第87話:腹心

 坂上の一族。宝剣の力。そして、平将門――立て続けに起こった予測不能の事態。海人は無我夢中で対処を試み、どうにもならず少女を背負って走った。


 だが、記憶はそこで途絶えている。


 きっと気を失ったのだろう。次に意識を取り戻した時、彼は見知らぬ部屋に横たえられていた。見ると、周りには負傷者が何人も並べられている。現代でいうところの医務室みたいなものだろうか。


 ――……にしても、ここはどこだ。あれからどうなった?


 西日が差し込むその部屋で、海人はむくりと身体を起こす。

 その瞬間。


「くふっ!……ぁ、はぁ……うっ……ぐ!!」


 刺すような痛みが身体中を貫き、苦し気なうめき声が漏れる。思いのほか重症のようだ。いつの間にか手足に巻かれていた包帯には、それなりの量の血が滲んでいる。どうりでくらくらするわけだ。それに、骨だって折れているかもしれない。


「クソっ……」


 痛みに歪んだ表情で悔し気に吐き捨てると、彼は震える手で床を殴りつけた。その鈍痛すら、むやみに海人の無力感を刺激する。


 結局、彼は何も出来なかったのだ。村の衆を助けに行ったのに、集落は是茂に吹き飛ばされ、むしろ被害は大きくなってしまった。ここに並べられている人々はきっとその時の怪我人だろう。死人も出たかもしれない。


「……っ」


 自分たちのせいで――そんな自責の念が幾度も海人の心に押し寄せてくる。

 だが、どうすれば良かったというのだ。あのまま見過ごした方が良かったのだろうか。いや、そもそも、彼はただ南都の狼藉に怒る少女を追いかけただけで……


「っ!!」


 そこで海人はハッとする。


「そうだ、千晴はっ……」


「まだ動くな。傷が開く」


「!!」


 ふいに後ろから飛んできた声。振り返ると、そこには三十前後と見える男が立っている。折烏帽子に直垂ひたたれ――典型的な武士といった装いの、黒髪で目つきが鋭い男だ。

 彼は海人を見下ろしたまま、仏頂面で念を押すように告げる。


「じっとしていろ」


「そうは言ったって……!」


 居ても立っても居られない、という様子の海人。男はため息混じりで、


「案ずるな。千晴は無事だぜ」


「……ほ、本当ですか!!」


「ああ。アイツの娘がそう簡単に死ぬかよ。お前さんこそもう動けるとは大したやつだ。あんなの普通ひと月は寝たきりだぞ?」


 珍獣でも見るかのような目で、男は若干引き気味に言った。


 とにかく、どうやら千晴は生きていて、しかも自分は彼女の知り合いに保護されたらしい。海人は胸を撫でおろす。


「そうだ。あなたは?」


「俺は新治平四郎にいはりのへいしろう真樹まさき御厩別当職みまややのべっとうしきをやってる田舎武士だ。お前さんは?」


「俺は海人。千晴のツレです」


 そんな答えに、真樹は「ほーん」と興味なさげに返した。聞いてきた割には薄味な反応だな、と海人は内心むっとするが、まあそんなものかと受け流す。


 だが、真樹はふいに目を細めた。


「で、本当のところは」


「えっ」


 目を丸くする海人。彼には真樹の問いの意味が分からない。

 真樹は海人を見据えたまま、


「悪いが、寝てる間に色々物色させてもらった。そしたらな……」


 真樹は袂に手を突っ込むと、何かを掴んでトン、と床に置く。


「お前さんの羽織からコイツが出てきたって訳よ」


「何すか、それ……」


駅鈴えきれいだ」


 真樹は険しい表情で睨みつける。身に覚えはないが思わずたじろぐ海人。そんな彼から目を逸らさず、真樹は続けた。


「駅鈴は都の役人たる証。つまりお前さんは、何らかの勅命を受けてやって来た西の都の人間ってことだ。そんな奴が、千晴と一緒に旅してるなんてどう考えてもおかしい」


「っ!!」


 真樹は刀を海人の喉笛につきつけ、敵意を露にして告げる。


「もう一度聞いてやる。お前は何者だ。一体何しにこの坂東へやってきた?」

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