第78話:再臨の反乱
平安京、左京、小野宮邸(藤原実頼邸)
彼の屋敷を訪ねる者は平素から多くはないが、このごろは特に少ない。
というのも、大納言と
それゆえ、やってくるのは使いの者か身内くらいである。
「どうした師尹。お前がここへ来るなど珍しいではないか」
実頼は近衛府宛の文書の整理をしながら、目の前に立っている少年を一瞥した。
「兄上、突然のご無礼どうかご容赦下さい」
「まあ良い座れ。要件を聞こう」
実頼に促されるまま、師尹は腰を下ろす。彼は神妙な面持ちで口を開いた。
「神器喪失の噂の発生源について、ある程度当たりがつきました」
そう告げる師尹を、実頼は不愛想な表情で見つめた。師尹にとって、実頼は兄と言えども二十近く年が離れ、官位も遥かに上をいく遠い存在。師尹は何とも言えない圧迫感を覚える。実頼は何も言わない。師尹の頬を冷や汗が伝う。
しばらくの沈黙ののち、実頼は一つため息をついて口を開いた。
「……何故それを私に直接言いに来たのだ。蔵人所を介して帝へと上奏するのが決まりであろう」
「そ、それは勿論理解しております。ただ、今回は少し状況が特殊でして」
「藤原の氏人が関わっていたか」
「――!! ご存じで!?」
「お前の口ぶりからそう判断したまで。で、誰だ」
「藤原
「そうか」
表情一つ変えずに、実頼は淡々と短くそう答える。彼はすっかり染まった庭の紅葉を一瞥すると、再び師尹の方を見て頷いた。
「事情は分かった。勘案しておく」
その答えに、師尹は一つ胸を撫でおろした。そしてすぐに、再び姿勢を正して実頼の顔を見る。
「で、ここからが本題にございます」
「……本題だと?」
眉をピクリと動かして、目つきをひときわ険しくする実頼。その瞳に射抜かれて師尹の鼓動は早くなるが、なんとかそれを抑えて口を開いた。
「はい。再臨の神子に、翻意の疑いがございます」
「有り得ぬ」
険しい目つきのまま、実頼は師尹の言葉をピシャリと一蹴する。師尹は実頼の厳しい口調にびくりと肩を跳ね上げるが、震えを抑えて再度口を開いた。
「こ、これは、兵衛府による調べの……」
「お前は先日、再臨と乱闘騒ぎを起こしたそうだな」
実頼は師尹の言葉を遮って、流れとは一見関係ない、しかし決定的な言葉を口にした。
「……ぅ」
凍えるような冷たい瞳を実頼から向けられ、師尹は蛇に見つめられた蛙のように固まる。彼の私怨による讒言など、実頼にとっては透けて見えるほど明らかだった。
実頼は瞑目してため息をつく。そして、全てを分かったうえで問いを投げかけた。
「仮に、お前の報告が正しかったとしよう。なら、兵力はどうなっている。師忠はいま出雲だ。また、高階の氏人が再臨側に加担する動きはない。それは近衛府側の監視から分かっている。近頃再臨の独房に集っていた貴族たちも全て監視中だが、そんな動きはない。お前は、再臨が一人でこの朝廷を相手取るとでもいうつもりか」
「それは……」
「詰めが甘い。それで再臨が謀反を起こすなど――」
その時である。近衛府の官人が血相を変えて飛び込んできた。
「だ、大納言殿っ!!」
「何事だ」
「さ、左京獄から再臨の神子が、高明卿を人質に脱走しました! 佐伯の若君も一緒です!!」
「何だと……!?」
青天の霹靂。実頼も、そして彼にその可能性を報告した師尹すらも目を見開いて驚きを露にする。
「そんな馬鹿な!! いや、馬鹿だろっ!!」
「師尹お前……いや、そんなことは今どうでも良い。現状はどうなっている。相手方の位置と兵力は?」
「再臨一行は現在朱雀大路を北上中。八条の辺りで権中将殿率いる近衛兵が対応に当たっています! 兵力について確実なのは再臨と佐伯の若君のみ。しかし周辺での騒ぎが大きく、そちらの対処に追われているようで」
「……師輔を近衛府へ呼べ。私も赴く。権中将にはなるべく時間を稼げと伝えよ」
即座に指示を下し、席を立つ実頼。突如動く状況の中で、師尹だけが呆然としていた。
▼△▼
朱雀大路はこれまでになく大騒ぎだった。
貴族、町人、行商人、農民、ありとあらゆる身分のものたちが、再臨の神子の顔をひと目拝もうとごった返している。
その騒ぎのど真ん中を、海人たちは牛車に乗って悠々と突き進んでいた。
「すみません、これはどういう状況なのでしょう?」
心の底から困惑するような表情を浮かべて、仁王丸は海人に問いかける。
当然だろう。雅信から突然「心の準備をしておいてください」と言われたかと思えば、そこに海人が高明に刃を突き付けながらやってきて、いきなり鍵をぶっ壊したのである。
「見たまんまの状況さ」
「全くわけが分かりません。というか高明卿、貴方も共犯ですよね?」
彼女の言葉に、高明はぎくり、という効果音がつきそうな反応を返す。
「ソ、ソンナコトナイデスヨ……」
「貴方が評判通りの善良なお方だというのはよく分かりました」
仁王丸は目を逸らそうとする高明を見てため息をつくと、怪訝な表情を深めて今度は海人の方を見た。
「神子様。高明卿、そしておそらくは権中将まで巻き込んで、貴方は何をなさるおつもりでしょう」
「題して『人の口に戸は立てられぬ』作戦」
「よく分かりませんが、馬鹿なんじゃないですか?」
「辛辣!」
悲鳴を上げる海人を、仁王丸は「うるさいです」と一喝して黙らせる。彼女は、深刻な表情を浮かべて教え諭すように口を開いた。
「私を助けようとしてくださったことには感謝してもし切れません。それについては素直にお礼申し上げます。しかし、他にやりようはなかったのですか!? これじゃあ完全に謀反、反逆ですよ!!」
「そ、それは否定できねえ……でも、成功させりゃこっちのもんだろ!」
「失敗したときの代償が大きすぎるんです!!」
そんな華奢な身体のどこから出ているのか分からない程の大きな声で、仁王丸は海人を怒鳴りつけた。冷や汗をかきつつ、それをごまかそうと苦し紛れに笑みを浮かべる彼を睨みつけ、仁王丸はなおも続ける。
「これで神子様の大罪も確定しました。それに、協力してくれた方々も失敗すれば同じく重い罰を受けることになるんです! 高明卿だって、バレたら流罪で済まないかもしれませんよ!? どうするんです!!」
「ど、どうするって言われても」
海人は助けを求めるように高明の顔を見るが、彼は青い顔をして首を振った。そんなやり取りを一瞥したうえで、仁王丸は再び険しい表情を浮かべる。
「それに、私たちだけで『神裔』、『彩天』、式部卿宮殿下、摂政殿下、そして数多の契神術師と常備軍を相手取れるわけがありません!! 勝算はあるんですか!?」
物凄い剣幕で海人を問い詰める仁王丸。いうなれば、お姫さまを救い出した王子さまがお姫さまからメチャクチャお叱りを受けているといった頓珍漢な状況だが、不思議なことに仁王丸の言い分にはどこもおかしなところはない。
彼女からすれば海人の行動は、むやみやたらに人を巻き込み、彼女だけで済んだはずの犠牲をさらに大きくしようとしている害悪そのものだ。非難したくなるのも頷ける。
ただ、その辺りは海人も一応理解はしていた。だから首謀者として巻き込んだのは高明と雅信のたった二人。それも、無理強いしたのは高明だけだ。また、自分の命などはなから勘定にいれていない。
それに、そもそも――
「勝算ねぇ……」
「答えて下さいっ!!」
険しい表情の仁王丸。絶対に無理だ、そう言わんばかりの彼女に、海人はニヤリとほくそ笑んだ。
「無ければ、こんな無謀な作戦やらないさ」
「――!!」
「まあのんびり……は出来ないだろうけど、そこで見てなって。種は全部蒔いた。あとはイレギュラーさえ起きなければ万事上手くいくぜ」
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