第59話:契約
「契約……だと?」
「そう。あたしの力を貸すための契約」
妖しい目をして月詠は告げる。先ほどまでのお転婆な雰囲気はもはや消え失せた。今の彼女には、まるで超越者であるかのような風格が漂っている。
海人は改めて思い知った。そう、彼女は仮にも自称神である。
そんな人物との契約。おいそれと決めて良いものではないだろう。この期に及んで彼は冷静だった。
「契約料は?」
「へっ?」
気の抜けた声を漏らす月詠。まるで聞かれるのを想定していなかったかのような反応だ。海人は訝しげに目を細めて繰り返す。
「契約料は何だ。まさかタダってことは無いだろ。それも聞かずにうんとは言えない。もしそれで誰かの命が取られるとかだったら目も当てられないしな」
「そっ、それもそうね……」
少し苦しげな表情で月詠はしばらく思案する。彼女は海人から目を逸らし、躊躇いがちに口を開いた。
「じゃあ…………てよ」
「なんて?」
「だから! たまにで良いから会いに来てよ! それで十分だから!!」
「はぁ!?」
予想だにしなかった答えに海人は思わず声を上げる。神の助力、その代償がたったそれだけなんて流石に怪しい。
「ど、どういう意味だ!」
「そのままの意味よ! 力を貸す代わりに、アンタはあたしの喋り相手になる。それだけで良いの」
「ほ、ホントに言ってる……?」
彼女の言葉が信じられず、若干の動揺を浮かべて聞き返す海人。月詠は目を逸らしたまま不機嫌そうに、
「……あたし、こっから出られないのよ」
「え」
「だから、ずっと一人でやることもないし、なんて言うか、その……寂しいの!! アンタみたいなのでもいないよりは……って、わざわざ言わせんなバーカ!!」
「お、おう……」
自分で全部言っておきながら勝手に怒り散らす月詠に、海人は引きつった表情で頷く。
だが、彼はいまだに状況が理解できていない。彼女の言葉は冗談では無いようだが、それが一層混乱を加速させる。
「で、でも良いのかそれで……」
「良いって言ってるでしょ!」
声を荒げっぱなしの月詠。
結局海人は押し切られた。
「ま、まあ、そう言うなら……一応だけど、後から実は、みたいなこと言わないよな?」
「相変わらず面倒臭いヤツね。そういうのは出来ない仕様になってんのよ」
「そういうもんか……」
と言いつつも、海人は納得していない。殆ど初対面の相手に、ここまで片利的な契約を持ちかけるなんて怪しいにも程がある。何か裏があるのではないか、という疑念が消えそうにない。
だが、彼にはそれを確かめる知識も手段もない。結局海人は月詠の言葉を信じるほか無いのだ。
――リスクはあるけど、仁王丸を見つけるにはコイツの力が……くっ、背に腹は代えられないか……
しばらく考えた後、彼は観念してため息をついた。
「……分かった、その条件は呑む」
「ほんと!?」
何がそんなに嬉しいのか、月詠はパッと表情を明るくして海人に詰め寄った。彼はのけ反りながら、
「で、契約ってのはどうすんの?」
「
月詠は一つ指を立てる。海人は「えっ」と小さく声を上げつつ記憶を辿った。
――そういえば古事記にそんな話があったような……
彼は天井を見上げながら、
「確かあれだよな……剣と玉を交換して、それを噛み砕いたら子供が出来てうんたらかんたら……みたいなやつだっけ?」
「大体合ってる。で、今回の契約の儀も基本はあれに従う。従うんだけど……」
そこまで言うと、月詠は口ごもって目を逸らし、顔を赤らめる。怪訝そうに首を傾げる海人。彼女はしばらくそうしていたが、ふいにばっと顔を上げた。
「あっ、あれは流石にちょっとハードルが高すぎるから、拡大解釈に拡大解釈を重ねてこれで勘弁してあげるわ!!」
そう言い放つと、月詠は慌ただしく冷蔵庫の扉を開けて一本のペットボトルを取り出す。
「なにこれ?」
「ア〇エリよ!」
「ポ〇リだよ!」
「どっちでも良いでしょ! 人間の飲み物なんてどれもほとんど同じよ」
「お、おう……」
終始月詠の勢いに押され気味の海人。彼の内心は疑問符で埋め尽くされている。先ほどから予想外ことしか起きない。当然のように現代清涼飲料水が出てきたことなどもはや誤差の範囲だ。
「って、そこは割とどうでも良い。なんでこれを?」
「今からあたしがこれを飲む。そんで、アンタが同じように口を付けて飲むの」
「ほーん?」
つまりは間接キスだ。
然るべき場面で然るべき相手に対して行われるのなら、それは青春の一幕として少年の脳内に未来永劫刻まれることとなろう。だが、こんなにも唐突で何の脈絡もなければロマンチックの欠片もない。というより全く意味が分からない。
海人はただただ困惑する。
「なんでそれが誓約になるんだ?」
「その質問ド直球のセクハラよ?」
「訳が分からん」
「とにかく! 契約を結ぶうえで必要なプロセスなの! 黙って従いなさい!!」
「へいへい」
有無を言わさぬ彼女の態度に、海人は投げやりな返事を返して閉口した。月詠はふん、と鼻を鳴らすと、ペットボトルの蓋を開け、飲み口に唇を近づける。
彼女はそこで固まった。
「……」
「どうした?」
「べっ、別に何も……」
鬱陶しそうに月詠は答える。
ただ、いっこうにその先へは進まない。手は震えているし、顔も真っ赤だ。余裕が微塵も感じられないその様子に、海人は怪訝な表情を浮かべて、
「単なるペットボトルの回し飲みだろ? 何そんなに意識してるんだよ」
「は、はーぁ!? 違いますけどぉ! 別にそんなんじゃないんですけどぉ!?」
「じゃあさっさと飲めよ」
「飲むわよ! 言われなくたって!!」
バン、と壁を叩き、月詠は腰に手を当てる。そして、彼女は再び飲み口を唇へと近づけた。
「……ぅ」
飲み口が唇に触れる直前、彼女はほんの一瞬の躊躇いを見せる。が、今度は意を決して勢いよく――
「ぷはっ!!」
「全部飲み干してどうすんだよ!!」
「う、うっさい! アンタが騒ぐからでしょうが!!」
「俺のせい!? はい、もう一回!!」
海人は新たなペットボトルを手渡す。
しかし、
「ぷはっ!!」
「バカっ!!」
そんな感じのやり取りを繰り返し、気付けば床には空のペットボトルが四本並んでいた。
「くぅ……」
ペットボトルを抱えたまま、情けない声を上げてへたり込む月詠。その顔は相変わらず真っ赤だ。一方、海人の表情には焦りが見えてきている。
――くっ、ここに来て何分経った? 俺はこんなところで遊んでる場合じゃ……!
彼は手元の時計をちらりと見る。現在午前三時半。また、仁王丸捜索のタイムリミットは夜明けまで。無駄にできる時間などほとんどない。
海人は奥歯を噛み締めると、月詠からペットボトルを奪い取る。
「ぴゃっ!?」
「もう俺から飲むぞ!」
「えっ、ちょっ……!」
わたわたとする彼女を尻目に、海人は清涼飲料水を口にする。久方ぶりの現代の飲み物だ。また、これまで走り続けていたこともあって、思いの外しっかりとそれを飲んだ彼は、軽くなったペットボトルを月詠に差し出した。
「ほれ、お前の番!」
「お、おう!」
赤い顔のまま月詠はそれを両手で受け取る。彼女はどこか息を荒らげてその飲み口を見つめていたが、
「えいっ!!」
そんな掛け声とともに勢いよく口をつけ、残りの清涼飲料水を飲み干した。が、
「ゲホゴホっ!!」
「あーもう……お前は赤ん坊か何かか?」
咳き込む月詠の背中をさすりつつ、海人は呆れたようにこぼした。月詠は虚ろな目をして彼を見る。
「こっ、これで一応誓約は……うぷっ!」
「おいおいおいちょっと待っあああああぁぁぁあああ!!」
華奢で小柄な少女の身体に二リットル強の液体を入れるのはやはり無理があった。
幸い、ここは勝手知りたる海人の部屋。彼は月詠を抱えて風呂場に走り、なんとか大惨事は回避される。
「「……」」
顔面蒼白で疲労困憊といった様子の二人。彼らは床に腰を下ろし、壁にもたれ掛かってため息をついた。
夜明けまであと二時間弱。タイムリミットは刻々と迫っている。
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