第61話:消えた少女と月の女神

 契約によって広大な視野と神気の流れを見る瞳を手に入れた海人。月詠はそんな彼を見つめつつ、仁王立ちで腕を組む。


「じゃあまず、仁王丸とやらの特徴を教えなさい!」


「えっと……彼女は」


「彼女ぉ!?」


 月詠は突然声を上げて海人に詰め寄る。海人は予想外の反応に肩をびくりと跳ね上げさせた。彼は手で月詠を押し返しながら、


「な、なんだよ……」


「いや、別に……いいけどさぁ」


 何故かいじけたようにそう告げると、月詠はふんっ、と鼻を鳴らして目を逸らす。殊更に不機嫌そうだ。だが、人探しの協力は続けてくれるらしい。


「……で、結局どんな奴?」


「彼女は、なんというか……生真面目で」


「性格の話なんか聞いてないよ!! 見た目を聞いてんだよ!!」


「あ、そっか。すまん……えっと、黒髪で、平安装束で、色白で……」


 突然天然ボケをかました海人に困惑しつつ、月詠は左目を手で覆う。闇夜を照らす月の視点から、神域都市全域を俯瞰する。

 しかし、どうやら難航しているらしい。彼女は「むぐぐ……」と苦しげに唸ったのち、いきなり海人の肩を掴んだ。


「ええい面倒くさい、こうしてしまえ!」


「わっ! 何!?」


「該当者多すぎてわっかんないのよ! あんたの記憶を直接見て探した方が早い!! ほら!!」


 頭半分ほど身長差のある海人を無理やりしゃがませると、月詠は自分の額と彼の額をぴたりとくっ付け、目を閉じる。


「はぁ!? え、ちょ……!?」


「……っさい。集中してんの」


 彼女の吐息が顔に当たった。可憐な少女の顔が触れ合うような、いや、実際触れ合っている近さにある。


「……っ!!」


 上がる心拍数、赤くなる耳。状況が状況とは言え、海人は平常心を保つのに必死だった。先ほどの間接キスではどうとも無かったのに、今回ばかりは流石に意識せざるを得ない。なにせ距離が近すぎる。

 だが、月詠はそんなことを気にする素振りはない。唸りながら、海人の記憶を読むのに集中している。


「うーむ…………ん、コイツか? よし!」


 月詠は彼の記憶の中に目ぼしき人物を見つけた。彼女は額をくっ付けたまま左目を閉じ、伊勢の町を捜索し始める。


「えっ、このまま!?」


「なにか問題でも? あたし人の顔なんて覚えない主義だから、ずっと見とかないと忘れるのよ」


「えぇ……」


 滅茶苦茶な理屈だが、彼女がそう言う以上海人は従うしかない。しばらく試練は続く。


「うーん……」


 月詠は目を開いたり細めたりしながら首を傾げている。


 ――やっぱりそう簡単には見つからないか……なら!


 海人も左目を閉じる。彼は貰いたての月詠の目で仁王丸を探そうと試みた。だが、


 ――あれ、意外と難しいな……


 思うように視点の変更が出来ない。また、拡大縮小のやり方も分からないのであまり使い物にならない。

 何かコツみたいなものがあるのだろうが、今の月詠はかなりの集中モードである。そう気安く尋ねられる雰囲気ではない。結局海人は一人で悪戦苦闘する。

 

 そんな時であった。


「……いないなぁ。なら、少し前は…………あ! 見つけた!!」


「本当か!!」


「うっさい! こんな近くで大声出すな!!」


「お前の方から近づいてきたんだろ!! で、どこ?」


「……ちょい待ち……ん?」


「どうした?」


「おっかしいな……」


 不思議そうな顔で首を傾げる月詠。海人は彼女の顔を覗き込む。


「何が?」


「いなくなった」


「は?」


 意味が分からず間の抜けた顔をする海人。そんな彼を一瞥することもなく、月詠は手に顎を当てたまま口を開く。


「ある時点から、見えるはずなのに見えなくなった。どゆこと?」


「それはこっちが聞きたいよ。で、結局どこで見えなくなったんだ?」


「神社……えっと……ん? ここ伊勢じゃん。じゃあ猿田彦神社ね。そこで消えた」


「よし、助かった」


「ちょっと待てぃ!!」


 ドアノブに手を掛ける海人の服を月詠は引っ張る。


「なんでそうすぐ帰ろうとするかな!! てか分っかんない? あたしが見えないってことはソイツはこの世にいないんだよ!!」


「はぁ!? いきなり縁起でもないこと言うんじゃねぇ!!」


「違うわ!! そういう意味じゃねぇ!!」


 必死な表情で否定する月詠。彼女はため息を付くと、海人に顔を近づけ、彼の目を真正面に見つめながら唇に人差し指を当てる。


「いい? 私に見えるのは月明かりが届く範囲だけ。逆に言えば、そうじゃないところは見えない」


「屋内に入ったのかもしれないじゃん」


「いや、それは建物ぶっ壊したら光届くし普通に見れるけど?」


「どういう判定だよ」


 困惑の表情を浮かべる海人。彼女は椅子に腰掛けると、足を組んで頬杖をつきながら口を開いた。


「つまりね……問題は遮るものの有無じゃない。光を届けることが可能かどうかよ」


「……ってことは、仁王丸がこの世界にいないって」


「そう。きっと、月の光の届かないどっか別の世界に迷い込んだんだろうね」


「なっ!!」


 彼女の一言に衝撃を受ける海人。なぜならそれは、自分にとっても記憶に新しい、あり得るはずのない超常現象――異世界転移を示唆していた。が、


「あ、異世界転移とかではないと思うよ? どちらかと言えば神隠しかな」


「か、神隠し……?」


「多分、ここみたいな隔離空間にいるのよ」


 その言葉に海人は少しだけほっとする。ただ、異世界転移に比べれば余程マシとはいえ、捜索が困難なことには変わりない。


「……じゃあ、どうすれば……」


「うーん、そだねー……」


 月詠は顎に手を当て、暫し天を仰ぐ。彼女はしばらくしたのち、再び視線を下に落として海人の目を見た。


「とりあえず、次会った時どう謝るか考えといたら?」


「は……?」


 思いもよらない言葉に海人は目を見開く。まるで仁王丸が出奔した理由を知っているような言葉だ。

 月詠は呆れの感情を浮かべて溜息をつく。


「なに不思議そうな顔してるのさ。記憶見たんだから知ってるに決まってんでしょ。ていうかさ……」


 突然彼女は海人を睨みつけると、蔑むような冷たい目をして口を開く。


「アンタ流石にゴミ過ぎない!? ないわぁ……ホントないわぁ……」


「え……急に何を……」


 いきなり罵倒されて困惑する海人。月詠は整った眉を顰め、より一層失望を強く表しつつ腕を組む。

 そして、大きく息を吸い込んだ。


「だってさ! 普通に考えてアンタが悪いじゃん!! なのになんで説教始めてんの? マジで意味分かんないんですけど!!」


「……でも!」


「でも、じゃねぇよ!! そら怒るわ!! 相っ変わらず無神経ね……なに? それは何かの才能なの? デリカシーって言葉ご存知? 正論ぶつけりゃいいってもんじゃないっていつになったら分かんのよ!! 控えめに言って最低!! もう一遍出直してこいこのヘタレトーヘンボク!!」


「え、えぇ……」


 後半はもはやただの罵詈雑言だ。自称女神は腕を組み、仁王立ちしながらゴミでも見るかのような目で海人を見下している。

 海人には、耳が痛くなるような説教をうなだれながら聞くことしか出来なかった。


▼△▼


「まったく……」


 一通り気が済むまで説教した月詠は、大きなため息をついて再び椅子に腰掛ける。彼女は正座でしゅん、としている海人を見つめ、今度は慰めるような口調で口を開いた。

 

「……一応言っとくけど、アンタはその子を見つけられるみたいよ。どこにいるかとかどうやって見つけるかとかは全く分からないけど、あたしの権限がそう告げてる」


「えっ、それってどういう!?」


「何度も言わせないで。あたしは時と運命を司る女神なの。いくら弱体化したといえ、ちょっと先の未来の粗筋くらいは全然見える」


 月詠はそう告げると、あ然とする海人を一瞥してその奥へと手を向けた。ガチャリ、という音とともにドアの鍵が開く。


「だから、安心して行ってきなさい」


「……」


 仁王丸捜索成功の確約――理屈も何も分かったものではないが、気休めには十分過ぎる言葉だ。海人は、開いた口を真一文字に結んで拳を握りしめる。

 月詠は彼の顔を見ると、一瞬満足げな表情を浮かべたのち、少し俯いて気落ちしたような顔をした。


「……結局あんまり力になれなかったわね」


「いや、そんなことはないさ」


「そう……ありがと」


 力ない笑みを浮かべて月詠はそう返す。海人は一つ頷くと、再びドアノブへと手を伸ばした。


 そんな時、何を思ったのか彼は立ち止まる。不思議そうに眉をピクリと動かす月詠。海人は彼女の方を振り返った。


「……最後にもう一回聞くけど、やっぱりお前は一体何者なんだ?」


「それ何回目? だから」


「そうじゃない。そういうことじゃなくて……」


「……?」


「……俺はお前のこと知らないけど、多分お前は俺のことを知ってただろ」


「……気のせいよ」


「まあ、そう言うと思ったけどさ」


 目を逸らして面倒くさそうに返す月詠に、海人は苦笑して応える。

 何故か不思議と、彼女ならそう答えるだろう、そんな気がしたのだ。


 ――なんでだろうな……


 初対面のはずなのに、何故か分かる。彼女の言うことの意味は分からなくても、感情はなんとなく分かるのだ。妙に波長が合う、そんな感触。彼には、彼女が赤の他人には思えなくて――


「なんか、お前とは初対面の気がしないんだよ」


「――っ!」


 海人の言葉に、月詠は軽く目を見開いた。まるで、あり得ない出来事に遭遇したかのような反応。彼女はしばらく固まったのち、ほんの僅かに震える声で、


「……下らないこと言ってないでさっさと行きなさい! ほら、もう時間無いわよ!?」


「うおっ! 本当だヤバいっ!!」


 時計の針は現在午前四時前を示している。旧暦の神無月――新暦の十一月の日の出が何時なのか海人は知らないが、もう幾ばくも無いのは確かだ。彼は慌ててドアを開く。


「悪い、続きはまた今度聞かせてくれっ!!」


「ふん……絶対にあの子を見つけてあげなさいよ」


「当然! 俺を誰だと思ってる」


「厨二病の治りきってないバカな男子高校生」


「酷っ! けど否定出来ねぇ……」


 悔し気に唇を噛む海人。吹き出す月詠。海人は彼女をじろりと睨むが、そのままニカッ、と笑って手を振った。


「それじゃあ、行ってくるっ!!」


 海人は勢いよく部屋を飛び出した。

 その先は闇夜の神域都市。狂気の皇子の術式により、この世の地獄と化した皇国祭祀の中心。彼が目指すのは、その術式の核を担う少女の居場所。彼が心から、力になりたいと思ったその少女のいる場所だ。


 夜明けまではあと一時間半。海人は再び走り出す。


 ▼△▼


 バタン、と扉が閉まると、部屋は静寂に包まれた。先ほどまで騒がしかった分、余計にその静けさが寂しい。

 月詠はふらふらと壁にもたれ掛かると、ストンと床に腰を下ろした。茫然と天井を眺めた後、一つため息をついて俯く彼女。わずかに潤んだ夕闇のような瞳が、切れかけの蛍光灯の灯りを反射してキラリと輝く。

 彼女はどこか嬉しげに、そして懐かしそうに小さな声で呟いた。


「……相変わらずバカね、

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