第92話:将門の娘

「くっ、んーっ!」 


 稲刈りも終わり、すっきりとした田んぼの脇道を歩きながら、海人は大きく伸びをする。昼下がりの秋晴れの空が清々しくて心地よい。固まっていた関節から少々不安になるような音がしたが、この頃はずっと館に引きこもっていたので仕方なかろう。

 海人は上機嫌で、半歩後ろを歩く少女の方を振り返った。


「そういえば、五月の」


「さんを付けなさい。呼び捨てを許した覚えはないわ」


 ぴしゃり、と五月は言い放つ。割としっかりとした拒絶に海人はびくりと肩を振るわせるが、「まあ初めはこんなものか」と引きつった笑みを浮かべて、、


「さ、五月さんの父さんって」


柏原かしわばら帝の五世の孫にして鎮守府将軍良将よしまさが嫡男、平将門。その長女が私」


「あ、やっぱり?」


 流れからそんな気はしていたが、同時に意外だなという感情が湧いて出た。

 言われてみれば、どことなく顔のパーツが似ている気もしないではない。ただ、将門とは明らかにタイプが違う。コミュ力の権化、フレンドリーの擬人化みたいな彼と違って、五月は物静かで内向的だ。館でも一人でいることが多く、海人以外にも素っ気ない態度を崩さない。

 まあ、千晴には懐かれているようであるし、他の人にも嫌われてはいなさそうだが。


 ――その辺はお母さん似なのかな。


 海人は勝手に納得すると、幾度か頷いて再び前を向いた。五月はジトッとした目を海人に向けて、


「……海人はなんで村に行こうと思ったの?」


「情報収集さ」


「やっぱり西の間者……」


「そういう意味じゃねぇ! 早合点しないで!」


 隠し持っていた短刀を突きつける五月に、海人は両手を上げて潔白を主張する。今のは彼が迂闊だった。彼女たちにとって海人は、未だ素性のしれない要注意人物。怪しい言動を取れば排除されかねない。

 考えてみれば、五月も世話役というのは建前で、実のところ監視役なのだろう。


「俺将門さんからも警戒されてんのかよ……」


 あんなに親し気に接しておいて、意外と抜け目のない男である。海人はため息をつきながらも感心したような顔をした。

 だが五月は、


「違う。父上は人を疑うようなことを知らない。これは別当殿の提案。そして私の意思」


「なるほど、じゃあやっぱり将門さんは味方か」


「それはこれからの海人次第」


 脅すような口調で五月は告げる。今の海人の信頼度を考えれば当然の対応だろう。彼は苦笑しながらも特に気を悪くすることはない。それどころか、


 ――てか、何気に名前呼びレアだな。みんな神子様とか再臨とか仰々しい呼び方ばっかだったから逆に新鮮……


 などと非常にどうでも良いことを考えている。五月は呆れたような目を浮かべて、


「気楽な人……本当に、貴方は何者?」


「だから言ってるじゃん。高階の居候だって」


「なんで居候が坂東に」


「それは色々と事情が……」


「やっぱり怪しい。何かまだ隠してるんじゃ……」


 目を細めて五月は告げた。実際、彼女の指摘は当たっている。海人はまだ自分が神子であることを伝えていない。

 ただ、だからといってそう簡単に教える訳にもいかないだろう。あれはいざという時の切り札として置いておきたい、それが今の海人の考えである。


「ま、まあ、敵ではないからそこは勘弁してくれ」


 そんな苦し紛れの一言に、五月はふーん、と疑わし気な表情をして、短刀を懐に収めた。


「良いわ。今は見逃してあげる」


 ▼△▼


 海人たちは村落に着くと、まず村長の屋敷を訪ねた。

 是茂との戦闘で塀は崩れ、蔵が一つ吹き飛んだようだが、母屋はどうやら無事だったらしい。しかしその被害状況は海人の罪悪感を刺激するには十分すぎたようで、彼は開幕土下座をぶちかまし周囲をドン引きさせた。

 その誠意が伝わったのか、それとも元々彼を責める気は無かったのかは定かでないが、村長は丁寧に応対、唐菓子まで出してくれた。何という心の広さ。

 とはいえ海人の申し訳なさは収まらず、何かお詫びがしたいと申し出た。


 で、現在に至る。


「ふう、骨が折れるな……いや、実際折れてるんだけど」


 積み上げられた米俵を前に、海人は汗を拭いながらそんなことをのたまう。

 村長が彼に頼んだ仕事は、蔵から散らばった米俵の回収であった。それを村の男衆と一緒に、時には子供たちのちょっかいを受けながら一通り終えた海人。

 彼は差し入れの握り飯とお茶を遠慮がちに受け取ると、日陰で休んでいた五月の隣に腰かけた。


「いる?」


 握り飯とお茶の載った盆を差し出し、海人はニコリと微笑んで見せる。

 五月は彼を怪訝そうな目で見つめて、お茶だけ受け取った。彼女は少し視線を下に落とすと、伏し目がちに、


「……几帳面な人。間者にしては殊勝ね」


「だから間者じゃないって。患者ではあるけど」


「馬鹿」


 呆れたようにこぼす五月。海人は苦笑しながら、ふと向こうで手を振る村の子供に気付いて「おーい」と手を振り返した。

 彼は再び五月に視線を戻して、


「まあ、もともとこれが目的の一つではあったんだけどな。俺と千晴のせいで被害が拡大したみたいなもんだし……」


 乾いた力ない笑みで彼は告げる。

 村長に謝罪し、贖罪として村の復興を手伝っていても、後ろめたい気持ちは消えない。自分たちが無駄に介入しなければ、あるいは蔵が一つ二つ潰され、それで終いだったかもしれないのだ。それが、集落の半分が更地になり、怪我人多数、死者数名という大惨事になった。一番悪いのは南都の奴らだというのは海人にも分かっているし、村長たちもそう言っていたが、後悔は拭えない。


 ただ、あの時南都の凶行を見逃していても、それはそれで後悔していただろう。


「……俺はどうすれば良かったんだろうな」


「知らないわ」


 海人の独り言に、五月は素っ気なく返す。海人は一瞬何かを言おうと口を開くが、それは言葉にならずに呑み込まれた。

 五月はそんな彼を一瞥して、


「でも、海人は自分の正義に従った。なら、それで良いじゃない」

 

「えっ」


 起伏の少ない表情のまま、淡々と告げる五月。思いもよらず肯定的な言葉が紡がれ、海人は少し困惑しながら、


「で、でも、その結果がこれじゃあ!」


「過ぎたことは仕方ない。大事なのは、今何をするか」


「……」


 そんな単純な話ではない、とでも言いたげな卑屈な目で海人は俯く。ただ、あまり後ろ向きになっても仕方ないのはその通りだ。

 彼は長い息を吐いて、顔を上げる。


「今、何をするか、か」


「そう。その意味で、海人はやれることをやってる。ほんの少しだけ見直した」


「え」


 目を伏せたまま、五月はほんの僅かに笑みをこぼした。初めて見る彼女の笑み。その笑顔にどこか雪解けのような感傷を抱き、海人はきょとん、とした表情を浮かべる。


「……あ、ありがとう」


 その言葉には何の反応もせず、五月は再びつーん、とそっぽを向いた。

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