しかけても基本無視。良くて会釈である。
「まだまだ信頼への道は長いな……」
「何一人でぶつぶつ言ってるの」
ふと飛んできた声。そこに立っていたのは、気味悪そうに眉を顰めるいつぞやの少女だ。床にはぎりぎりつかない程度の長い髪を揺らしながら、彼女は海人の方に歩み寄る。
「貴方、名前なんだっけ?」
「海人だよ。君は……五月だっけ?」
「物覚えがいいのね。馬鹿そうなのに」
「失敬な。これでも一応地元では秀才と言われた部類だぜ?」
不服そうに唇を尖らせる海人を興味無さそうに見つめたまま、五月は一つ息を吐く。
特に理由のない暴言に晒されたうえに呆れられるなんて理不尽この上ない。
だが、ここ最近のコミュニティーの狭まり具合が尋常でなかったこともあり、言葉を交わせただけで海人には喜ばしい出来事であるかのように思われた。
そんな感じでどこか緩んだ表情の彼に、五月はより一層不快そうな顔をして、
「……やっぱり気が進まないわ。海人、貴方はずっと寝ててくれない? あとひと月くらい、なんならそのまま永眠して」
「嫌だよ!」
とんでもない要求に海人は声を上げるが、五月は「うへえ」と露骨に不満そうな表情で返す。「やっぱめちゃくちゃ嫌われてんな……」と彼は軽く落ち込んだように俯くが、すぐに顔を上げて、
「って、なんか俺に用でもあったの?」
「用ってほどじゃない。ただ、父上に貴方の世話をするよう言われただけ」
「えっ」
「何?」
不機嫌そうに目を細める五月。困惑した様子で口が開いたままの海人。
何はともあれ、彼の『仲良し大作戦』の火蓋は不可抗力により切って落とされた。
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