間章

第71話:皇都激震

 皇都、平安京。

 廟堂に集う公卿と一部の殿上人たちは、混乱の最中にいた。

 

「はあ、何やら面倒臭い事になっているようですなぁ」


 いつものように師忠抜きで行われる公卿会議。変わらない顔ぶれの中で、大納言橘良相たちばなのよしみはため息交じりにそうこぼす。


 八咫鏡の喪失。そして、南都の皇子による皇位簒奪未遂――建国以来の大事件の発生。まだ市井には噂程度にしか広まっていないようだが、皇都全域に箝口令が敷かれ、六衛府の武官たちは情報統制に躍起になっていた。


 そんな状況にも、大納言藤原実頼ふじわらのさねよりはいつも通りの平然とした様子を崩さない。


「なに、さしたる事ではございませんよ。ただ単に漏れてはいけないものが漏れただけのことです」


「それは一大事ではありませんか!」


高明たかあきら卿、何事も冷静さを欠いてはなりませんよ」


「そうは仰っても……」


 参議源高明みなもとのたかあきらの動揺、困惑は、この場にいるほぼ全員の感情を代弁していた。

 重苦しい空気が近衛の陣に流れる。師忠がいれば軽口で雰囲気をぶち壊し、会議を掻き回してくれるのだが、幸か不幸か彼は今出雲へと出向いていた。


 議論は膠着状態に陥る。そんな中、実頼はニヤリと笑みを浮かべ、再び口を開いた。


「まあ、漏れてしまったものは仕方ない。我らは、為すべきことを為すまで」


「為すべきこと……ですか」


「ええ。いま我らがすべきは、混乱の収束に努めること。情報を漏らした者、その他すべての関係者の処罰も、当然為されるべきでしょうね」


「処罰!?」


 実頼の発言に、数名の公卿が異口同音に声を上げる。


「し、しかし実頼卿。未だ分からないことが多過ぎます。処罰の話は早いのでは……」


「八咫鏡の破損が確定した以上、罪状は明白。それに佐伯の件もある。なるべく速やかに決定すべきです」


「それは……」


「無論精査すべきことは数多ありましょうが、混乱の収束が先決。そこに異論は無いでしょう?」


「……」


 公卿たちは実頼の言葉に言いくるめられ、押し黙ることしか出来ない。現場の状況を知らない彼らは、結局のところ口の出しようがなかった。

 そんな中『彩天』藤原師輔ふじわらのもろすけだけは、納得いかないとでも言いたげな面持ちで実頼を睨んでいる。


「どうした師輔。何か不服か?」


「いや。ただ、兄上にしては酷く杜撰な理屈でものを進めようとしていらっしゃるなと」


「何が言いたい?」


 薄い笑みを浮かべ、実頼は挑発的な視線を師輔に向けた。藤原家嫡流の長男と次男の応酬。緊迫した空気に公卿たちは息を呑む。


 そんな空気がしばらく続いたのち、折れたのは師輔の方だった。


「……兄上のことだ。どうせ、もう既に手は打っておいでだろう? なら、今さらどうこう言ったところで無益だ」


「お前にしては物分かりがいいではないか」


 ふっ、と息を吐き、笑みを浮かべる実頼。


「とにかく、例幣使一行は逢坂の関で捕縛することとしよう」


「『悠天』はどうするのです」


「それは成り行き次第だ。しかし、仮にも帝の同母姉。無下に扱うような真似はせぬ。『再臨』と佐伯の娘さえどうにか出来れば、今のところはそれでいいのだ」


 師輔は不機嫌そうな表情そのままに、ふんと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。実頼はそれを見届け、公卿たちを見渡す。

 誰も何も言わない。彼らの無言を承認と受け止め、実頼は軽薄な笑みを浮かべた。


「では皆さま、そういうことで」


 ▼△▼


 朝廷の事務全般と殿上人たちの統率を司る機関、蔵人所くろうどどころは、もう日が暮れたというのに何やらまだ忙しそうな様子である。今日の公卿会議の決定事項、その処理に追われているのだ。

 その中でもひときわ疲労が色濃く見える青年――蔵人頭くろうどのとう藤原師氏もろうじは、文書の山に向き合いつつため息をついていた。そんな彼の執務室に、新たな人影が一つ。


「師氏兄……いえ、頭中将とうのちゅうじょう殿。お仕事の進捗はいかがでしょうか?」


師伊もろまさか」


 藤原師伊。実頼や師輔たちの弟にして、兵衛府ひょうえふの次官についている彼は、この度の騒動についてある程度知っている。


「見ての通り全然終わらん」


「そうだと思って兵衛府から様子を見に来ました。何か手伝えることがあればいいなと」


「ありがたい申し出だが今回は機密事項が多すぎる。雑用の雑用くらいしか任せられん」


「そうですか。それは残念です」


「はぁ、まったく……兄上たちが何を考えているのか全く分からぬ。なんで例幣使の処罰などという話になっているのだ?」


 膨大な量の文書を傍目に、師氏のため息はとどまることを知らない。彼は嘆くような目をして頭を抱えた。

 そんな師氏を見て、師伊はしばらく何かを考え込んだのち、僅かに笑みを浮かべる。


「まあ、流石にこの好機を逃す手はないですからね。実頼兄も師輔兄も……いや、実頼兄が首謀者でしょうが」


「師伊、お前兄上たちから何か聞いているのか?」


「いえ? ただ、少し考えれば思い当たることです」


 そう言うと、師伊は師氏のすぐそばまで寄って来て、誰にも聞かれないように耳元で呟いた。


「これは、高階潰しの策謀ですよ」

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