第65話:海人vs仁王丸
弾ける玉砂利、裂ける神木。海人は幾度も吹き飛ばされ、その度に己と少女との間にある絶対的な実力差を身をもって思い知る。
そう、彼女は父の復讐を誓った武門の跡取り。仇敵には届かないと言っても、その十年の蓄積は本物だ。
「大口を叩いたのに、その程度ですか」
見下すような冷たい目に、海人は悔しげに唇を噛む。戦いが始まってまだ五分も経っていない。
だが、状況は誰の目にも明らかだ。
「くっ……やっぱり強えな」
ただでさえボロボロだった彼の身体は、もう限界を迎えようとしていた。対する仁王丸はまだ一歩も動いていない。彼女は初手で展開した防御結界の中で、泰然と佇んでいる。
手加減さえ透けて見える立ち振る舞い。海人が逆立ちをしたって届きようのない高みに、仁王丸は立っていた。
「貴方が私に勝つなど不可能です」
「言っただろ……可能性の話じゃない……! ここで諦めて何になるってんだ!!」
「……無駄な努力を」
張り詰める空気。放たれる光。
来る。
「契神「
光は詠唱とともに矢の形をとると、海人に向かって雨のように否応なく襲い掛かってきた。彼の思考は迎撃、回避、その二択でせめぎ合う。
受けるという選択肢はない。いかに弱体化していようと、軍神たる佐伯の祖神の力。平凡な高校生の命を奪うことなど造作もない。
――ついに本気で俺を……いや……
そこで海人は思い返す。これまで彼女は一度たりとも彼に向かって明確な殺意を向けていない。この攻撃も、危害を加えるというよりは自分に近づけさせないための弾幕に思える。避けるだけなら、そう難しいようには見えない。
――でも……
それではいつまで経っても仁王丸に触れることはおろか、近付くことすらできない。このままでは、海人の身体が先に動かなくなる。それこそ彼女の思惑通り。仁王丸は海人の体力切れを狙っているのだ。
――……甘いな。
海人は、そんな彼女の意図に気付いてふっ、と笑みをこぼした。
ここまで嫌われているのに、邪魔で邪魔で仕方ないはずなのに、そして、その気になればいつでも自分を無力化できるはずなのに、彼女は自分に情けを掛けている――理由は簡単。彼女は悩んでいるのだ。あと一歩のところで、仁王丸は海人を憎みきれない。もっと言うならば、殺してしまう覚悟が出来ない。つまるところ、彼女は優し過ぎた。
その甘さは、この局面において決定的な要因となり得る。特に、覚悟を決めた者が相手なら尚更だ。
海人は一つ息を深く吐いて、奥歯を噛みしめる。そして、前に踏み出した。
「――っ!?」
想定外の行動に刮目する仁王丸。当たれば致命傷になり得る光の弾幕に向かって、少年は突っ込んでくる。
――なんで!
彼だって、きっと恐ろしいはずだ。あの術式が戯れではないと分かっていれば、今の行いが命懸けであることぐらい誰にだって分かる。死ぬのが怖くない人間などいない。にもかかわらず、彼は向かってくる。
少女には理解できない。あれだけ無力で不甲斐ない少年が、何故これほどまでに奮い立つのか。何故ここまで自分に構うのか。何故、自分を見捨ててくれないのか――
「ぐッ!!」
海人の左腕を光の矢がかすめた。被弾箇所から先の感覚がなくなり、腕がもげたような錯覚を覚える。どうやらまだ繋がってはいるらしい。反動でおかしな方向へと曲がる自分の腕を眺めて、彼は幾許かの安堵を覚えた。
同時に、猛烈な痛覚の波が押し寄せてくる。脂汗が頬を伝った。すぐ目の前に転がる濃密な死の気配。足が竦みそうになる。
しかし、ここで引くわけには行かない。目測およそ10メートル。一発食らえば即死もあり得る彼女の拒絶を潜り抜け、海人は震える体に鞭をうつ。
「どうして!?」
「俺はヘタレだからな」
無我夢中で弾幕を走り抜ける。涙に目を腫らした少女がたった一人で立っているその場所へ、彼女がそこから抜け出せるように、そして、決して二度とそこへ戻らないで済むように、願いを込めて手を伸ばす。
「お前がそんな顔してるのにも耐えられないんだよッ!」
「――っ! そんな……自分勝手!」
「ああ、自分勝手さ! いつもお前に迷惑かけてばかりで、お前の気持ちを汲むことも出来ねぇような馬鹿の独りよがりなわがままだ!」
「分かっているならっ!」
「分かってるから、お前にぶつけてんだよッ!! お前が、こんな俺を見て、ほんの少しでも自分だって自由に生きて良いんだってッ! 過去に囚われないで生きてていいんだって思えるなら、俺はどれだけでも自分勝手になってやる!!」
「分かったような口を利かないで!!」
「利くさ!! 今回だって、お前は親の言いつけを守ろうとした、それだけだろ!! お前の父さんがお前に何を言ったかは知らない。でもな、これだけは言える!! 娘の幸せを願わない親なんていない。そして、こんな結末なんて誰も望んでいないッ!!」
「――っ!!」
すぐそこに、彼女がいる。手を伸ばせば、あるいは届く距離に、この世界で途方に売れていた自分を救ってくれた彼女が、独りで寂しそうに立っている。
「だから、願うよ」
海人は目を閉じる。展開される月詠の視界。目に映るのは、無数の赤い光。仁王丸が展開する複数の術式陣だ。その中に、一際複雑で大きな陣が一つ。それこそ、彼女を長らく縛り付けてきた佐伯の術式。
――今度は、俺が救う番だ。
絡みついた呪縛から、そして、この先に待ち受ける悲しい運命から彼女が逃れられることを願って。
彼女たちが再び笑って暮らせるような日が来ることを願って、強くイメージを持って、海人は
「――『解けろ』」
「っ!?」
矢は、再び元の光へと還元される。彼女と自分を隔てる結界は崩壊した。もう、海人と仁王丸を隔てる物理的な障壁は存在しない。
彼はただ、目を見開く彼女に手を伸ばし、ニヤリと微笑んだ。
「俺の勝ちだ。大人しく帰って来い、仁王丸ッ!!」
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