第58話:月詠を名乗る少女

「月、詠……」


 ドアノブに手をかけたまま、海人は唖然として立ち尽くす。

 扉の向こうに立っていたのは、彼が探していた少女ではない。そこにいるのは、あまりにも見慣れた装いに身を包んだ全く見覚えのない少女。

 月神の名を名乗った彼女は、胸に手を当て自信に満ちた表情で口を開いた。


「ふふふ、そうよ! あたしが月の女神にして運命と時を司る三貴子みはしらうずのみこが」


「あ、普通にドア開くんだ」


「っておーいッ!!!!」


 何事もなかったのように出ていこうとする海人に、少女は血相を変えて飛びつく。


「な! ん! で! 帰るのよっ!? え、なんかこう、ほら……なんかないのっ!?」


 半泣きになりながら海人の服を掴み、必死に引き留める月詠。必死過ぎてもはや語彙力が行方不明だ。


――なんだコイツ……


 顔をしかめる海人。

 よく考えれば、自分を神と名乗る人間なんて異常者か怪しげな宗教家か末期の中二病患者くらいだろう。そう思うと、一瞬でも動揺したのが馬鹿らしくなってくる。

 彼は面倒臭そうに月詠を振り払った。


「俺はお前みたいな変な奴に絡んでるほど暇じゃない」


「へっ、変な奴とか言うな!! あたし仮にもアンタの命の恩人よ!?」


「はぁ? 俺がいつお前に――」


 そこまで言いかけて、ふと首を傾げる。


「あれ、その声どっかで……」


「やっと気付いたわね。そう、あたしは」


「やっぱ誰?」


「なんでだよバカ!! ちょっと前に力の使い方教えてあげたでしょうが!!」


「――っ!?」


 そこで彼はようやく思い出す。

 先日の陽成院派による平安京急襲、その最終盤に『蒼天』が放った一閃。それを散らした海人の異能を目覚めさせた謎の少女の声。

 これまでのドタバタで完全に忘れていたが、あれは紛れもなく月詠の声だった。


「お前が…………!」


「そうよこの鳥頭!」


 頬を膨らませて不服を露にする月詠。そんな彼女にどこか既視感を覚えつつ、海人は目を細める。

 予期しないタイミングでの邂逅。それに、この世界に来て二回目の自称神様との遭遇。全く理解が追い付きそうにない。

 ゆえに彼は、再度問いを発する。


「……結局お前は、何者なんだ?」


「さっきから言ってるでしょ。あたしは月詠。運命と時を司る女神様よ。分かったらさっさと崇め奉りなさい!」


「はいはい。で、実際のところは?」


「チッ、相変わらずコイツは……いいわ。なら、こうするまで!」


「――!!」


 パチリと鳴らされた指。その音が小さな部屋で反響し、消え入ると同時に視界が歪む。

 転移術式とは違う、経験した事の無いような不思議な感覚だ。無理やり情報だけが脳内に流れ込んできて、それを現実として錯覚させるような現象。まるで、VRの世界に迷い込んだかのような感覚に海人は陥った。


「さてと」


 月詠はいたずらっぽい笑みを浮かべて手を広げる。次の瞬間、視界が澄み渡った。

 気付けば、海人たちは月明かりが照らす神域都市の上空に立っている。


「なっ……!」


「これがあたしの見てる景色。この全部が、私の能力の射程圏内よ」


 海人は目を見開く。清棟の術式など目ではない広大な範囲だ。もし本当なら、神を名乗るだけのことはあると言わざるを得ない。仮に嘘でも、常人にこのような真似が出来るはずがない。

 そもそも、最初の時点でただ者ではないのは分かっていたはずだ。平安時代の伊勢に現代女子高生が立っているなど、どう考えてておかしい。海人は眼下に広がる町を見下して息を呑んだ。


「これで少しは信じたでしょ。で、本題はこっからね」


 月詠は再び指を鳴らす。いつの間にか、彼らは元の部屋に戻っていた。


「アンタとあたしのパスが開くのは、アンタが強い感情を抱いた時。前回もそうだったし、今回もそうね。どうしたのよ」


「は? パス?」


「そこはこの際スルーでよろしく。で、どうしたのさ?」


 繰り返し、念を押すような彼女の問い。海人は言葉に詰まる。


 清棟の術式。

 広がる地獄絵図。

 迫りくるタイムリミット――


 今ここで起きている事態は、一言で説明するにはあまりに複雑すぎるし、言葉を尽くしたとしても伝わるかどうか怪しい。


「……」


 いや、海人にとってはそのほとんどが些末事だ。肝心なのはただ一点。彼が今こうしてこの場所にいる理由はただ一つ。そう――

 

「俺は、仁王丸を探して……」


「誰よそれ?」


「アイツは俺の……」


 そこで再び言葉に詰まる。

 形式上は居候先の従者。今回に限って言えば護衛役。しかし、海人は彼女と自分の関係をそんな上っ面な言葉で表したくはなかった。だが、適切な表現が思い浮かばない。

 彼はしばし悩んだのち、再び口を開いた。


「………………友達?」


「なにその間? なんで疑問形?」


「そこは何でも良いだろ! とにかく、俺はいまアイツを探さなくちゃならない。こんなところで油売ってる場合じゃないんだよ!」


「ふーん」


 そう素っ気なく返すと、月詠はどこか訝し気な表情で海人をじろりと一瞥する。まるで彼氏の浮気を疑う彼女のような視線に、海人は妙な心地悪さを感じてたじろいだ。

 彼女は顎に手を当てて少しした後、「ま、いっか」と呟いてぱちりと指を鳴らす。


「でも、人探しなら手伝えるかも」


「……えっ!?」


「さっき見たよね。月明かりが照らす全ての場所が私の視界。なら、これ以上の適任はいないでしょ?」


 月詠はニコリと微笑んだ。ふいに予期せぬところから飛び込んできた光明。すがるような目で海人は目の前の少女を見た。


「協力……してくれるのか?」


「まあね。でも、勿論タダとはいかない。こっちの望みも一つ叶えて貰おうじゃないか」


「っ!」

 

 神を名乗った少女の望み――それが一体どんなものなのか、海人には皆目見当もつかない。寿命か、命か、はたまたもっと別の何かか。いずれにせよ軽いものではあるまい。彼は冷や汗を流してゴクリと固唾を呑む。

 月詠は指を立て、片の目を閉じた。彼女は夕闇のような右の瞳で、品定めするような視線を向ける。目を合わせると吸い込まれそうになるような妖しいその瞳に海人を映して、彼女は一つ息を吸い込んだ。


 そして――


「あたしと契約しなさい。そうすれば、友達だろうと何だろうと見つけてあげるし、前みたいに力も貸してあげる。どう? 悪い話じゃ無いと思うんだけど」

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