第85話:弑殺のレガリア

「まさか、神子……!?」


 皇国の支配システムの軸にして、神の領域に半歩踏み込んだ存在――神子。海人を除く六神子は、みな常識外れの異能と戦闘力を持っている。目の前の男は、そんな化け物同然の存在であるかも知れないのだ。


 ――冗談じゃねえぞ……!


 海人は青ざめた顔で冷や汗を流す。顔に傷のある貴人は気怠そうな目をしたまま、


「へえ、君は神子を知ってるんだ。もしかして西の人間?」


「……」


 険しい表情で口を閉ざす海人。余計な事を口走れば、目の前の男が何をするか分かったものではない。

 しかし、彼はその沈黙を肯定と捉えた。


「なるほど。じゃあやっぱり敵か」


「!?」


 貴人は再び剣を振るう。瓦礫が巻き上げられ、海人は何も出来ずに吹き飛んだ。

 先程より威力は控えめとはいえ、満身創痍の彼には十分過ぎる一撃。


「ぐ……が……」


 口から血を流し、息も絶え絶えになる海人。そんな彼を見下して、貴人は口を開く。


「話は戻るけど、僕は神子じゃない。ただ、君の推論は当たらずとも遠からずといったところだ」


「それは……どういう……」


坂家宝剣ばんけのほうけん


 貴人は短く言い放つ。


「かつて崇峻すしゅん帝をしいした坂上駒子さかのうえのこまこの帯剣。その残骸を大将軍田村麻呂が再び鍛え、柏原かしわばら帝に献上したのがこれさ。この剣には、秩序を切り裂く力がある」


「!」


 海人はその名に聞き覚えがある。坂家宝剣――壺切御剣つぼきりのみつるぎと並ぶ皇室のレガリア。至宝中の至宝。


 ――それを、何故この男が持っている?


 なんとか膝をついて立ち上がりつつ、海人は目を見開いて貴人を見る。貴人は表情を全く変えず、しかしどこか上機嫌とも取れる声色で告げた。


「この剣は特殊でさあ。駒子の末裔たる坂家の者が使えば、神裔すら誅する力を得ることが出来るんだ。つまり今の僕は、神子と並ぶ力を持っているって訳だよ」


「まさか、お前は……」


 貴人は、ニヤリと笑みを浮かべる。彼は海人を見下したまま高らかに名乗りを上げた。


従四位上じゅしいのじょう兵衛督兼征東大使、坂上是茂さかのうえのこれもち。上皇陛下の命を受けて、僕はこんな辺境にいる」


 苦しげに奥歯を噛みしめる海人。坂上――古代日本の軍事貴族。帝の名の下、異民族を制圧した大将軍の一族だ。それに、


 ――上皇……陽成院派!?


 目の前の男は確かにそう言った。だが、この坂東に陽成院派がいる意味が海人には分からない。ただ、これだけは分かる。


 今、彼は生死の瀬戸際に立っているのだ。


「で、さっき気づいたんだけどさあ」


「っ!?」


 馬上にいたはずの是茂の声が、すぐ横から飛んでくる。海人は振り返ろうとするが、


「君は神子だよね」


「かはァッ!!」


 是茂の掌底が海人の鳩尾に直撃した。彼は吹き飛ばされ、受け身も取れず地面に叩きつけられる。

 是茂はうめき声を上げる海人にゆっくり歩み寄ると、彼の胸ぐらを掴んだ。


「奇怪な装いをした貧弱な少年。そのくせ妙にふてぶてしく、物怖じしない向こう見ずな性格……聞いていた通りだ」


「ぐ……」


「君、再臨でしょ」


 気怠そうな目をしたまま、是茂は海人に問い詰める。海人は苦しげに是茂を睨みつけるが、彼は表情一つ変えない。


「何で君がこんなところにいるの? てか、平安京は一体何を考えてるんだろうね。こんな雑魚一人送ったところで、何にもならないっていうのにさ」


「……っ」


「陛下だってそうだ。第六皇子を蔑ろにしてまで、君みたいなのに執着する意味が分からない。まったく、賢い人たちの考えることは――」


 その時、ガキン!! と金属音が鳴り響く。瞬時に発動した防御結界。しかし、彼女の太刀筋は確かに是茂を捉えた。


「ち……はるっ!」


「その人を離すッス!」


 なんというタフさ。少女は身体中に傷を負いながらも、その刀を手放さない。その鋭く純粋な瞳を浴びて、是茂は面倒臭そうにため息をつく。


「田舎娘が」


「っ!!」


 軽く振るわれた宝剣。だが、軽い身体を薙ぎ払うには十分。千晴は再び宙を舞った。


「あんまり手間を取らせないでくれよ。僕はただ視察に来ただけ。長居するつもりはないんだ」


「勝手なことを抜かすなッス!」


 千晴は空中で重心をずらし、上手く瓦礫を蹴って跳躍する。彼女はそのまま太刀を構え、是茂に斬りかかった。


 しかし、是茂は再びため息をつく。


「もう良い。飽きた」


「かっ……!」


 是茂の拳が千晴の腹に直撃、彼女はそのまま吹き飛び、地面に叩きつけられた。

 衝撃が腹の中を掻き乱し、血反吐混じりの吐瀉物となって幾度も彼女の喉を焼く。


「……っ」


 それでも千晴は気迫を失わない。刀を支えに立ち上がろうと、身体に力を込める。


 だが、そこまでだった。


 彼女の身体からふいに力が抜け、それっきり動かなくなる。


「へ……?」


 気の抜けたような声が海人の口から漏れた。もう、千晴が生きているのかどうかの判断すらつかない。


 海人の心に絶望の二文字が過る。


 ――駄目だ……この男には勝てない……

 

 術式の阻害しか出来ない言霊の種火では、是茂を相手にすることは出来ない。頼みの綱だった千晴もやられた。


「く……」


 もはやこれまでか――海人の心を、どうしようもない弱気な思考が埋め尽くす。


 そんな時だった。


 彼の耳に飛び込んできたのは馬のいななき。そして、空気を切るような異音。


「っ!?」


 反射的に首を傾ける是茂。その頬を何かが軽く裂き、直後、ストン、と軽い音がする。見ると、地面には矢が突き刺さっていた。


「……何これ?」


「あれ、別当殿外したか」


「!!」


 次の瞬間、ドン!! という轟音とともに現れた男。躊躇なく振り下ろされる太刀。是茂は海人を突き飛ばして剣を振るう。再び放たれる宝剣の神気。

 だが、その威力は男の気迫に相殺された。


「……」


 男は首をポキリと鳴らすと、辺りを見渡して苦い表情を浮かべる。


「あーあー、大変なことになってやがる。坊主、大丈夫か」


「そう……見えるかよ?」


「ハハッ!! 軽口叩く余裕はあんだな! なら、嬢ちゃん背負って逃げろ。こいつは俺が相手する」


 ニイ、と口角を吊り上げる男。是茂は不機嫌そうに問いかけた。


「君、誰?」


「俺か?」


 ふっ、と、男は是茂の方を見やる。そして、彼は高らかに答えた。


「小次郎。相馬小次郎平将門たいらのまさかどだ」

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