第67話:『イカサマサイコロ』
「思ったより粘るではないか。だが、そろそろ飽きてきた」
そう言いながら清棟は手を振るう。彼の手の軸線上の木が薙ぎ倒され、轟音とともに砂煙が舞った。
「戯言をっ!」
砂煙を縫って肉薄する悠天。しかし、その一撃はどう転んでも有効打となり得ない。
あらゆる効果を付与する主宰神の術式、そして、贄の術式が生きている間、清棟を倒すことは理論上不可能だ。
「いい加減諦めよ」
清棟は一歩たりとも動かず、不敵な笑みを浮かべて言い放つ。彼女の拳は不可視の障壁に阻まれ届かない。最高強度の防御結界。もはや何の術式かも容易に判断がつかない程度の次元にあるそれは、軽々と悠天の捨て身の一撃を無効化した。
「チッ……」
攻撃を受けてもそのダメージを他人に転嫁できる清棟には、本来防御を行う必要などない。これは単に、悠天の、いや、自分以外の神子という存在を真正面から否定するための戯れだ。
「はぁ、はぁ……」
体勢を崩し、片膝を付く悠天。清棟はそんな彼女を満足げに眺め、厭らしい笑みを浮かべて手を振り下ろした。
「ぐッ!?」
空気を割いて飛ぶ閃撃。その射線上から身を逸らすも、閃撃は深緑の髪を数本かすめ取りつつ彼女の脇腹を薄く裂く。それ単体では決して致命傷とはなり得ない浅い傷。しかし、数時間続く戦闘ではそんな些細な傷ですら勝敗を決しかねない。悠天は着地を誤り、地に身体を打ち付ける。
すでに彼女は満身創痍だった。
「ふふふ、あははははは!! 皇国第四位の格を持つ悠天の神子がこのザマとは、北都平安京の威光も堕ちたものよのう」
「好き勝手に言いおって……」
「まだ強がるか。そろそろ分かったであろう。貴様は私に勝てぬ」
「……っ」
静かに肩を震わせる悠天。清棟は嘲るような表情を浮かべて歩み寄る。
「ん?」
自慢げに悠天を見下す清棟。
事実、彼は圧倒的だった。戦闘が始まって以来、彼は一度たりとも優勢を失っていない。仁王丸を利用して手に入れた神裔の片鱗、それが彼を絶対的強者たらしめている。勝敗は誰の目にも明らかだった。
「悔しいか悠天。これまで貴様は、いや、貴様ら神子は我らを散々見下してきた。借り物の力のくせに、いい気になってこの私の上に立とうとした。これは報いだ。どうだ、惨めであろう?」
「……」
何も言わない悠天。清棟は畳みかけるように言葉をぶつける。
「ふふ、そうか、そうだろうよ。何も出来ぬ無力に打ちひしがれるが良い。私に勝てず、民も守れずあまつさえその手で殺め、正義の味方を気取ることさえままならぬ。実に無様だ。何も出来ずに逃げ出した再臨の方がよほど潔く、聡明であったな」
「……」
勝利を確信し、饒舌に語る清棟。対する悠天は膝を付いたまま。彼は悠天を足蹴にし、凶悪な笑みを浮かべた。
「私は高潔を心掛けているのでな、弱者を不必要にいたぶるのは気が向かんが、貴様は別だ。女の癖に高慢で、私を見下すような、弟宮を思い出させるような目をしている。本来なら佐伯の子と同じように妾か下女にでもしてやろうかと思ったが、分を弁えぬうえ傷ものの貴様なぞいらぬ。神裔の力も馴染んできたことだ。貴様はもう用済みである。伊勢の地にて我が皇国支配の礎となるが良い。フフ、フハハハ!!」
そんな時、ふと悠天が何かを呟いた。
「――?」
怪訝な顔を浮かべる清棟。
その身体が突如吹き飛ぶ。悠天の神気だ。当然、ダメージは全く入らない。
「下らぬ……ん?」
怪訝な表情を浮かべる清棟。悠天はいつものように凛として立っていた。傷だらけ、服もボロボロ。
しかし、彼女の誇りに傷は一つたりともついていない。相変わらずの、高慢で、我儘で、自分勝手で慈悲深い彼女がそこにいる。
清棟は憎らしげに舌打ちした。
「悪あがきを。貴様はもう用済みと言ったであろうが」
「ふむ?」
彼女は顎に手を当て首を傾げた。
「聞いた覚えなどない。もとより、聞いておらぬ」
「なに?」
怪訝に眉をひそめる清棟。そんな彼を悠天は鼻で笑って、
「貴様の下らぬ高説に価値なぞない。そんなものより、我はあの馬鹿者のふざけた考えとやらに興味があったのでな」
そう言うと、悠天はうっすらと明るんできている空へと手を伸ばす。そして、いつものように不敵な笑みを浮かべた。
「なかなか面白いことを考えるではないか。気に入ったぞ再臨、いや、海人よ。良いじゃろう。その策、乗ってやる」
「……貴様、一体何をするつもりだ?」
理解を超えた表情で悠天を睨みつける清棟。そんな彼を、悠天は見下すように、そして嘲るような表情で睨み返した。
突然の強気な態度に清棟は思わずたじろぐ。悠天は小気味良さそうにくすくす笑い、口を開いた。
「貴様、まだ気付いておらぬのか」
「はぁ!?」
「佐伯の術式は死んだ。第一の砦はもう落ちたぞ? そして――」
清棟の前から悠天が姿を消す。彼には今の状況が分からない。だが悠天が反撃に転じたことだけは分かった。
とはいえ依然清棟は絶対的優勢にある。にもかかわらず、彼は怯んだ。この状況下で余裕を失わない悠天の態度は、清棟の感情を不安と恐怖に染め上げる。
「上かッ!!」
夜空を背に現れた悠天は矛を構える。清棟は冷や汗を流しながら彼女を睨みつけた。負けようがないはずの状況で、彼は彼女に気おされる。
その緊張状態で、清棟は転移術式の発動に気付かなかった。
「次は俺の仕事だ!」
「――!?」
不意に後ろから飛んできた声。それは、開戦直後に戦線離脱したはずの少年のもの。
「再臨ッ!?」
目を見開く清棟。彼は海人が無力であることを知っている。だから、彼自体に脅威を感じはしなかった。
彼が脅威を感じたのは、弱いはずの彼が単身突撃する理解不能の状況である。
それゆえ臆病な彼は、この盤面を破壊すべく海人に手を振るった。神域を抉り、悠天を翻弄した神裔の力の片鱗が少年へと向かう。
その時だった。
「契神「
清棟の攻撃は、海人をすり抜け後方の木々を粉砕する。理解を超えた状況に目を見開く清棟。そして、その原因に目を遣り憤怒の表情を浮かべた。
「身の程を弁えよ、佐伯の小娘ッ!!」
「弁えるべきはお前だ、清棟!!」
「雑魚の分際で粋がるなよ小僧!!」
清棟は術式を複数展開し、海人、仁王丸、悠天の三人を同時に屠ろうと試みる。
だが、今の海人にはその全てが
「いけるぜっ! 悠さん!!」
「あい分かったっ!!」
二人が同時に叫ぶ。直後、悠天が海人と清棟の間に転移、意表を突かれた清棟は体勢を崩した。悠天は海人の手を引き、清棟の懐へと潜り込む。
「小癪な!!」
必殺必中の間合い。命のやり取りが行われる距離で、臆病な彼は咄嗟に贄の術式を拡張した。天壌無窮の詔勅の範囲内――神域都市全域を覆う結界の全範囲に。
防御術式ではない。彼は自らの力で迎え撃つのではなく、全てを他人に押し付ける選択をした。
結局、それがこの男の限界だった。
「それゆえ、貴様は負けるのだ」
「――ッ!!」
不敵な笑みを浮かべ、悠天は清棟の胸倉をつかむ。そして、海人の瞳を見た。
「任したぞ、再臨!」
「任された」
ニヤリと口角を上げる海人。彼は大きく息を吸い込んだ。
彼には視えている。借り物の力だが、確かにこの局面を決定する次の一手が。完璧に思える清棟の術式の大きな欠点が。そして、これまでに失われた全てを取り返す反則級の必殺技が。
だが、これらは本来同時に成立しえない。正攻法でサイコロを振っても、決してその目は出てこない。
だから、言葉を紡ぐ。
「『繋げ』」
彼は振った。隠し持ったイカサマサイコロを。再臨の神子が持つ権能と、月詠の権能の合わせ技がもたらす反則技を、そうとは知らずに冒涜者にぶつける。
海人の言葉は、得るべき最善の未来を導くその目を生じさせた。
「あとは、我の仕事じゃな」
「何を――ぐッ!?」
悠天は清棟を夜空へと放り投げ、目を閉じた。人を望む目的へと必ず導く八咫烏の霊威。彼女の前に偶然は存在し得ない。海人が創ったごく僅かな可能性。それを、確実に引き当てるのが悠天の神子である。
「馬鹿な……!」
彼女へと神域都市全体の神気が流れ込んでいる。ここに来て初めて、清棟は自分が劣勢に立たされていることに気付いた。
しかし今更もう遅い。賽は投げられた。
「
「ひッ!」
恐怖に引きつる清棟など意に介さず、悠天は祈る。
神々の霊威の顕現にして、悠天の力の根源たる八咫烏の親神。幾度となく死せる大国主を蘇らせた、神の奇跡そのもの。その神の名を、術式に乗せて唱える。
失われた命が、蹂躙された誇りが、その全てが取り返されるよう、彼女は祈りを込めて口を開いた。
「契神「
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