第77話:天祐

 洛南、左京獄。


「神子様!! どうか私の話を聞いてくださいっ!!」


「いや、こいつより先に俺の話をっ!!」


「いやいや、ここは私から先に」


「なんだとっ!!」


 今日も相変わらず大盛況の海人の独房。見知らぬ顔が一つまた一つと増えていっては、海人からのありがたい言葉をもらおうとわいわい騒ぎ立て、時にはあわや乱闘となりかけている。

 獄吏は止めに入ろうとするが、なんせ集まっているのはほとんど貴族階級の人間。身分の低い彼らは困り顔で眺めていることしか出来なかった。


「はあ、まったく……ん?」


 ため息交じりに顔ぶれを見渡した海人の目に、ふと他とは少し違うオーラを纏った青年が映った。

 凛とした立ち姿、力のある瞳、そして、どこか垢抜けた雰囲気。中級か下級の貴族がほとんどを占める目の前の人混みの中で、一人だけ明らかに雰囲気の違う者がいる。


「高明さん、あの人って」


「あの人?」


「ほら。あそこにいる綺麗な衣の……」


「!」


 海人の指さす方を見て、高明は少し驚いたような表情を浮かべた。


「権中将殿!?」


「高明卿! いらしたんですね!!」


 権中将と呼ばれた青年は、高明に気付いて手を振る。だが、如何せん人が多い。彼は人混みに揉まれて全く近寄ってこれそうになかった。仕方がないので、海人は高明に尋ねてみる。


「権中将って何者ですか?」


「彼は式部卿宮のご子息で私のいとこです」


「へぇ! やっぱり!」


 予想通りに良い彼の家柄に、海人は感嘆の声を上げる。同時に、なぜそんな身分の彼がここを訪れたのかが気になった。


「彼は何しに来たんでしょう」


 もしや、昨日の師伊のように圧力を掛けに来たのだろうか――そんな懸念を抱いて海人は表情をこわばらせる。しかし、高明はいつものように柔らかい表情で、


「きっと私に用があるんでしょう。彼も私と同じく尋問官ですから」


「なるほど……え?」


「権中将殿は佐伯の若君の尋問官ですよ」


「な……!?」


 高明はさらりと告げたが、海人にとってはただ事ではない。仁王丸を救出するうえで彼の存在は非常に大きな意味を持つ。そんな彼とのコンタクトをふいにすることなど、今の海人に出来るはずもなかった。


「権中将殿!!」


「み、神子様っ!?」


 突然海人に呼ばれて、権中将は驚いて目を見開く。海人は手招きするが、やはり人混みのせいでこちらに来ることが出来ない。


「くそ……よし、今日は終わり! ほら、みんな解散!!」


「はぁ!? しかし、俺はまだ!」


「明日聞くから! はい、帰った帰った!!」


 不満そうな顔を浮かべて帰っていく貴族たち。ようやく人口密度が下がった独房の前に、へろへろになった権中将がやって来た。


「はぁ……はぁ……」


「随分お疲れですね、まあ無理もない」


 手拭いを差し出す高明。雅信はさわやかな笑みを浮かべて「お気遣いなく」と袂から自分の手拭いを取り出し汗を拭った。


「神子様、お見苦しいところをご覧にいれてしまい申し訳ありません」


「いや、全然大丈夫ですよ。俺なんか檻の中だし」


「寛大なお心に感謝します。私は従四位下権右近衛中将、源雅信と申す者です」


「俺は海人。再臨の神子とかいうやつらしいです」


 こなれた所作で敬意を表する権中将こと雅信。檻の中からしまらない名乗りを上げる再臨こと海人。かくして彼らは通り一遍の自己紹介を終える。

 先に続きを切り出したのは雅信だった。


「突然で申し訳ありません、今日は神子様に話が……いえ、ご相談があってここに参りました!」


「えっ、こっち!?」


 予想外の申し入れに海人も高明もキョトンとする。二人ともてっきり高明に用があるのだと思っていた。

 だが、かなり深刻そうな表情を浮かべる雅信に、海人は固唾をのんで頷く。


「……続きを聞きましょう」


「ありがとうございます。ただ、その前に高明卿には少し外して頂きたいのですが……」


 申し訳なさそうな様子で雅信は高明の顔を見る。意外な要求に高明も海人も怪訝な表情を浮かべるが、海人はすぐにある可能性に思い至った。


「もしかして、仁王丸関連ですか?」


「――!」


 劇的に表情が変わる雅信。そこまできて、高明もようやく雅信の発言の意図を解した。


「なるほど、そういうことなら私はこのままでも大丈夫ですね」


「た、高明卿!?」


「ええ。私もおそらく、権中将殿と似たような立場ですよ」


 雅信は驚愕のあまり絶句する。そんな彼を見て、海人は不敵な笑みを浮かべた。


「これは……俺に流れが来たか!」


「ま、まさか、神子様たちも仁王丸さんを救うおつもりで!?」


「もちろんです。そして、その策を今思いつきました」


「――!!」


 自信満々に答える海人に、目を見開く高明たち。誰もが不可能と考えている大罪人の助命、それを実現する策とは何なのか――二人は食い入るように海人の話に耳を傾ける。


 だが、海人の答えは彼らの想定の斜め上をいった。


「高明さんにはとりあえず、俺の人質になってもらいます」


 ▼△▼


 賀茂社、悠天の屋敷。


 悠天はこの頃、ずっと腕を組んで何かを思い悩んでいた。

 「口より先に手が出る」、「考えるな、感じろ」を地で行く脳筋仕様の彼女ではあるが、意外なことに頭自体は平安京でもかなり良い部類に入る。そんな彼女は、長い長い考え事の末あることを思いついた。


「おい菖蒲。一つ頼まれてくれぬか」


「どうしました急に。また何か悪いこと思いついたんじゃないでしょうね」


「失礼な! これは人助けじゃ」


「人助け……ですか?」


「ああ」


 怪訝な表情を浮かべる菖蒲に、悠天はニカッと笑みを浮かべて箱を差し出す。


「これを、ある女に渡してくれ」


「ある女……ていうか、姫様が自分で渡せばよろしいのでは?」


「我は別件で出掛ける」


 もはや謹慎中という事実を忘れているのではないかというやり取り。だが、実際出ようと思えば誰も止められないので、彼女にとっては元から割とどうでも良いことであった。


「……で、いずこに?」


大徳あの阿呆交渉ケンカしてくる」


 ▼△▼


 九条邸、『彩天』藤原師輔の居室。


 彼もまた、この頃ずっと思い悩んでいる。

 実頼とその一派が仕組んだ高階への謀略、その発端となった都での騒動。一連の流れのどこかが、彼には引っ掛かって仕方ない。


「この違和感はなんだ」


 誰もいない部屋で師輔は独り呟く。当然答える者などいないし、彼もそれを期待してはいない。

 そんな中、ふと彼の脳裡に一人の女の姿が過った。


――……君が大人しくしているなど珍しい。


 先ほどまでの違和感とは全く違うものではある。が、常に厄介ごとを引き起こして暴れまわっている彼女がこの期に及んで動かないのは確かに不思議に思われた。

 しかし、これは今回の件とは何の関係もない。彼は脱線しかけた思考を戻そうとする。

 

 その時だった。


「待てよ、そうか、そういうことか……!」


 ふいに彼の中で何かが繋がる。師輔は居室を飛び出した。

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