第68話:悠天の神子
灰燼と化した町の一角。飴色の髪の青年は、暗い顔で無念そうに唇を噛みしめた。
そんな彼に対し、少女は引きつる皮膚を無理に歪めて気丈に笑って見せる。彼女の身体は傷だらけで、特に顔の右半分の熱傷が酷い。それでもなお、少女は気高く、そしてしたたかであった。
「あまり気にするでない。情けない顔をしておるぞ?」
「だが、傷が……!」
「それがどうした。我も大徳も生きておる。それで十分じゃろう?」
少女は優しく微笑む。青年は悲痛な表情を刹那見せたのち、力なく笑みを浮かべて一つ息を吐いた。
「……君は、強いな」
「ハッ、大徳が弱いだけじゃ! しっかりせい。摂政の子がそうでは先が思いやられる」
「……そうだな」
十年前のあの日、少女と青年が交わした会話。彼らが交わした最後のまともな会話だ。
あの日以来、彼女たちの関係は変わってしまったが、少女はあの日から何も変わらない。彼女は今日も、そしてこの瞬間も己が正しいと信じた道を突き進んでいる。
▼△▼
「契神「
彼女の掌から、眩い、しかし優しく包み込むような光が溢れ、そのまま天へと延びた。それは紅く染まる夜空を塗り替え、地上へと降り注ぐ。
天照すら凌駕する最高位の神々、
「やった……のでしょうか?」
仁王丸は周りを見渡した。海人と悠天の連携が生み出した渾身の一撃。海人が言ったハッピーエンドへの道筋。
多くを知らされていない彼女にも、今の術式が決定打であることははっきりと分かっていた。しかし――
「く……?」
「嘘……」
その視線の先に、清棟は冷や汗を滲ませながらも困惑した表情で立っている。彼は仁王丸、そして海人、悠天を順に見遣り、
「驚かすな。神産巣日命の術式なぞ何事かと思えば、所詮はこの程度か。きっと今のが決め手だったのだろう? だが、私には効かなかった。残念だったな。いい加減無駄な悪あがきはよせ。ふふふ、あはははは!!」
高らかに笑う清棟。
こうなってしまえば、絶大な力を保つその彼に太刀打ちできるものはいない。スタミナ切れ寸前の悠天、権限発動の反動で足元のおぼつかない海人、そして、このステージに立つには力不足の仁王丸。彼らでは清棟を止めることは出来ない。
――ここまで来て……皆が幸せになれる結末など、訪れはしないのか。
膝を付き、絶望した表情を浮かべる仁王丸。このままでは、伊勢で起こったような殺戮が皇国中で繰り広げられることになる。
しかし、もはやどうにもならない。ただ、どうしようもない後悔の念が彼女の胸の内に押し寄せる。
そんな中、不意に海人はニヤリと笑った。
「……気でも触れたか? 再臨」
「いいや、ただ」
「まだ気付いておらぬのだな?」
直後、空を割くような衝撃が走った。力をほとんど使い果たした悠天は、術式など行使せずに純粋な身体能力で皇子に肉薄する。
清棟は呆れた表情で腕を振った。
「あれほど無駄だと――」
「無駄かどうかは受けてから言え、愚輩」
悠天は目の光を消して、鋭く、そして酷く冷淡な声でそう言い放つ。
その時清棟の直感が告げた。この一撃は、決して受けてはいけない。
「――ぃッ!!」
咄嗟に回避行動をとる清棟。しかし、悠天の権限は八咫烏の導き。決して外すことのない神の一撃だ。
ゆえに、避け切れない。
「散れ」
悠天が矛を振るう。その矛が確かに清棟を捉えたかに見えた刹那、神域に甲高い音が響いた。手応えはあった。だがあまりに軽い。
「チッ、仕留め損ねたか」
悠天の視線の先に、清棟は立っている。神裔の権限で常に張られている防御術式が作動したからだろう、彼女の一撃は決定打となり得なかった。だが、
「ん――ぁ!?」
清棟は自らの血に染まった手を見て声にならない叫びを上げる。悠天は煽るような笑みを浮かべた。
「何を動じておる。矛を受ければ血が流れるのは当然じゃ」
「――ぃ!? ふっ、ふざけるなぁ!!」
狼狽を抑え切れず半狂乱になる清棟。本来、贄の術式があれば怪我などするはずがないのだ。全ての傷は術式範囲内の他人に押し付けられる。
にもかかわらず、自らの額が割れ血が流れている状況に彼は戸惑いを隠せない。
贄の術式の機能不全、それは、彼にとっての命綱が一つ切れたことを意味していた。
「何故だ……何故だ何故だ何故だ!!」
「どうじゃ、無駄ではなかったであろう」
「えぇい、黙れ黙れぇ!!」
悠天に手を向ける清棟。しかし次の瞬間、彼の腕は明後日の方向に曲がった。
「うぐ……がぁぁぁ!!」
「この程度の怪我で騒ぐな。底が知れるぞ」
続けてすらりと伸びた悠天の長い脚が弧を描き、清棟の胴をへし折る。彼は勢いそのままに吹き飛び、神木に叩きつけられた。
一方的な展開。一気に覆った状況に、清棟は弾けてしまいそうな思考回路をフル回転させる。だが、答えは見つからない。完璧なはずの自分の術式が破られた、その原因が彼には分からない。
この数時間で、彼は悠天が自分に及ばないことを確信していた。佐伯の術式も、彼が神裔の資格を仮とはいえ取得した時点で実質お役御免だった。他に考えられる脅威も猿田彦の力で遠ざけた。
なら、清棟が見落とした不確定要素は彼しかいない。
「……ま、まさかお前かぁ!? 何をしたッ、再臨!!」
だが、情報戦に長ける彼には信じられなかった。術式を使えず、知識もない最弱の神子、『再臨』海人が盤面を差配することなど頭の片隅にも思っていなかったのである。
そんな彼を鼻で笑い、ゲームチェンジャーは当然のように告げた。
「何をしたって、俺はただ繋げただけだ」
「繋げた……だと?」
心底意味が分からないといった表情を浮かべる清棟。海人は仁王丸の肩を借りつつ自慢げな顔を浮かべた。
「ああ、お前の術式のパスを、俺の言霊で無理矢理悠さんの契神回路に繋げたのさ」
「はぁ!?」
「それでお前の力は削れるし、悠さんにはバフがかかる。一石二鳥だ。まさか贄の術式ごと奪えるとは思わなかったけどな」
「そんな、馬鹿なことが……!!」
「出来るんだよ。それが、俺の力だ」
うろたえる清棟。彼を見据えて海人は堂々と言い放ち、片目を閉じて天を仰いだ。
「まあ、『天壌無窮の詔勅』は奪えなかったし、消しきれなかったから中途半端な感じになっちゃったけど」
「何故……異界人の貴様がそこまで掌握している!?」
「そりゃ全部見えてるから……いや、見えるようにしてもらってるからだよ。それに、言っとくけど俺はそこそこ賢い方だぜ。全国模試169位を舐めるなよ?」
しかし、今度は仁王丸が腑に落ちない表情を浮かべた。
「じゃあ結局、先ほどの術式は……?」
「ああ、あれか」
今度は悠天が首だけ仁王丸の方を振り返る。そして、ニヤリと微笑み手を広げた。
「感じぬか? 今この町に溢れる生を、清浄なる神気を!」
「――!!」
彼女の言葉で、清棟と仁王丸はようやく気付く。宇治山田で行われた殺戮、その全てが、神の恩恵により無に帰したことを。失われた命が取り戻され、破壊された有象無象は復元されたのだ。
さらに、神域都市の民を脅かした贄の術式は悠天の手の内にある。無辜の民を脅かすものはもはや消え去った。
「神産霊……神の霊威、そして、生命の象徴……つまり、天壌無窮の詔勅の術式効果の一部を神産霊の術式範囲指定に転用し、伊勢の神気を使って領域内の全生命を蘇生した……?」
「その通り。正直神産霊の術式が存在する確証はなかったし、あったとしても可能かどうかは未知数だった。その上運要素もデカいし、神気云々の足し引きとか細かいことは全く分からんかった。自信はあんまりなかったから実は今めちゃくちゃホッとしてる」
「無謀だとは思ったが、なかなか面白い策じゃったぞ? そして、実際上手くいったわけじゃ。これは其方の功じゃろう」
「ということは……さっきの伝心術式って」
「そう、この打ち合わせ」
「いきなり話しかけてくるから驚いたぞ」
顔を合わせて高らかに笑い合う海人と悠天。彼らは蹲る清棟を睨みつけた。
「さて、そろそろ終幕といこうか」
「覚悟せよ。貴様のその罪、万死に値する」
「ひぃ!!」
海人たちは指を突き付け、清棟に最後通告を叩きつける。贄の術式が奪われた彼に残るのは神裔の力の残滓のみ。
もはや勝負の成り行きは決した。東の空が明るんでくるなか、一夜中続いた戦いが幕を下ろそうとしている。
そんな時だった。
「――!?」
突如張り詰める空気。禍々しい神気が肌を刺す。突然起こった不測の事態に理解が追い付かない海人と仁王丸、そして清棟。
しかし、悠天は即座に叫んだ。
「伏せろッ!!」
直後、大地が轟く。神気の束が、破壊そのものとなって押し寄せてくる。凄まじい衝撃は彼らの感覚を麻痺させ、天地の別すら消失し――
辺り一面を砂煙が覆う。
その中に蠢く影が一つ。
「無事か!?」
衝撃が去ったのち、いち早く平常を取り戻した悠天が叫んだ。すると、その声に応じてさらに人影が二つ。
「あ、ああ。まあ」
「なんとか……」
絶え絶えに声が聞こえる。海人も仁王丸も無事。悠天は胸を撫でおろした。
「ひとまずは安心……じゃが……」
砂煙が次第に晴れてくる。彼らは、そこに見える光景を見て絶句した。
「な……!?」
「……え」
「なんだよ……これッ!?」
そこに、あったはずのものがない。いや、それどころか何もなかったのだ。
玉砂利の敷き詰められた境内に立つ荘厳な伊勢の本殿。それがあったはずの場所には、獣の爪痕のように大きくえぐられている大地があるだけだ。
「……!」
向こうに清棟が倒れている。あの衝撃の中、人としての原形をとどめていたことに幾許かの衝撃を海人たちは受けたが、もはやそんなことはどうでも良い。
彼らの注目は、悠然と空に浮かぶ一つの人影にあった。
圧倒的な存在感を放つ一人の青年。彼は神鏡八咫鏡を片手に携え、紺碧の双眸で気怠げに海人たちを見下している。
「あの人は……!」
刮目する海人。目の前の彼は、海人がかつて平安京で出会ったあの青年だった。
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