第84話:想定の外
「ほう? 今ので死なないか」
烏帽子の男は興味深そうに土煙の中でうごめく影を見つめる。どうやら千晴は無事らしい。彼女は額から血を流しつつ、烏帽子の男を睨みつけた。
「坂東武者を馬鹿にするなッス……アタシがあんなへなちょこな妖術で――」
「そうか、へなちょこか」
「っ!!」
千晴に向かって、烏帽子の男が手を振り下ろす。再び走る神気の緊張。すぐにまた二発目が来る。
「くっ!」
強がってはいても、千晴のダメージが大きいのは明白だ。むしろ、あれの直撃を受けて何故彼女が立っていられるのか海人には分からない。
だが、これは分かる。次またあれを食らえば、千晴はひとたまりもないだろう。
――なら、迷ってる場合じゃない!!
海人は物陰から飛び出した。
「何してるんスか! 兄ちゃんが出てきても」
「うるさい黙ってろ!」
「っ!」
冷や汗を流しつつ、海人は右目を閉じる。映る神気の流れ、術式の核。猶予は幾ばくも無い。彼は一つ息を吸い、口を開く。
「『解けろ』!」
言霊の種火。海人が持つ唯一の異能。世界の法則すら書き換える神の権限が、千晴を襲う神気の束を霧散させた。
「な……!」
「馬鹿な……」
唖然とする武者たち。千晴もしばらく目を見開いた後、海人の肩を掴んで、
「何スかその妖術は!!」
「俺の権限さ。勝手に飛び出してやられそうになってんじゃねーよ」
きょとんとする千晴。烏帽子の男も、理解できないといったふうの表情で首を傾げた。
「……何をした小僧。お前はどこの誰だ?」
「俺は海人、この子のツレだ。お前こそどこのどいつだよ」
「下賤の者に名乗る義理はない」
「そっちから聞いといてなんだそれ」
困惑したように海人は目を細める。そんな彼に千晴は、
「多分武蔵守ッス」
「チッ……今は権守だ。心外だがな」
「あれ? 降格したんスか?」
「この娘が!!」
青筋を立てて、再び手を振るう烏帽子の男。術式発動の合図だ。わずかに遅れて神気が集約していく。だが、左目があればタイミングは間違えない。
「『解けろ』」
海人は短く言い放った。
術式は発動しない。
「くっ、小癪な……」
烏帽子の男は悔し気に拳を握る。だが、むやみに動こうとはしない。初めて相対する謎の力。その脅威度を彼は測りかねている。
男は部下たちに命令を下した。
「あの者どもを取り囲め。数で押しつぶす」
意外に冷静な判断。だが、海人たちにはむしろ好都合。烏帽子の男の警戒心、それは彼らに判断の時間を与えた。
――多勢に無勢。でも、千晴はかなり強い。それに今回は俺のハッタリも効く。なら、やりようはいくらでも!
海人はニイ、と口角を上げて、
「ちはるんはまだ動けるよな」
「当然ッス!」
「じゃあ、俺はあの術式を打ち消す。ちはるんはあのおっさん達を何とかしてくれ」
「共闘ってわけッスね。良いッスよ」
「で、細かい作戦は」
「先手必勝ッス!!」
「おいっ!!」
海人の言葉も聞かず、千晴は烏帽子の男めがけて跳躍する。すかさず騎馬兵たちが回り込んでくるが、彼女は難なくそれをいなして武者たちを薙ぎ払った。
――えぇ……
呆然とする海人。これでは作戦なんてあったものじゃない。折角の猶予が台無しだ。
「遅いッス!!」
狂戦士が如き戦いを繰り広げる千晴は、返り血を浴びながらもどこか楽し気にすら見える顔で太刀を振るう。このまま一人で殲滅してしまいそうな勢いだ。
――マジかよ……
海人は微妙な表情で顔を覆う。何もかも思い通りにならないが、なんだかんだ結果オーライかも知れない。
「まったく……」
海人は服についた砂ぼこりを払うと、再び前に出た。どうせ彼の仕事は千晴のサポート。それは、彼女が海人の話を聞いていようがいまいが変わらない。
彼がこの世界に来てから早ひと月。神気に対する感覚はかなり研ぎ澄まされてきていた。もう術式発動の予兆は目を閉じていても分かる。
――今だ!
呼吸を整え、口を開いた。言霊は世界に染み渡り、己に仇なす術式を無効化する。
「ふむ」
満足げに笑みを浮かべる海人。制御にも慣れてきたようで、反動もかなり抑えられている。この程度なら連発も苦ではない。
彼がこのままあの術式を防いでいれば、あとは千晴が武者たちをどうにかしてチェックメイトだ。
「ぬぅ!?」
「ぐあっ!!」
千晴がついに前衛を斬り伏せた。あと数歩で、彼女の刃は烏帽子の男に届く。
「ひッ!!」
「おりゃあ!」
太刀を振り上げる千晴。烏帽子の男は表情を恐怖に染めて後退りするが、既に彼女の間合い。
「覚悟!」
高らかな叫び声。
海人と千晴は勝利を確信する。
その瞬間だった。
ガキン!! と、嫌な金属音が鳴り響く。ふいに刀が軽くなり、千晴はバランスを崩してよろめいた。
見ると、鍔から上が無くなっている。
「一体、何が……」
「権守殿。小童二人如き相手に何を遊んでるんです?」
「!」
ふと飛び込んできた声。見ると、顔に傷のある狩衣姿の貴人が気怠げな目をして馬上から烏帽子の男を見下している。
ただの貴人ではない。オーラが違う。これは海人が幾度となく感じた強者のオーラだ。
――何者だ……?
これまでの状況を一人でひっくり返す実力がある――そんな雰囲気をまとった彼に、海人も千晴も釘付けとなった。
貴人はおもむろに口を開く。
「そんな体たらくだから、野蛮な田舎侍如きに出し抜かれるんですよ」
「兵衛督殿、そうは仰いましても……!」
「言い訳は無用。まったく、これだから」
そんな時、千晴が彼らの言葉を遮るように呟いた。
「野蛮なのはそっちッス」
「……何?」
「丸腰の民から無理やり米を奪っておいて、野蛮人呼ばわりなんてふざけるなッス!!」
顔を真っ赤にして、千晴は貴人に訴えた。彼女の言葉は民草の心情を代弁している。民草の立場から、目の前の男たちの非道を叱責しているのだ。
それは千晴なりの正義心の発露。彼女が親子の縁よりも重んじた武士の魂。力のこもった純な瞳が、顔に傷のある貴人を射抜く。
しかし、彼は心底見下すような、馬鹿にするような目をして呆れるように口を開いた。
「分かってないなぁ。この
「ゴチャゴチャうるさいッ!」
千晴は貴人の言葉を遮って、
刀ではない。双刃の剣である。
「君には過ぎたる力だけど、まあ良いか」
禍々しい神気。それも、空気を震わせるほどの膨大な神気だ。あれはただの剣ではない。何か、常識の埒外にある力がこもっている。海人は反射的に叫んだ。
「危ない千晴!!」
「っ!?」
その声に千晴は空中で身体を捻り、回避行動を取った。海人も、恐らく次の瞬間に来るであろう術式に備えて右目を閉じる。
だが遅い。
「じゃあね」
「――ぁ」
ドッ!! と、閃光とともに空間が歪む。防御も回避も間に合わない。貴人が何気なく振るった一閃は、射線上のあらゆるものを薙ぎ払った。かつて海人が見た蒼天の一閃、それすら想起させるような純粋な破壊。
海人も、千晴も、そして武者も集落も全てが吹き飛ばされた。
「ぐふっ!!」
瓦礫に叩きつけられ、苦しげにうめき声を上げる海人。奇跡的に大きな外傷は無いが、身体に力が入らない。頭痛と目眩が繰り返し襲いかかってくる。恐らく軽度の脳震盪にでもなっているのだろう。
――クソが……!
海人は悔しげに力の入らない拳を握りしめる。彼は貴人の攻撃を言霊を以って相殺しようとしたのだ。だが、失敗した。なにせ、
――術式じゃない、だと……!?
斬撃が放たれる瞬間彼の左目に映ったのは、でたらめな神気の流れ。術式のように秩序立ったものではなく、ただただ垂れ流しになっている暴力的な神気だ。
術式ではない異能――それを海人は一つしか知らない。
「まさか、神子……!!」
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