第2章幕間:日出ずる処の天子

「痛ててて……」


 伊勢での騒動から数日後。真っ暗で何もない空間で、猿顔の老人は頬をさすりながら腰を下ろしていた。


「手短に終わらせるっちゅうて、ホンマに終わらせる奴があるかいな。何でぼくの力のカラクリがバレたんや? しかもいきなりグーパンて……酷いわぁ……」


「それは災難だったね」


「!!」


 突如暗闇から響いた、少年とも少女ともつかぬ声。パッと燭台に火が灯り、辺りを穏やかな光が照らす。


 その中に浮かび上がったのは、貴人の座所である御帳台みちょうだいだ。側には束帯姿の男がしゃくを持って一人佇んでおり、中にも一人いるのが見える。束帯姿の男も御帳台の中の人物も、暗くて顔はよく見えない。


 猿顔の男――猿田彦は恐縮しながら頭を下げた。


「これは失礼を……」


「そんなに畏まらなくていい。僕と君の仲じゃないか。それに、君は自分の仕事を十分にこなした。ありがとう。ご苦労さま」


 御帳台の中の人物は猿田彦に労いの言葉を掛けると、軽く微笑むような仕草を見せる。

 不思議な雰囲気の人物だ。年齢は恐らく十代半ばくらいで、華奢な身体。性別はよく分からない。それに、顔は布で隠されている。


――いつうてもこの人は苦手や……


 冷や汗を流しつつ、猿田彦はおそるおそる顔を上げた。


「あなたがそう仰るならまあ……けど、結局ぼくはなんのために動いてたんです?」


「あれは、奴の狙いを外すため。言わば、撹乱だよ」


「撹乱」


 小首を傾げ、猿田彦はオウム返しする。御帳台の中の人物は軽く頷いた。


「そう。君が先に動いたことで、奴は迂闊に介入出来なくなったんだよ」


「ほう……」


 分かったような、分かっていないような表情の猿田彦。御帳台の中の人物は、ふっ、と息をこぼした。顔は見えないが、穏やかな笑みを浮かべているのは察せられる。それも、きっとどこか含みのある笑みだ。


 ――いやーな予感……


 この人物がこういう表情をするのはどういう時か――それを知っている猿田彦は身構える。そんな彼の警戒を気にも留めず、御帳台の中の人物は軽い口調で、


「まあ、小難しい話はこの辺りにして…………カイトくんは元気だった?」


「はぇ?」


 予想外の問いを投げかけられて、猿田彦はポカーンとする。が、すぐさま伊勢での一幕を思い出して苛立ちを顕にした。


「いや、元気も何も、ぼくをぶん殴ってそのまま走り抜けていきやがりましたよ!」


「その言い方だと蛮族か何かだね」


「ホント、あのクソガ……」


 その瞬間、御帳台の中の人物がピクリと動く。直後、猿田彦は床に叩きつけられた。


「へぶしッ!?」


「あのお方の機嫌を損ねるな」


 刺すように冷たい声。気付けば、束帯姿の男が猿田彦を押さえつけている。


 ――コイツ、ぼくの術式を貫通して……!?


 町を支配し、海人を幻惑した猿田彦の異能。光を触媒にして対象の空間認識を操作する彼の力が、束帯姿の男には一切通じない。

 猿田彦は血走った目で彼を睨む。そして、アメジストのような紫の瞳を見て気付いた。


「まさかお前……えらい老けたなぁ」


「減らず口を叩くな」


「まあまあ、その辺にしておいてあげてよ」


 御帳台の中の人物が呆れながらそう言うと、束帯姿の男は拘束を解いて再び元の場所に控える。猿田彦は腰をさすりながらおもむろに立ち上がった。

 帳台の中の人物は、そんな彼を穏やかに見つめて、


「さて、僕の用は済んだ。君は何か言い残したことはあるかい?」


「えっ、ぼく? いや特に」


「そう。なら、もう下がっていいよ。重ね重ねご苦労さま、またよろしくね」


 御帳台の中の人物は微笑みかける。猿田彦は少し嫌そうな顔を浮かべつつも、再び跪いて姿を消した。


 ▼△▼


 一人減って静かになったその空間。招かれた者以外を決して立ち入らせない隔離空間で、御帳台の中の人物は語り掛ける。


「相変わらず、困った子たちだね」


「ええ」


 淡々としたトーンでそう返し、目を伏せる束帯姿の男。御帳台の中の人物は、何が面白いのかくすくすと笑みを浮かべる。そして、一つ息を吐いた。


 直後、纏う雰囲気が変わる。


「さて、ここからは一国の主としての話だ」


「……」


「まず、今回の作戦はある程度成功したと言って良い。奴の狙いを外し、南都の力を削いだ。出来れば八咫鏡を持って帰ってきて欲しかったところだけど、それが高望みなのは初めから分かっていたことだよ」


「ですが」


 束帯姿の男は目を細める。御帳台の中の人物は一つ頷いた。


「確かにそうだね。三種の神器を壊しておいて、御咎めなしなんていう訳にはいかない。加えて、佐伯の術式は皇位を脅かす禁術。いずれも八虐はちぎゃくの罪に相当する」


「……」


「順当にいけば二人とも死罪は免れない。正使だった悠天あねうえも、監督不行き届きで皇籍の剥奪くらいはしないといけないというわけだよ…………後は君なら分かるよね」


「当然です」


 穏やか笑みを浮かべたまま告げる『絶対者』に、束帯姿の『懐刀』は静かに目を伏せる。『絶対者』は満足そうに幾度か頷いて、『懐刀』の顔を見据えた。


「じゃあ、よろしくね。


「仰せの通りに、

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