第89話:西と東

 将門から夕食に呼ばれた海人。だが、当の将門は彼を置き去りにして他の男たちとワイワイやっている。

 海人はというと、特に誰にも話しかけて貰えず、かと言って、こちらから話しかけても微妙な反応で、しかし何もしないでいたらそれはそれで何故かチラチラ視線が飛んでくるという非常に心地の良くない状況にあった。


 結局彼は一人ぼっちのまま、当たり前のように並んでいる目の前の料理を困惑した表情で見つめている。


「……」


 雑穀米、魚の干物、恐らく酒だと思われる白濁液、自信はないが多分味噌のような気がする固形物、何かしらの汁物。


 高階邸での食事と比べると、見慣れない上に随分貧相に思える。

 ふと海人は、自分だけ粗末な料理を出されているのではないかと思って周りを見渡してみたが、どうもそうでもないらしい。


「うーむ」


 海人は腕を組んで唸る。怪我の手当てをしてもらった上に、厚意で出してもらった食事。文句をつけるなんておこがましいのは彼にも分かっているが、それでも若干の期待外れ感は否めない。


「いや、食べてみたら案外……なんてこともワンチャン? とりあえず、いただきます」


 と、口を付けてみたが、先入観が覆ることはなかった。米は水でかさ増しされているし、味噌もえぐみのような風味があって知っている味とは違う。汁物も出汁がほとんど効いておらず、味気ないことこの上ない。


 ――平安京って料理のレベル高かったんだなぁ……


 食文化の差に軽くショックを受け、海人は茫然と遠い目をする。

 するとふいに平安京での日々が思い出され、にわかにホームシックのような感情が沸き上がってきた。


 ――犬麻呂も仁王丸も元気かなぁ……


 平安京ではあの後どうなったのか、彼には見当もつかない。朱雀帝は仁王丸を許すと言っていたが、本当に大丈夫なのだろうか。

 それに、あの時会えなかった犬麻呂や師忠は一体どこで何をしているのだろう――考え出せば、いくらでも不安になってくる。

 海人は心細そうにため息をついた。


 そんな時、


「西のお方の口には合わなかった?」


「えっ」


 驚いて振り返る海人。そこには、ムスッとした表情の少女が立っている。切れ長の瞳に長い黒髪。小袖姿。歳は海人と同じか少し上くらいか。

 そんな彼女は、不機嫌そうな様子のまま海人から盆を奪い取り、


「なら私が貰う」


「ちょっ!」


「嫌なら無理して食べなくて良い。ここは都ほど豊かじゃないの。ご飯が出てくるだけで幸せ」


「いや、そういうわけじゃ……」


「じゃあ何?」


「ぅ……」


 少女に咎められ、海人は口を閉じた。タイミングは少し違ったが、彼女の指摘自体は図星である。海人はしゅん、として俯いた。


 ――よく考えればそうだ。平安時代の食料事情なんて、現代日本とは比べ物にならないほど劣悪……都のレベルが異常だっただけで、デフォはこっちの方だよな……


 そう思うと、流石の海人も申し訳ない気持ちで一杯になってきた。


「ごめん……わざわざ出して貰ったのに失礼だったよな」


「うん。すごい失礼。都の人はみんなそう」


 少女はムスッとしたまま海人を睨む。


「都の人は坂東の人間を見下してる。ちょっとばかり学があって、栄えてて、力があるからって、それが何。所詮私たちと同じ人間じゃない」


「……」


「見下すくせに、何も良いことはしてくれない。このご飯だって、いつもならもっと良いのが用意できるはずなの。でも、今はこれで精一杯。近頃の凶作と戦乱、そして重い税と労役のせいで苦しい暮しを強いられてる。都の人なんて、私たちにとっては厄介者でしかない」


 そこで海人はようやく気付く。この部屋でずっと彼に向けられていた視線は、敵意だ。「何でこんな奴がここにいるんだ」という、坂東の人間からの不信の視線だ。先ほど真樹が海人に向けた疑念も、言わないだけでここにいる皆が持っているに違いない。


「……っ」


 ショックを隠しきれない海人。そんな彼に、少女は追い打ちするように告げる。


「だから、みんな西の人間は嫌い。貴方がここにいられるのも、父上の厚意があってのもの。別に貴方が偉いからじゃない。そこを勘違いしないで」


「……肝に銘じておくよ」


 海人は、俯きがちに小さく返す。

 彼はこれまで、中央とその影響が及ぶ畿内しか見てこなかった。他の地域がどうなのかなど、眼中になかったのだ。

 だから、気付かなかった。食文化だけではない。この世界には、かなりの地域格差が存在している。それも、海人が知る史実以上の地域格差が。


 きっと、坂東の人々の西への反感は相当根深いのだろう。

 ただ、身寄りのない海人は、しばらくここでお世話になるほかない。そのためには、現地の人間と信頼関係を築く必要がある。


 ――これは骨が折れるな……


 伸びてきた髪をわしゃっ、とかき上げ、海人は深いため息をついた。が、すぐに嫌な視線に気付いて一度咳ばらいをする。


 そんな時のこと。


五月さつき姉っ!!」


「きゃっ!」


 突然の衝撃にかわいらしい声を上げる黒髪の少女。そんな彼女に満面の笑みで抱き着く人物を見て、海人は目を見開いた。


「千晴っ!? 怪我は!!」


「もう動いて大丈夫なのっ!?」


 五月と呼ばれた少女と海人も驚きを隠せない。何せ千晴は、海人の比ではないほど重傷だったはずだ。今も三角巾と包帯が痛々しいが、本人はあまり気にしている様子はない。


「大丈夫ッス! このくらいのォうがぁッ!!」


「「千晴っ!?」」


 突然吐血してのたうち回る彼女に、海人も五月も青ざめた顔であたふたする。


「お、お前はまだ寝てろ!! どう考えても絶対安静だろ!!」


「そうよ! 何考えてるの!!」


「で、でも……」


「「でもじゃないっ!!」」


 海人と五月の声が重なる。千晴は「むう……」と不服そうに頬を膨らませるが、そんな彼女をふいに鋭い視線が貫いた。


「怪我人は大人しくしてろ」


「べ、別当殿!? アタシは!」


「口ごたえは無用だ!」


「ぎやぁぁぁあああ!!」


 喚く千晴を抱え上げ、真樹は部屋を後にする。その様子を海人と五月は二人でぽかーんと眺めて、同じように一つため息をついた。「まったく、世話の焼けるやつだ」とでも思っているのだろう。


 しばらくの沈黙の後、五月は海人をちらりと見て、


「……色々言ったけど、千晴のことは感謝してる。でも、それはそれ、これはこれだから」


 そうとだけ告げ、彼女は真樹を追って部屋を後にした。


 再び一人ぼっちになった海人。彼はぼんやりした顔で物思いに耽る。


 ――別に、ここのみんなも悪い人たちではないんだよな。ただ、西の人間を嫌ってるだけで……


 千晴も将門も、海人から見ればただの能天気で良い奴にしか見えない。五月と真樹だって、海人に反感を持っているだけで悪人では無さそうだ。


 なら、分かり合えないことはない。


 だが、このままでは適当な理由を付けられて追放されるか、反感を拭えないままとしてあしらわれて終わりだろう。

 真に彼らと打ち解けるためには、何か具体的なアクションがいる。


「さて、どうすっかな」


 そう独り言つと、海人は腕を組んで天を仰いだ。

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